ドリーム小説
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煌羽の誓い =19= 「夕餉はいらないようだ」
耳に入ってきた靖共の声に、は本を見つめたまま問いかける。
「あの女御をどうしたのです?」
「それで機嫌を損ねたか」
は音を立てて本を閉じる。
靖共に向き直り、睨みながら言った。
「非道な事をしたのではないでしょうね?」
「さて、処分はそこの女に任せたのでな。詳しいことは知らぬ」
浩瀚を顎で指し、靖共は不敵に笑ってに目を向けた。
「女御一人が心配とは、さすがは盟羽の娘と言ったところか」
「…人として、当然の事です」
「盟和も昔、そのような事を言っていたかな…」
「そうですか」
ふいと顔を逸らしたを見ながら、靖共は女御に目を向けて言った。
「お前、もう退がってよいぞ」
それに被さるように、の口が開かれる。
「それは許しません。この者には詳しく聞かなくては。彼女の処分がどう行われたのかを」
「おやおや。恐い顔して、女御を懲らしめようというのか?」
「聞くだけです。しかし、説教はまぬがれません。一晩、ここから出ることは許しません」
「では、好きなようにするがいい」
靖共はそう言うと、背後に控えていた男達を伴って房室を後にした。
鎖がしっかりとかかったのを聞き、は本を書棚に直した。
浩瀚もすでに立ち上がっており、のすぐ後ろに立っている。
「浩瀚、あの女御は…」
「瑛州で匿っている」
そう言うと、はほっと息をついた。
「良かった…彼女が私を逃がそうとしていたと言うのは、本当のこと?」
そう問うと、浩瀚は頷いて答えた。
「話を持ちかけたら、すぐに了承してくれた。この房室の異常さに、怯えていたようにも見受けられたが…」
浩瀚はそう言って、杭で打たれた窓を見ながら、を引き寄せた。
「こんな所に閉じこめられて…正常を保っていられるのは、さすがと言おうか…来るのが遅くなってしまった、すまない」
「危ないことをしたあなたを、叱るべきなのでしょうが…私にはそれが出来ない。だって…こんなにも嬉しい…あなたが居ることが、こんなにも心強い…」
はそう言うと、自らも腕を伸ばして浩瀚の背に廻した。
それを受けて、浩瀚の顔が寄せられる。
また、長い口付けを交わした。
「。一つ、悪い知らせがある」
口付けの後、浩瀚はそう言って、の顔を胸元に押しつけた。
頭の後ろにある手によって、は顔が上げることが出来ず、浩瀚の表情を見ることなく、それを聞いた。
「固継にある里家が何者かに襲われ、閭胥が…浚われた。里家にいた若い娘は殺され、その弟は行方不明。もう一人の娘も行方が知れないと言うことだ」
強ばるの体を、腕の中で感じた浩瀚は、その背をあやすように撫で始める。
「若い娘…あの子…殺された…?そんな…まさか…」
里家において姉弟というのはが知る限り、蘭玉と桂桂だけだった。
「…」
浩瀚の胸に拳を当て、は俯いて言う。
「とても働き者の…いい子だったの…いいえ…でも、いいえ。きっと違うわ…だって里家だもの。もっと他にも…」
「他に…?」
少し離れた背から、肩に手を置いた浩瀚はを見る。
「子童はもっといたはずよ…」
「ああ…少し前…妖魔に襲われたと。残ったのは、殺された娘と弟。それに新しく来た娘だと言うことだ」
それはつまり、の知っている里家の生存者はいないと言うことだった。
「乙…老師は…」
「浚われて、行方が掴めない。実はここにいるのかとも思ったが…思い違いだったようだ」
「靖共…いつも、私の関わった者を掠め取っていくのね…許さない」
「」
浩瀚は殆ど離れてしまったの体を、再び引き寄せて腕の中に入れる。
そして静かに、諭すように言った。
「靖共を裁くのは、国でなくてはならない。私達は、そのために離れて動いたのではなかっただろうか?」
「分かって…います。でも…靖共は…」
「…乱が起きる」
ははっと顔を上げて、浩瀚を見つめる。
「いつ…?」
「明日、未明に」
「では…人数が揃ったのですね?」
「いや。充分とは言えないが…勝つことが目的ではないからな。それと、明日ではならない事情が持ち上がった」
「それは…」
「拓峰で反旗を翻した、義民の一団がいた。彼らの狙いは止水郷長」
「昇紘…虎嘯達だわ…」
そう呟いたに、軽く驚いた浩瀚の視線が向かう。
はそれに頷いて、浩瀚に説明する。
「以前、和州でお世話になっていた舎館…。そこに集う人達は、ずっと昇紘を狙っていたのです」
「なるほど…しかし、呀峰との癒着は念頭に入っていないようだと、桓タイからの報告があった。そこで、桓タイが今、五千を連れて拓峰に向かっている。拓峰に和州師をひきつけておいて、明郭で柴望が動く」
上手い具合に兵力が分散されれば、両方が成功を収めるかもしれない。
「」
浩瀚に呼ばれ、は思考を止めた。
桜色の襦裙に身を包んだままの浩瀚は、杭の打たれた窓に寄っていく。
「その窓は…外から打ち付けられているのよ」
「外してあるから問題ない。煌羽の盟主がここで死んだとあっては、明郭に集った千人が救われない」
「千…?煌羽が、そんなにも?」
浩瀚は窓の杭に手を掛けながら、頷いて説明する。
「桓タイが集めた傭兵が三百。煌羽が千二百。麦州の州師が一万三千五百。合計で一万五千が集まり、内、五千が桓タイと行動を共にしている」
「和州師と私兵を合わせて二万五千としても、分散するなら…勝てない数ではないわ」
杭は音もなく外れて行き、最後にかたん、と音がして、窓は完全に取り払われた。
外は暗く、人の気配はない。
「冢宰府は随分と暇なようだ。いつも日が暮れると、閑散としている」
そう言った浩瀚を見ながら、は連れて来られた日のことを思い出していた。
確かに、待ち受けていた者以外に、人の気配はなかった。
「よく慣れた騎獣を連れて来ている。誰も来ない内に、早く」
窓によじ登った浩瀚は、に手を差しのばしながらそう言った。
慌てて窓に駆け寄ったは、浩瀚の手をとり、足をかける。
長い間拘留されていた房室を離れ、庭院を横切り、雲海に面した所に出る。
冢宰府の裏に当たるそこで、浩瀚はひゅっと小さな口笛を吹いた。
すぐに騎獣は来たようだった。
急いで騎乗し、そのまま冢宰府を抜け、金波宮を離れる。
追っ手の来ない内にと、手綱を緩めることなく騎獣を進めた。
やがて空が薄く染まり初め、二人は見覚えのある場所に帰ってきた。
そう、麦州城へと戻ってきたのだった。
まだ誰も起きていないのか、麦州城はしんとして物音一つなかった。
浩瀚は騎獣を降り、に手を伸ばす。
その場に騎獣の手綱を括り付けると、浩瀚の自室に場所を移し、そこで簡素な服に着替えた。
もちろん、二人ともが。
「なんだか少し、もったいない気も致しますね」
「もったいないとは…?」
「とても綺麗な女性が、一人消えてしまいましたわ」
がそう言うと、浩瀚は苦笑して歩き出した。
その後について歩き、は再び騎獣の手綱を外す浩瀚を見ていた。
「これからどちらへ…?」
「瑛州に現在隠れている館第がある。柴望からの連絡もそこに届く」
下界へ通じる門から騎乗し、瑛州へ向けて発った。
「みんな…無事かしら…」
明郭の仲間達、拓峰の恩人達。
どちらも無事でいてほしい。
「は無事でいるだろうかと、明郭から幾度か問い合わせがあった。煌羽の者が増えるほど、その問いは増えていったようだ」
「それにしても千とは…何故そこまで集まったのでしょう?」
「盟主ともあろうお方が、無自覚でおられる」
笑いながら言った浩瀚に、は首を傾げていた。
本当に無自覚なその様子に、浩瀚は苦笑する。
昼を過ぎた頃、目的の場所まで辿り着いた二人。
館第に入ると、冢宰府で食事を運んでいた女御が居た。
女はを見ると、瞳に涙を溜めて言った。
「ご無事で…」
初めて聞いた彼女の声に、は微笑んで歩み寄った。
「逃がそうとしてくれたのですね…。ありがとうございます。貴女もご無事で何よりです」
がそう言うと、女御はさらに涙を流し、その場に伏せてしまった。
優しく肩に手を置き、は静かに言う。
「生きている事が、何よりも大切ですもの。だけど、己に恥じない生き方をした貴女は、ただ生きている人の何倍も立派です」
女御は顔を上げて、濡れた頬をに向けた。
驚いたような双眸がそこにはあった。
「だから、もう泣かないで下さい。今私がこうしていられるのは、貴女のおかげでもあるのですから」
「そんな…私は結局何も…」
「いいえ。私を逃がそうとするのは、とても危険な事だった。それに、新たな者が信頼を得るために、犠牲になってくれたのでしょう?」
「わたしはただ、お任せしただけです…」
「でも、とても勇気がいったでしょう?本当に、感謝致します」
「そんな…」
女御は再び叩頭し、は浩瀚に促されて立ち上がった。
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