ドリーム小説
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煌羽の誓い =17= その日の夜、は手だけを拘束されて、国府へ向かう華軒に乗せられていた。
つけられた見張りは三名いたが、は一切それらを見ることなく、瞳を閉じて大人しくしていた。
ただは固まったようにじっとして、浩瀚の顔を思い浮かべていた。
あれからどうしているのだろうか。
潜伏しているのだから、無事でいると信じてはいたが、連絡と取り合っているわけではない。
もちろんが捕まったことも、知っているはずなかった。
今までは、麦州城で浩瀚が待っていた。
だが、今は何処にいるのか分からない。
最悪の予想は見事に的中していたし、は国府に向かっていたのだから。
だが、国府のすべてが靖共の言いなりとは思えない。
王は靖共に操られていると、浩瀚は言っていた。
それなら、まだ可能性はあるのではないだろうか。
王に直訴し、訴える事が出来るなら…。
華軒の振動を全体で感じながら、はそんなことを考えていた。
だからだろうか、予想よりも早くに国府についたような気がした。
外は暗かったが、陽が暮れたばかりなのか、夜中なのか分からない。
華軒から降ろされたは、すぐに輿に乗せられ運ばれることになった。
ただ、これまでとは違い、手も足も拘束され、口元まで布で覆われてしまった。
輿も幕で覆われ、どの道をどう進んでいるのか分からず、ここに来て初めて、は焦りを覚えた。
この輿は、の姿を隠すと同時に、に道を悟らせぬものだ。
だが、冢宰の名を持ってしても、輿の中を改める事なく、進んで行くのはおかしい。
それだけ、靖共の力が甚大だと言うことだろうか。
門を通す天官も、護衛しているはずの夏官も、靖共の言いなりなのだろうか。
「これは…難渋を極めそうね…」
父や母が国府にいた時とは、比べものにならないほど、靖共は力を付けているのだろう。
よく考えてみれば分かる事だったはずなのに…。
自責の念が身を襲おうとしていたが、もはや覚悟を決めるしかないのだ。
輿が止まった場所は、しんとして何の音もなかった。
ここは何処なのだろうかと思っていると、幕が開けられる。
そこは暗い堂室だった。
手足を解放されたは、口元の布を自らの手で剥ぎ取った。
「ご苦労」
何もない空間なのか、男の声が響き渡った。
横を見ると、薄明かりの中に一人の男が立っている。
「お前が煌羽の盟主か?」
「…あなたは誰。母の仇?それとも父の仇?」
の言った事に対し、鼻で笑ったような音が帰ってきた。
「両方だと言ったら?」
「私に何用です」
「ほう…なかなか肝の据わった女だな。まるで…盟羽を見ているようだ」
「当然でしょう。母がそのように私を育てたのですから」
「盟羽を殺したのは、わたしの命ではない。あれは呀峰が勝手にやったことだ」
「誰の命でも、母が死んだ事に変わりない。白い花が、母の血を吸って赤く染まったあの景色…私は一生忘れない」
「そうか。ところで、国官になりたくはないか?」
は驚いて男の顔を見た。
薄暗がりの中で、男は笑っている。
「何…を…」
「国官になり、一緒に王を支えて行こうと言っているのだが?父や母の遺志を、継ぎたいとは思わんか?」
の手は小刻みに震え、それを押さえるために堅く握られた拳もまた、震えを露わにしていた。
「何故…私にその話をなさるのです」
声までもが震えていたが、は未だ名乗らぬ男を睨みながら言う。
「哀れに思うからだ。娘が国官になれば、盟羽も喜ぶだろう」
名乗らずとも、は目前の男が誰なのか知っている。
母と父の仇は、その娘に言っている意味を分かっているのだろうか。
「そう思っておられたのなら何故、私はここまで拘束されて来たのです?」
「…さて、拘束せよと言った覚えはないが」
それを受けたは、静かに、しかしはっきりと言い切った。
「靖共。煌羽を国に迎えたいのなら、それは不可能と申しておきましょう。煌羽の盟主は、和州侯呀峰に捕らえられ、大きな傷を負った。なんとか生き延び、療養しているその間、自然離散し、今は名ばかり。唯一煌羽と言えるのは、この私…盟主ただ一人です」
「何…?」
「そしてその盟主はこう言いましょう。倶(とも)には天を戴かずと」
「…自分の立場を、わきまえておらぬようだな」
「いいえ。よく分かっております。処刑したければ、この場で私を斬りなさい。父と同じ場所で死ねるなら本望です」
「ここは敦厚の死んだ場所ではないが、それでも斬ってほしいか」
盟約は守られず、この場で命尽きようとも、靖共に屈して生きることはしたくない。
明郭に居る麦州の民を守り、謀反の気配から靖共の目を反らす事が出来るのなら、それでも良いと思った。
「好きになさい」
自ら首を前へ出し、その場に跪いた。
瞳を閉じると、浩瀚の顔が浮かぶ。
酷く悲しそうな表情をしたの中の浩瀚は、首を横に振っている。
まだ諦めてはいけないと、そう言っているようだった。
しかし、このまま靖共の下につくことは、浩瀚をも裏切ることになる。
それだけは絶対にしたくないと思ったのだ。
が心の中で葛藤を繰り返していると、靖共の指示する声が堂内に響き渡った。
「この者を捕らえ、拘束せよ」
ざっと動いた複数の足は、の体を立たせて引きずり始めた。
ただなされるがままのは、消えゆく靖共の後ろ姿を見た。
そしてそれとほぼ同時に、違う戸口に消えた。
また知らない場所に連れて来られたは、暗い房室に入れられる。
戸口に鎖を掛けられ、窓にも杭が打ち付けられる。
それ以外は普通の房室だった。
臥室ではないようだったが、牀が置かれている。
書棚の横には卓子と水差しが置かれ、それ以外は何もない。
扉を一つ見つけたは、そちらを空ける。
たくさんの襦裙と、浴室がそこにはあった。
ここで生活せよと言う事なのだろう。
簡素ではあったが、豪奢な感じは拭えない、よほど私服を肥やしているに違いない、とは心中で呟いた。
「私を拘留して…どうしようと言うの…」
靖共には殺すことが出来なかったのだろうか。
父を貶めておいて、その娘には手をかけられぬと?
「莫迦な…」
母に惚れていたと言った、呀峰の言が脳裏に蘇る。
しかし、は盟羽ではない。
その意志を継ぐ者として、影を重ねたのだろうか。
それとも、心変わりを待つつもりなのだろうか。
「共助など、出来ようはずもない」
暗闇の中で、はそう呟き、牀へ向かい横になった。
翌日、あまり眠れなかったの許に、朝餉が運ばれてきた。
ここの官邸の者は、一様に事情を知っているのか、それともよくこういった事があるのか、鎖を外して入って来ることに抵抗がない。
とりあえず出された物を食べたは、再び器を取りに来た女御に問う。
「ここは靖共の官邸でしょうか?」
「…」
「私を拘留して、何か利点がございますか?」
「…」
「あなた達は、良心に恥じないの?」
「…」
「国府も…ここまで汚れてしまったのね…」
何も返してこない女に、は大きく息を吐く。
ここは一体、国府のどの辺りなのだろうか。
外朝か、内朝かも分からない。
金波宮なのだろうが、それも多少疑わしい。
なにしろ殆ど何も見ずに、和州から運ばれてきたのだから。
何とかこの事を、外に知らせる事は出来ないものだろうか。
そう考えていたは、次第に諦める事となる。
外に知らせるのは、全く不可能だった。
人が来るのは食事の時だけ。
それも女御が持ってくるのだが、背後には必ず三名の男が見張っている。
女には幾度か話しかけだが、やはり何も答えなかった。
しかしいつだったか、微かに申し訳なさそうな表情をし、ちらりと戸口に目をやり、器の回収に戻った。
窓は開けられることなく、灯りを頼らないと、一条も光が刺さない。
食事の時間は定期的だったが、幾日も続くと、次第に日を換算する事を止めてしまった。
唯一救いなのは、書棚の中にある、数々の蔵書だった。
母の好みそうなものが多かったのは、やはり靖共の指示なのだろう。
いつものように、灯りをつけて本を手に取ったは、重々しい鎖の音に動きを止める。
本を持ったまま、戸口をじっと眺めていた。
やがてそこから姿を現したのは、いつもの女ではなく靖共だった。
「靖共…いつまで私をここに置いておくつもりですか?」
冷たくいったの言に、靖共は動じた様子もなく答える。
「国官になるのなら、今すぐにでも出て構わないが」
「…それはあなたの傘下に入れと言う事でしょう。あの時申し上げた事に、今も変わりありません」
「ふっ…。倶には天を戴かずと?」
「父と母を失った娘が、仇にそう思うのは当然でしょう?」
「…その本は」
手元に目を向けた靖共は、の返答を待たずに言った。
「盟羽が好きだったものだな」
母をよく知っているのかと、問いかけたそうになったは、慌てて言を飲み込んだ。
黙って本に目を落とす。
「また来よう」
靖共はすぐにそう言って、房室を後にした。
は本を持ったまま卓子に移動し、本を開いて読み始めた。
薄暗い房室で、母が好きだったと言うそれを。
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