ドリーム小説
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煌羽の誓い =9= それから三日経過したその日。
「浩瀚さま」
麦州師の左将軍が浩瀚を呼びとめた。
「桓タイか。どうした」
足を止めて待つ浩瀚に、左将軍は歩み寄って言った。
「例の港の事なのですが」
眉間に力が入ったのが自分でも分かったが、浩瀚はそのままで問う。
「何かあったのか?」
「先日、何と申しましたでしょうか…煌…なんとかの女性が向かわれたはずですね?」
「煌羽のか?」
「ああ、そうです。そのさまですが、まだ港に着いていないとの事です」
「着いていない?そんなはずはないだろう。もう三日も経過している」
「はい。ですので、お耳に入れておこうと思いまして。探して参りましょうか?」
「…そうだな。頼めるか?」
「はい」
桓タイは歯切れよく返事し、すぐにその場を下がった。
一抹の不安を抱えたまま、浩瀚もその場を離れる。
桓タイが戻ってきたのは、陽が完全に落ちてからだった。
「騎獣で街道を走り、出くわす人物全てに聞いたのですが…」
「いなかったと?」
「はい。妖魔に襲われたような気配は、何処にもなかったのですが…申し訳ございません」
「お前が謝る必要はない。彼女なら大丈夫だろう」
必ず生きて戻ると言ったのだから。
今はそう信じて待つより他に、道はなかった。
予青六年、二月の事であった。
それから三ヵ月後。
慶東国国主、景王舒覚崩御の知らせが国中を駆け巡った。
少しずつ戻ってくるであろう女達に混じって、が戻ってくる事を切に願うは、当然の事だった。
あれから連絡も何もなく、生存の確認ももちろん出来ていない。
誓った事を思い出し、戻ってくると信じてはいても、不安が浩瀚の胸中から去る事はなかった。
景王の崩御から幾週かが経過したある日、麦州産県での事。
松塾で乙は院子に立ち、訪ねて来た人物と話をしていた。
「禅譲であったそうじゃよ。慈悲深い王であったのじゃな…」
「そうですか…。逃げ回っておりましたから、世情が分からずに戻ってくるのが遅れてしまいました。老師にもご心配をおかけして、大変恐縮に思っております」
「何、生きておると麦候が仰るでな。わしは信じておったよ」
「麦候が?」
うん、と頷いて乙は微笑む。
「いかな境遇に於いても、必ず生きて戻られん。例え竄匿し恥辱を舐めようとも、浩嘆の地に貶められようとも、それを盟誓されんとす。そう誓約したと。懐かしいのう…」
「そんな古い書置きを、よく覚えてらっしゃる…」
そう言うに、乙は柔和に笑む。
「再度聞いたからの。思い出したのじゃ。で、麦州城に真っ直ぐ向かわず、こちらに来たのは何か訳があるのかのう?」
そう乙が問うと、は姿勢を正し、表情をも正して言った。
「はい。ご警告を」
「警告?」
「私を追っていた者達は、この松塾をも狙っております。くれぐれも気をつけて下さいませ」
「何者か?」
「恐らく和州の者かと。私も幾度か…麦州城から港に向かう際に襲われ、その後も転々としましたが、嗅ぎつけてくるのです。煌羽の時のような事をせねば、あまり気がつかないようなのですが…麦州か和州に近いほど、その確立が高かったのです。となると後はそのようなことをする、官吏の消去法ですわ。どう考えても、麦州にそれを行う者はおりませんもの」
麦州に於いて嗅ぎつけられると言うことは、麦州は常に見張られていると考えて良いだろう。
それを行っている者、それは…
「和州候呀峰か…」
「ええ…確証はないのですが、確信がございます。私が狙われるのは、煌羽の盟主だからですが、幸い煌羽はどこにでも消える事が出来ます。しかし松塾の場合、塾として構えておりますので、何が起こるか分かりません。最近、何か変わった事はございませんでしたか?」
の問いに、乙は険しい表情で答えた。
「先日靖共から迎えが来たそうじゃ。仕える気はないかと。塾頭が相談に来ての。もちろん断るように言ったのじゃがな」
「それは…ではやはりもう動いていたのですね。私の父母を殺したのですから、この松塾にも何をするか分かりません」
「警戒が必…」
乙はそこまでを言い、口を閉ざして目を四方に巡らせた。
その様子に、も習って四方を見る。
「老師…煙が!」
がそう叫んだ瞬間、何処からか悲鳴が耳に飛び込む。
「、早く逃げなさい!」
「は、はい!老師もお早く!皆も逃げておりましょう」
乙は頷いたが、講堂の方へと走って行った。
迷った挙句、も乙の後を追う。
数名の男がおり、幾人かの学生らしき者が倒れている。
講堂の中はすでに火が広がり、窓を覆い隠していた。
どれほどの人物が逃げおおせたのだろうか。
「おい!女がいるぞ!!」
の背後で声が響き、それを合図には走りだした。
振り返ることもせず、ただひたすら走るの肩に、激痛が走る。
矢を穿たれたのだと気がついたが、構っている暇などない。
誰も人がいない事をなんとか見ながら、は必死に逃げ惑った。
煙に目が霞み始め、意識が薄くなりつつあったが、とにかく足を止めずに走り続けた。
実際どれほどの速さで、どれほど遠くへ走ったのかは分からない。
途中で馬を見つけ、それに騎乗した。
背にもたれかかったまま、随分と長い間揺られていたように思う。
ついには背から転げ落ちて、矢はさらに深く刺さっていく。
ふらふらと走る足も遂には萎えてしまった。
ここが何処かも判然としない中、は意識を失おうとしている。
ただ倒れた時には、草の匂いに包まれ、肩が熱を持ったように疼いていた。
肩の痛みに、急激に覚醒される意識。
「うっ…」
冷たい床が頬に触れており、広い堂室の中に居る事に気がついたは、体を起こそうと手を動かした。
しかし、激痛に苛まれ、しばらく動く事が出来なかった。
何事かと目だけを動かす。
矢は左肩を貫通しており、よく見れば一本ではなかった。
肩には二本、腕にも一本。
そして右足にも二本刺さっている。
「気がついたか」
低く耳障りな声が前方から聞こえ、は顔を上げていた。
不敵に笑うその男を、は知らなかった。
しかし位袍がに警戒を呼びかけ、あえて丁寧な口調を避けよとの心の声に従う。
「…誰?」
「そうか。まあ知らぬのも当然か」
にやにや笑うその男は、まだ霞むの目が確かならば候の位。
そして怪我を負ったを見て笑うこの男、最悪の予想では州候に違いないと思っていた。
だとすれば、ここは恐らく州城…和州城の中なのだ。
目前の男は和州候呀峰ではなかろうか…。
「ご立派なお方。私をここに連れて来た理由は何ですか?」
呀峰らしきこの人物は、を煌羽の盟主と知って、ここに連れてきたのだろうか。
「松塾の者だな」
「…たまに通って話を聞いていただけで、学生ってわけじゃないです」
「ふん、そうか。全員死んだか?」
丁寧に言を選べば、官吏である事が分かりかねない
。官吏である事が知れると、紀州の県城にも手が伸び、煌羽が露見してしまう可能性が出てくる。
伯父にも迷惑がかかってしまう…。
「煙に巻かれて、何も見えな…かったです」
「ちっ、面白くない。おい、もう死にそうではないか」
の背後に話しかける男を見ながら、は朦朧とし始める意識を呼び戻した。
「なんで焼いたりしたんです?」
「ん?何故焼いたかと?はっ、決まっておる。いらぬからだ」
「…どうゆうこと?」
「道を説くような者はいらぬ。そう思われる方がおられると言う事だな。まず始めに邪魔だったのは、煌羽とか言う集団だ。これは命じて盟主を殺させた。あの方は盟主を生け捕って、連れて来いと仰っていたが…はっ、惚れておったのか。今は新しく盟主になった娘を血眼で捜しておるわ」
「あの方?惚れて?」
がそう問えば、男は面白そうに体を揺すって答える。
「惚れておったとしか考えられんな。煌羽の前の盟主は元国官でな、その夫も同じく官吏だった。罠にかけて貶め、盟主の前で惨殺する事に成功した。それから優しく懐柔したようだが、相手にされずに逃がしたようだ。まあ、数年後に見つけたがな」
「へえ…それで、なんで私が矢を受けなきゃいけなかったんです?」
「お前が矢にかけられたのは、松塾におったのだから仕方あるまい。じわじわ死んでいくのを楽しむのも、面白いだろう」
間違いない、とは思った
。あの方とは靖共の事だ。
靖共は母に惚れていたのか?…それで父を殺した?なんて事を考える官吏なのだ。今や冢宰にまで上りつめたのが、そのような男とは。
「お前はどう思う?」
問われたは少しの間の後、苦しげに答えた。
「分から、ない…帰して…」
演技をするつもりで声を出してみたものの、その必要はなかったようだ。矢傷以外にも、負傷しているのだろうか。全身が熱を持ったように熱く、視覚は徐々にぼやけ始めていた。
「ふん。面白みのない。よかろう。歩いて帰るが良い」
男は立ち上がると、しゅっと音を鳴らして剣を抜いた。の両足にそれを交互につきたて、城の出口まで運んでやれと行って下がった。声も出せずにいたは、両脇を抱えられて運ばれるのを、遠のく意識の中で感じていた。
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