ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =6= 「そう…ここはそんなにかけ離れた所だったの…」
納得とも落胆ともつかない声を、語り終わった尚隆に投げた。
一気に様々な事を詰め込んだ頭は、すべてを記憶する事は出来ない。
むしろ情報が多すぎて消化不良を起こしているようだった。
しかし唯一はっきりしている事がある。
それが先程のの呟きだった。
尚隆はそれに対し何も返さない。
もまた、言葉を失っているようである。
しばらくの沈黙が続く。
「ああ、そうだ」
ぽつりと呟かれたの声が、その沈黙を終わらせた。
「日本とこの国との相対関係はどうなっているのかしら。星座がまったく理解出来なかったおかげで、方角を掴むことが出来なかったもの」
「相対関係もなにも…接点すらない。だが、先程も言ったように、蝕と言う天災によって稀(まれ)に交わる事がある。それに巻き込まれた人間が、こちらに流れて来ることも」
「稀と言うことは…。私の他に日本から来た人がいるんですか?」
「いるな。それの目を盗んでここまで来た」
そう言って尚隆は大仰に息を吐き出した。
そこからは気安い雰囲気を感じ取ったが、目を盗んで来ねばならない状況が掴めない。
「私はこれから…どうしたらいいんでしょう」
「まずは養生する事だな。今体を動かすのは危険だろう。回復したら日本から来た者に会うといい。今後の事はそれから決めても、遅くはないだろう」
が頷いたところで、医者が入室してきた。
そろそろ話を止めて、薬を飲む時間だと言う。
尚隆はまた来ると言ってその場を離れ、が薬湯を飲んでいる最中に退出した。
横目でそれを見送ったは、薬湯を飲み終えて大きな息をついた。
少しだけ状況が見えた事に対しての安堵であるのか、それとも見知らぬ世界だと知ってしまった絶望なのか分からなかった。
しかしその思考は瞬く間に薄れ、まどろみが手招きしている。
瞳を閉じると傷を治すための眠りに入った。
夜、目を覚ますと尚隆はどこにもいなかった。
あの気安さが少し恋しいと思ったが、いないのではどうしようもない。
「ふう…」
安堵の息なのか、あきらめの息なのか。
しかしようやく自分が置かれている状況を把握した。
星座が分からないのも無理はない。
「でも、日本から来た人がここにはいる。少なくとも二人…」
さきほどまでこの場にいた尚隆。
そしてその尚隆が言ったまだ見ぬ誰か。
その二人を思って瞳を閉じる。
数日後、は別の場所へ移動させられた。
移動に数日を要し、まだ体力の完全ではない体には辛かったが、日本から来た者に会えるのだという希望だけがを支えた。
そうしてようやく着いたそこは、巨大な建造物だった。
道中、異世界にいるのだと実感するには、充分なほどのものを見てきた。
それでも驚くほどの非常識さと、壮大さが広がっている。
建物の一郭(いっかく)に連れて来られた。
すでにどこにいるのか分からないほど広大な場所である。
大きな窓に絹地のカーテン。
漆(うるし)のような光沢の机には水差しが置いてある。
先日まで療養していた場所も豪華なホテルのようだったが、ここはまたさらに煌(きら)びやかだった。
しかしは奥に見えている、白く柔らかい布地が恋しかった。
生けられた花の香りが鼻腔をくすぐったが、立っているのが辛い。
しかも人気(ひとけ)はなく、何故ここに立たされているのかも分からなかった。
今回の移動は尚隆が手配してくれたのだろうと想像していたが、それを誰かに確認したわけではない。
今更ながら不安に駆られて辺りを見回したが、これといって何も発見することはなかった。
身の置き場に困っていると、物音が聞こえた。
足音だ。
人の気配が近付いてくる。
扉に注目して待ちかまえる。
静かに開けられた扉の向こうに、女性が立っていた。
女性はゆっくり歩いての目前まで来る。
その顔に、は見覚えがあった。
あまりの事に自らの口を覆い、目を見開いて絶句するしかなかった。
「せ、先輩…」
ようやく口をついて出たのがそれで絶えてしまった。
その様子に、相手の女性も核心を得たのか、大きく頷いて口を開く。
「レギーナって…やっぱり貴女だったのね」
もう随分昔のことである。
そう、八年も昔に姿を消したその人。
だがその姿は八年前のまま、服装以外に変わったところなど欠片もなかった。
十九で消えた時のまま、今、目前に立っている。
「先輩、全然変わってないんですね」
「貴女は大人になったわね。それに、八年の間に夢を叶えたのね。凄いわ」
じわりと熱いものが込み上げてきた。
「いえ…先輩…生きて…いたんですね…私、よかった…」
「泣いてくれるの?私のために…?」
「だって先輩。事件に巻き込まれたって。警察が聞きに来て…私のせいで田中さんと喧嘩してくれて…そのまま消えてしまったから…」
「自分を責めたのね…ごめんなさい」
「いいえ、謝るのは私のほうです。あんな些細(ささい)な事で喧嘩させて、そのせいで先輩はこっちに来てしまったんですね」
「それは違うの。私がこちらへ来てしまったのは、偶然が重なった事故のようなもの。貴女が原因になったわけじゃないわ。それにこうして生きているんだもの。だから何も泣くことないのよ」
「は…い。でも、嬉しい…んです。こうして、先輩が生きていた…事が」
肩が激しく上下するのが、自分でも分かった。
興奮したせいだろう。
「少し…座っても…いいです、か…」
視界が霞(かす)み始めたのにも気が付いたが、何とか踏みとどまろうと意識を集中させる。
しかし一向に視界は晴れず、沈んでゆく体をどうにも起こすことが出来ない。
は優しい腕に支えられているのを感じながら、長旅の疲れに襲われて意識を手放した。
「では小宗伯、薬湯をこちらに置いておきます」
「はい…。何か食べさせてから飲ませた方がよろしいですか?」
「そうでございますね。食べ物を受け付けるようであれば、そうして頂いたほうが体への負担は少ないでしょう」
「分かりました」
徐々に浮上していく意識。
瞳を開けると懐かしい顔が飛び込んできた。
「先輩…」
「ああ、目が醒めたのね。随分衰弱しているようだから、ゆっくり休みなさい。何か食べれそう?」
は首を横に振り、立ち上がりかけている微笑みに質問を飛ばした。
「ショウソウハクってのは…何ですか」
「ああ、称号よ。役職名と言ったほうがいいかしら」
「先輩は、こちらに来てからどれぐらい経つんですか?」
向こうの部屋にあった水差しを手に取った小宗伯は、の方へ戻りながら口を開く。
「八年ほど経ったかしら」
「え…じゃあ…」
「そうよ、あの日の夜…こちらに流れてきたの。でも貴女ほど大変な目に遭ったわけじゃないから、私は幸運だったわ」
くったくなく笑い、再び腰をおろした小宗伯。
「私は…生きているだけでも幸運だったと思います」
「そう…。強いのね」
「強いんでしょうか。…あの島で惨状を見てしまったから、そう思うのかもしれません」
「島…?まさか、沛乎島(はいことう)に流されたの?」
あの時感じ取った恐怖を思い出したのか、は衾褥(ふとん)の中で身を竦ませるようにした。
「沛乎島と言うんですか?島の一部分が削り取られていて、動物の死骸がいくつか見えたんです。もっとよく見れば、人が出てきそうで恐くて逃げたんです」
「蝕の被害にあった里がひとつあったのだけど…壊滅的だと聞いたわ。生存者は誰も発見されなかった。見なくて正解だったのよ」
労(いたわ)るような腕が伸ばされ、衾褥の上から優しく撫でるような動作が伝わる。
「ただ…戻れない事だけは分かって。私が戻れなかったように、貴女も戻れないの。とても辛いだろうけど…」
「それは聞いてます。だから、もうとっくにあきらめはついてるんです…」
「そう…。郷長もそこはきちんと説明していたのね」
「郷長と言うのは…?」
「郷は県の下ね。区画の一種だと思えばいいわ。都道府県、市町村のように。この世界では、国、州、郡、郷、県…と続いていくのだけど、貴女が療養していたのは、横流(おうりゅう)郷という所の郷城だったのよ。貴女に称号を聞いたのも郷長のはずよ。そのように報告を受けているから」
「ああ、じゃああの丁寧すぎる人が郷長ですね。でも、説明してくれたのはその人ではなくて…そうですね、その後に親しみやすいと言うか、気軽な感じの人が来て説明してくれたんです。黒髪で背の高い人で…体格からして軍人さんかもしれませんね」
ぴくり、と小宗伯の眉が動いたのを、は気付かずにいた。
「最近かしら?それを説明されたのは」
が頷いて答えると、小宗伯は笑顔をに向けて言った。
「横流郷まで行って何を説明しているのかしら…本当に困った方だわ」
そう言うと大きな息を吐く。
ただの頷きが、小宗伯の大きな溜息を誘った。
「あ、あの、先輩。その…ごめんなさい」
「あら、貴女が謝る事じゃないのよ」
そう言って笑う顔が先程よりも柔和で優しく見え、ほっと安堵の息を漏らす。
しかし急激に不安になって口を開く。
「私…これからどうなるんでしょう」
はそう言って泣きそうな顔を小宗伯に向けた。
「主上も気に止めておられるようだし、今後の事は心配しなくてもいいわ。私も口添えをするつもりだし」
「シュジョウ…とは?」
「ああ、この国の王の事ね。私は今、この国に仕えているから」
「王様…?じゃあレックスですね」
「レックス?ああ、ラテン語?」
「そうです。ケフェウスの事ですね」
「懐かしい。じゃあ貴女は女王だからカシオペヤね…この国では、見ることが出来ないけど」
「先輩もそう思いました?私も…私も同じ事を思いました」
そう言うと、じわりとあつくなる目頭。
「そう…辛かったわね」
労る手が無性に涙を誘った。
泣き終わるまで、その手は優しくを撫でる。
落ち着くと薬湯を飲まされ、眠りが来るだろうと言って、小宗伯は退出していった。
一人になると、すぐに眠りが近付いてくる。
眠りに落ちる直前、は疑問を抱いて小さく呟いた。
「どうして、王様が私を気に止めたりするのかしら…」
それに答える声はなく、考える時間もまた、今のにはなかった。
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