ドリーム小説
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夢幻の国 =10= 「台輔!無事、お戻り下さいましたか」
「台輔、お加減は?」
「妖魔に襲われたとか…大丈夫でしたか?」
彩州府に着くやいなや、次々とかけられる言葉に、は微笑んで答える。
「心配はいりません。ここはどうでしょうか?」
「はい、やはり空位ですので、問題は次々と起きますが…それは覚悟していた事ですので、何とか対処しております」
「そうですか。乱を起こそうとしている者がいたとか。彩州でそのような報告は受けておりますか?」
問われた文官は驚いてを見る。
「乱…ですか?いいえ、まさか…どこからそのような噂を?」
「知らぬのなら良いのです。では、私は書房におりますから、書類があればそこへ持ってくるように。更夜、参りましょう」
彩州府の最北部に書房はあった。
列植された木々と、人工的に作られたせせらぎが、心を落ち着けてくれそうだ。
書房に入ってすぐ、女官がやってきて取り急ぎの決済がいると、いくつかの書面をに渡して退がっていった。
すぐに作業にかかったをしばらく観察していた更夜は、ふと目をそらして窓へと歩いていった。
窓からは丁度せせらぎが見えている。
さらさらと耳に優しい音が聞こえてくるようだった。
造園を望む窓から、外の景色を見ていた更夜に、書面に向かっているはずのから質問が飛ぶ。
「更夜、私はやはりここにいるべきではないのでしょうか…。皆に気を遣わせてしまっているような気が致します。戛戻の言うように、禁苑に隠れているほうが良いのでしょうか?」
の問いに更夜はしばし考え、静かに言った。
「…もし、のすぐ近くで殺戮がおこったらどうなる?」
「それは、私が襲われると言う事でしょうか?それなら使令が…」
「に向けられるべき刃ではなく。そうだね、例えば誰かが自害したとしよう。その血をが浴びてしまったら?わたしの知る限り、麒麟にはそれすらも毒だと思うよ。血の臭いで体調を崩すんだから…。誰がどう動いているのか、わたしはさっぱり見えないけど、本気で台輔をなんとかしようと思うのなら、それくらいはやりかねないよ。なにしろすでに…王を殺しているぐらいだからね」
「では、更夜の意見としては、ここは危ないと言うことでしょうか?…いえ、危険だと言っておりましたわね。それを押し切って帰って来たのは、私の短慮でした」
「短慮ではないよ。少なくとも、わたしには状況が見えない。いかにが冢宰、夏官長は良い方だと言っても、やはり自らの目で見るまでは判断出来ないからね」
庭院(なかにわ)から目をそらし、の方へと振り返る更夜。
「この目で確かめて、状況を少し把握出来たと思う。その結果、やはりここは危険だと思うな。反乱を起こそうとしていた者が、必ず宮城の中に潜んでいる。何故乱を起こそうとしているのかは分からない。分からないだけに、の身に危険がないとは言い切れない」
「反乱の理由ですか…私にも分かりません。反乱を起こさねばならぬほど、腐敗した朝ではないはずなのですが…渦中にいるから見えていないだけなのでしょうか…」
確かに、豊かな国ではない。
更夜の目から見ても、この国は雁国とさほど変わりないと思う。
ここで王を失ってしまった事は、王朝にとって相当痛いはずだ。
麒麟が生きていると言うのが、希望となって荒れていないのだろうと考えが及び、更夜の視線はに注がれる。
そのの視線は紙面に向かっていたが、手を動かすこともせずにじっと見つめている。
他に目のやり場がないと言った感じである。
「一つ聞いても良いかな」
はい、と言って、の紺碧が更夜を見つめる。
「が旅の道中立ち寄った里は、の意思で選んでいたの?寥郭…だったかな?あそこには長い間いた?」
あれは晧州(こうしゅう)だったかと、寥郭(りょうかく)を思い出そうと宙を見つめる更夜。
戸惑うような声がそれに答える。
「え?ええ…誰かに言われて里を移動していた訳ではありませんわ。寥郭にはしばらく滞在しておりました。やはり一度妖魔の群れが現れて、幾人か犠牲が出たのです。あの時一緒にいたのは、里家の子童です。妖魔の群れが現れた事によって、随分増えてしまったのですが…」
推敲郷(すいこうごう)は、と言っては続ける。
「主上も気にかけていた場所だったのです。元々あまりよくない郷長がいたのですが、主上が更迭したのです。その後すぐに主上は…」
悲しみがの顔を覆い、寂寥が身を包む。
その表情によって、更夜は幣帛(へいはく)を思い出していた。
吹雪の時に幣帛へ寄った。
にとって、辛い思い出の場所に。
それが誰かの指示であるはずはなかったのだが、それでも更夜は質問を重ねる。
「北へ向かったのは何故?北の地が好きだから?」
「いいえ…北へ向かったのは…そう、主上の思い出の地が多くあったからです。それでは、宮城にいるのと変わりないでしょうか…?でも、巡らずにはいられなかったのです。冢宰も最終的には認めてくれました」
「冢宰?どうして冢宰がそこ出てくるのかな?」
「え…冢宰は…どうだったかしら…あれは、そう。主上のお話になったのだわ。それで北の地の話しに発展して、そう…それで、どうしても行きたくなってしまって…」
「止められただろう?」
「ええ、もちろん止められましたわ。辛い思いをしに行くのなら、宮城にいればいいと…でも、それで気が済むのならと、最後は呆れていたかしら」
薄く笑ったに、更夜は笑みを返さない。
真剣な表情のまま、顎に手を当てて考え込んでしまった。
どうしたのかと見守るが、身じろぎ一つしないその様子に、は半ば諦めの心境で紙面に戻った。
持って来られた書面をあらかた片付けたは、未だ沈黙を守っている更夜に目を向ける。
「今日はもう終わりに致します。更夜もゆっくりお休み下さい」
がそう言うと、更夜は黙ったまま頷き立ち上がる。
仁重殿へ向かうため、宮道を歩く二人。
嚠喨宮(りゅうりょうきゅう)は伝える。
二人の足音を。
誰も姿を見せぬ、深夜であった。
幽光が射し込み、紺碧の世界は深まっていく。
言葉を交わさぬまま別れたが、更夜はまだ沈黙を守っていた。
一人になって、突然話し出すと言うこともないのだろうが、表情も崩れていない。
眉根に入った力を、ようやく抜くことが出来たのは、衾褥(ふとん)に入ってしばらく経ってからであった。
「は、王を探しに行くと言った。それが宮城に呼び戻されて…」
自分でも分からないと言った。
王の記憶を往(お)っているのか、新たな王の気を追っているのか。
ここに来てから、分からないことが多い。
世界や条理についてはともかくとして、この国の事がよく分からない。
燃やされた里には、一体何が起こったのか。
妖魔の群れは、果たして自然であるのか。
実のところ、更夜は疑っていた。
どのようにして、妖魔の群れを呼ぶのだと言われれば、返答に困っただろうが、ただ漠然と作為的ではないかと感じている。
ゆえに、宮城にが滞在する事に懸念を感じているのだ。
誰にも行方を告げず、出奔してしまうほうが良いのではないか。
そんなことを考えながら、更夜は浅い眠りについた。
明け方まだ薄暗い頃、庭院で眠っているはずの、ろくたの声が更夜を起こす。
血の匂いが流れてきた、とそう鳴いている。
眠りが浅かったため、すぐに行動に移した更夜は、天犬を伴って宮道を進む。
止める天官を非常事態だと言って押しのけ、ついにはの房室へと辿り着いた。
「!」
扉に手をかけると容易に開かれる。
「、何があっ…」
最後まで言わず、視界に映ったもので状況は分かった。
は紺碧の瞳を最大限にまで見開き、その場で固まったように立ち尽くしていた。
その目前には、獲如(かくじょ)の角に貫かれた女官の姿があった。
手には冬器が握られている。
飛び散った血はにも付着し、そのためか固まっている。
更夜はに駆け寄り、その肩に触れて呼びかける。
「、!」
更夜の声に、ゆっくりと横向けられるの紺碧。
「更夜…内宰が…内宰が…」
「血がついている。先に洗い流さないと…」
「…。いいえ…いいえ。大丈夫です。先に使令を寄越しました。太宰が来るまでは、頑張ります」
気丈にも足に力を入れ直す。
晤繞(ごじょう)は女の体を、から離れて床へと降ろす。
「…わかった。辛いのなら、わたしを支えに立つといい」
だが、の首は横に振られる。
更夜に寄りかかってしまえば、安心のために気力が抜け落ちると判じたのだった。
二人がしばらく待っていると、中年層の女性が駆けつけた。
息を切らしながら、朽ち果てた内宰とを交互に見る。
「台輔、これは一体…。どこにもお怪我はございませんか?」
「はい、私は…大丈夫です」
「ご説明願えますか?」
「はい…。内宰が、この房室に訪れたのは…空が白み始めた頃でした。何やら慌てた様子…でした。たまたま、私は起きており…ましたから、特に何の疑問も持たずに扉を開けたのです。中に転がり込むように…入ってきた内宰は、事情を聞こうと屈んだ私に冬器を向け…瞬く間に晤繞の角に…貫かれてしまいました」
「台輔を弑そうとしたのですね…なんと恐れ多い。ご無事でようございました。台輔、今日は一日お休み下さいませ。冢宰にも通達しておりますから、事後処理はわたくしどもが致しましょう」
「はい、では…頼みましたよ」
そこまでを言うと、はふらりと更夜に寄りかかる。
「台輔!いけません、お体を洗わなければ…」
太宰はそう言うと、更夜を軽く睨みながら言った。
「すぐにでも血を流さなければなりません。ご心配でしょうが、殿方はお退がり下さい」
太宰の手は、すでにの腰ひもを引こうとしていた。
白いうなじも露わになりつつある。
更夜はそれでも迷いながら後退する。
早くとせかすような声に、仕方なしに房室の外で待機する。
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