ドリーム小説
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夢幻の国 =11= 「太宰、大丈夫ですよ。これくらいなら…」
太宰はの襦裙を紐解きながら、心配そうな目を向ける。
「いけません台輔、大事なお体なのですから。使令は何をしているのです?こんなに台輔が苦しんでいると言うのに…」
「それは…私が血に当たってしまったからですわ…使令もあまり元気がなくなってしまったのです」
「まあ、台輔…そのような事を口にされてはいけません」
「そう…?」
太宰は動かしていた手を止めて、すっと袂に引き寄せる。
「もちろん、いけません。どんな者に聞かれても良いと言うほど、この宮城は安全ではないのです。誰が裏切り者なのか、誰が反逆を企んでいたのか、まだ分かっていないのですから」
露わになった肩が冷気に触れ、冷たい床がの体温を奪っていたが、すでにそれをどうする事も出来なかった。
動くのが酷くおっくうに感じる。
「太宰まで、そのように考えているのですね…」
「誰もが思っている事です。だから、迂闊に弱みを見せてはいけません。でないと、簡単に利用されてしまいますよ。こんな風に…」
動いた手の先には、きらりと光る白刃。
あっと驚く間もない内に、の上に馬乗りになった太宰は高らかに笑う。
「た…太宰…」
「台輔、お命頂戴いたします!」
高く振りかざされた冬器は、そのまま振り下ろされる事はなかった。
太宰の胸元には、四本の角が赤い鮮血を伴って貫かれていた。
滴る血はに降り注ぎ、太宰は断末魔の叫びを上げての上で息絶えた。
それと同時に、四本の鹿の角は消え、代わりに更夜が飛び込んでくる。
「!」
朱に染む中、更夜は躊躇いもなくを抱える。
「、」
呼びかけるが、何の返答もない。
「嫖姚、嫖姚!雲海の水で流せばいい?他に方法があるなら教えてほしい」
の女怪に問いかけるが、返答はなかった。
以前、六太にしたように、雲海の水で洗い流すため、更夜はろくたに騎獣する。
一番近い雲海に飛び込み、の衣類をすべて剥ぎ取った。
白い肢体はぐったりと動かず、目を覚ます気配もない。
ただ夢中になってその体を洗った。
六太はこの後、ずっと熱が続いているようだった。
はどうなのだろうか。
あの時は女怪が現れ、雲海の水で流せと指示したが、今回は姿を現すことすらなかった。
随分と前からの不調が続いていた証拠だ。
何度も何度も冷たい雲海で体を洗い、自らの衣を一枚脱いでをくるみ、再び仁重殿へと戻る。
すぐに湯を用意させたが、女官の手にはとても委ねる事など出来ず、を温めるために湯に浸す。
その間、己が凍りつきそうなほど冷え切っている事に、更夜は気が付いていなかった。
ただ、のみに集中し、その意識が戻る事だけを祈っていた。
「太宰や内宰までが反逆を…これでは誰を信じていいのか…分からない」
湯から上がり、乾いた布にを包み、牀榻に運ぶとそう呟いた。
血の気を失った蒼白の面を、更夜はじっと眺める。
その瞳が開かれることを、切望している自分に気が付き、少し驚くほどであった。
これほどまでに、紺碧の瞳を見たいと思った事はなかったように思う。
「…」
悲しい運命を背負ってしまった麒麟。
最愛の王に先立たれ、官の裏切りを目の当たりにし、血に犯されてしまった。
いっそ麒麟でなければ、これほどまでに苦しんだりしないだろうに…。
そっと手を握れば熱を伴ってあつい。
の手を握ったまま、自らの手に額を置いて瞳を閉じる。
ただ、祈ることしか出来ない自分が苛立たしく感じるほどである。
「…更夜」
はっと顔を上げれば、熱のせいか潤いを帯びた紺碧があった。
更夜の顔に安堵の色が広がっていく。
「…気分はどう?」
「大丈夫です…」
微かに笑ってみせるが、その表情が一層儚く悲しい。
何も言えずにいる更夜の目前で、握られたの手が動く。
自然と解かれた手をすり抜け、の手は更夜の頬に辿り着く。
「とても…冷たい…。海で洗ってくれたのですね…更夜、どうか、体を温めてきて下さい」
「出来ない」
「…何故、ですか?体に良くありません」
「離れた隙に、誰が来るのか分からない。使令も今は出てくることさえできないだろうから」
頬から離れたの手は、力無くぱたりと落ちる。
「使…嫖姚、嫖姚、出て来ることが出来ますか?晤繞、晤繞…」
力無く呼ぶ声に、微かに答える女の声。
「晤繞はしばらく控えたほうが…」
嫖姚(ひょうよう)だろう。
しかし嫖姚が姿を現すことはなかった。
晤繞(ごじょう)はその角で二人もの人物を貫いている。
出てくる事は憚られるが、返答をする事も出来ないのではないだろうか。
気配すらなかった。
「更夜、ここに…」
億劫に感じる体を動かし、は自らの隣に空間を作って更夜を見る。
中に入れというのだろうか。
「冷えたままではいけません。私のせいで、更夜に何かあれば…」
「仙籍にあるのだから、滅多な事では倒れたりしないよ」
「でも…」
泣きそうな紺碧に見つめられると身動きが取れないように感じ、ただの瞳を見つめ返していた。
「お願いです更夜。隣に来て下さい…」
熱のせいなのか、うっすらとの頬が赤い。
ろくたの立っているであろう扉を一瞥し、更夜はの隣に移動した。
安心した瞳とぶつかる。
紺碧の瞳はそのまますっと閉じられ、冷たい更夜の喉元に熱い頬が寄せられる。
「更夜…ありがとうございました」
また、ぱきん、と音が鳴る。
「、これは何の音?」
「音…?私には何も…聞こえませんでしたが…」
更夜は額に触らないように気を付けながら、の頭を抱え込んだ。
まどろむような感じは、すぐに訪れた。
もう、意識を呼び戻す方が難しい。
とろけるような眠りに落ちたのは、恐らく二人とも同時であっただろう。
翌日。
横たわったままのに、更夜は太宰の謀反について推理を立てていた。
「かなり、周到に計画されたものだと思う」
そう切り出した更夜に、横たわったままの紺碧が向けられる。
問いかけるような瞳がまだ物言わぬ内に、更夜の方から問いが発せられた。
「麒麟が弱れば、使令も弱る。それを知っているのは、この国では普通の事?」
「まだ主上がご健在の頃、宮城で謀反があったのです。蛻黯、翹猗、晤繞が主上を守りましたが、宮城に血の臭いが充満してしまったために、少し体調を崩してしまった事があったのです。冢宰と六官長はその事を知っておりますから、その気になれば全員が知る事も可能でありましょう」
蛻黯(せいあん)は岐尾蛇(きびだ)と言う妖魔であったか。
確か二股の蛇だ。翹猗(きょうい)は畢方(ひっぽう)と言う青い体躯に赤い斑で一本足の鶴。
晤繞(ごじょう)は獲如(かくじょ)と言う妖魔で、度々が召喚している四本角の鹿だ。
「使令の中でも、晤繞は筆頭です。その晤繞ですら、病んでしまうほどの臭気が宮城を包みました。見かねた冢宰の勧めで主上共々、准州城へ一時滞在した事もございました」
「恐らく今回の事は、どの程度血に弱いのか様子を見たんだね。内宰を使ってを襲わせ、目前で血を流させる。何も知らずに駆けつけたと装った太宰がの様子を窺って、可能なら次の行動に移す。駄目なら次の機会を狙う」
「…悲しい事です。天官も信用出来ないなんて。太宰は…信用してもよいと思っていたのに…」
悲しげに呟く声に、更夜の声が答える。
「、すぐにここを出よう。少しの間、我慢できるかな?」
「でも、お勤めが…」
「どっちにしろ、今は無理だろう?それなら、一刻も早く安全な場所に移動した方がいい。絶対に信用出来る者など、いないと思ったほうがいい」
「どこに行けば良いのです?誰も信用出来ないとなると…私には…」
「場所なんてどこでもいい。だけど、わたしは北の一部しか知らないからね。どこでも良いのなら、の好きな方向へ行くよ」
「では…南へ連れていって下さいますか?外で寝てしまっても、凍らない場所の方が良いですから」
「南は随分と暖かい?」
「はい。彩州を南に抜けると、温暖な風の吹く汽州に出ます。汽州では甘く大きな瓜の産地です。とても美味しいのですよ。南東は相州で玉石の産地です。南西の垠州は穀物の二期作が盛んですね」
「二期作?この国で?」
「ええ。南はどこも温暖ですので」
「どこも暖かい?」
「はい。南の州ですから」
二期作が出来るほど暖かいとは、想像する事が出来ない。
南とは言え北垂や幣帛を考えると外で寝るのは危険だろう。
の体のためにもそれはよくないはずだ。
それに、雲海をずっと行くわけにもいくまい。
どうしたものかと、更夜は頭を軽く捻って考え込んでいた。
しばらく悩んだ様子を見せたが、やがては頷いて方針を決めたようだった。
「更夜は…」
一人考え込んでいた更夜は、の声に下を見る。
「やはり、とても不思議…。最初に見た時の印象のままですわ」
寥郭(りょうかく)は風花が舞い踊っていた。
銀に反射する世界の中に現れた赤い妖獣。
いつの間にか現れた少年。
何もなかった世界に、突如舞い降りてきたようだった。
「あの日、私の目は更夜をとらえました。その瞬間、不思議な気持ちが生まれたのです。そう、天啓があった時のような、そんな感覚に似ておりました。ですが、天啓ではないのです。何かもっと別種の…どのように言えば良いのか難しいのですが…」
困ったような表情で微笑むに、更夜は薄く微笑んで手を伸ばしていった。
その体を抱え上げると、庭院へと向かう。
幾人かの天官が驚いてそれを見ていたが、お構いなしにどんどん進んだ。
天犬の側まで寄ると、さすがに咎める声があがったが、それでも一切を無視して騎乗する。
をしっかりと支えたまま、大空へと舞い上がる更夜。
目指したのは南東であった。
「こ…更夜」
「あそこは危険だ。血が流れたと言うのに、さほど遠くない所で療養させようとしている。血に弱いことをみんな知っているはずなのに」
そう、今後どうするかなど、今は考えている場合ではない。
行動に移すのみだった。
後のことはおいおい考えればよい。
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