ドリーム小説
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夢幻の国 =12= 陽の位置を考えると昼前だろうか。
ろくたの背に乗って、ひたすら南東を目指した。
雲海の上にいるからなのか、暖かい風が吹いている。
そして瞬く間に陽は西に傾き始めていた。
それでもただ広がる雲海が見えているだけ。
通常なら州城が見えていても良いころだと言うのに。
更夜の前で軽く寝息を立てているに、問いたげな目を向けると反応するかの如く開かれる紺碧。
ゆっくりと更夜を振り返ったを、落日の陽が染める。
金の世界に金の獣。
かくも美しき生き物かと思わせる一場であった。
「、このまま南東に向かって州城に一度行こうと思う。相州城から雲海を降りよう。そこが安全とは限らないけど、まさか宰輔を相手に突然襲いかかったりしないだろう?」
「…。ええ、でも何故相州に?」
「の話を聞いていて相州に決めた」
「私は…相州に行きたいようでしたか?」
「いや…むしろ垠州ではないかな?だから相州に向かっている。いずれにしろ雲海を抜けなければならない。だけど、軌跡を残しては危険が増えてしまう。そうなれば反対の行動を取って、少しでも危険から遠ざかったほうがいい」
「何故垠州と…?」
の問いに、苦笑した更夜は言う。
「さあ、何でかな。自分でもよく判らない。ただそんな気がしただけ…」
「更夜…ありがとうございます」
空の上だと言うのに、またしても枝を折るような音が響いた。
確かに、ぱきんと…。
しかしその思考はすぐに消えてしまった。
何故ならが涙を流し始めたからだった。
「…?」
「嬉しいのです。何故かしら…更夜のように自分でも分からないの…。でも嬉しくて涙が…」
はそう言うと、上半身だけを反転させて更夜の胸元に顔を埋めた。
震える肩の振動をそっと撫でると、涙で大きくなった紺碧が現れる。
その表情が惹きつける。
我知らず瞳の下に口付けていた。
「更夜…」
金の陽に反射する涙と金の髪。
更夜はいつの間にか、この神獣のためにこの国に来たのではないだろうかと思うようになっていた。
の望みがあるのなら、すべて叶えてあげたいと。
南東に進んで行くうちに陽は沈み、暗闇が雲海を覆って随分経った。
空に煌めく星々が雲海に光を灯す。
それでも景色は変わらず、ただ蒼茫が広がるのみである。
「もう、相州でしょう。しばらく行くと蒼真洞(そうしんどう)が見えて参ります。相州城に降りずとも、そこから下ることが出来ます」
「蒼真洞…?禁苑?」
「はい。ですが先々代の王が建てたものですので、現在は管理もされておりません」
「と言うことは、誰もいない?」
「ええ、おそらくは」
の言った通り、夜中を迎えずして小島が見えた。
凌雲山にしては低い方なのだろう。
小島の中心には確かに堂屋のようなものが存在する。
その建物の庭院に、天犬が舞い降りる。
ひっそりとして何一つ物音のない場所であった。
庭院から堂屋の中に入ったが、やはり誰もおらず、荒れ果てている。
更夜はを支えながら臥室を探す。
すぐに見つかったが、牀榻で眠ることが出来るだろうか。
布は少し湿っているし、牀も崩れそうだ。
「私なら大丈夫ですわ。夜露を凌ぐことが出来るのですから充分です」
思考が分かったのか、はそう言って微笑む。
「更夜も体を休めなければ」
月明かりの中で、微かな光を頼りに確認する。
大丈夫だろうと判断し、二人は横たわった。
ろくたは牀榻の外に蹲り、すでに瞳を閉じている。
それを確認すると、急激に眠気が襲ってきたように感じた。
も瞳を閉じている。
そっと金の髪を後に流した更夜は、そのまま手をの肩に置いて瞳を閉じた。
翌日、強い日射しに目が覚める。
彩州よりも、ずっと陽が近い気がした。
更夜に合わせたように、ほぼ同時に起き上がったとろくた。
庭院に出ると堂屋がどれほど荒れていたのか分かった。
夜に見るより、ずっと酷い。
荒れていると言うよりは、朽ちていると言ったほうが正しいのかもしれないと、更夜は心中で呟いた。
「まあ、更夜。これを見て下さい」
倒れている箱のような物を開けていた。
中を覗くと皮甲が入っていた。
「痛んではおりませんね…。更夜、これを」
見事な皮甲だった。
それを更夜に渡し、軽く笑う。
「守っていただくですから、皮甲ぐらいはつけておかなくてはね」
素直にそれを受け取ると体に付ける。
ぴたりとはまった皮甲は、まるで更夜のためにしつらえたようであった。
「実はここにはまだ秘密があるのですよ」
にこりと微笑む。
何の秘密だろうと首を傾げている更夜をそのままに歩き出した。
「更夜、ここから降りましょう」
がさしたのは、堂屋から少し離れた洞穴のような場所だった。
ぽっかりと大きな口を開けている。
「前に主上と一度、ここに来たことがあるのです。需要があれば使えるかと仰っておりました。その時に見つけたのですが…」
はそう言って先導するように歩き始める。
しっかりとした足取りではなかったが、歩く事が出来るまでには回復している。
「、肩を貸そうか?」
「大丈夫ですわ」
振り返って微笑みを見せたに、更夜は頷いてついていく。
洞穴に入ってしばらく行くと、階段が出てくる。
ここもやはり州城のように、呪が施されているのだろうか。
階段を下っていると、途中に隧道が現れた。
階段はまだ下に延びているのに、どこに繋がっているのだろうか。
更夜がそう考えていると、は階段を外れて隧道に足を踏み入れた。
そして奥を指さして言う。
「旅の資金を調達致しましょう」
「資金?この先に何が?」
「ですから、以前主上と来たときに見つけたのです」
が指さす先には、緑の光が見えていた。
何だろうかと足を進めて行くと、翡翠の玉泉が現れた。
翡翠は美しい結晶のままたくさん転がっている。
二人は袋に翡翠を詰めて、再び階段を下っていった。
洞穴を抜けると、すでに雲海は頭上に移動していた。
そこからはろくたの背にのって空行する。
今度は南西に向けて進んだ。
頬が切れそうに感じていた冷風を、ここでは感じることが出来なかった。
の言った通り、温暖な気候が更夜を包んでいる。
不思議な国だと改めて思った。
夜を目前にして、地に降り立つ。
遠くに閉門間近の街が見えていた。
「ああ、淡久だわ」
「ここは何州?」
「まだ相州です。相州の端に位置する諄県の最西端にある街、淡久」
諄県(じゅんけん)の淡久(たんきゅう)と、の言った地名を連呼した更夜。
やがて見え始めた扁額にも、同じ地名を読みとった。
「ここには何度か?」
山瑠璃色の布で頭を覆いながら、は質問に答える。
「いいえ、地名は知っておりますが、来るのは始めてです」
「そう」
それなら安全だろうと思う。
街に入った直後、陽は完全に落ちて閉門となった。
舎館を決めるとろくたの食事を頼み、しばらく滞在する事を告げるて房室へと向かった。
支払いはもちろん翡翠である。
房室へ入ると、はその場に座り込んでしまった。
表情も心なしか辛そうだ。
更夜は座り込んでしまったの体を起こし、牀榻へと引いていって牀に横たわらせた。
そっと布をかけてやると、が眠りに落ちていくのが分かった。
しばらく寝顔を見つめていた更夜は、そっとその場を離れ、隣の房室へと戻って窓を開けた。
穏やかで暖かい風が吹き込んでくる。
「ここは…この国は…」
もう更夜には分かっていた。
靜は更夜が思っているよりも、ずっと大きかったのだ。
その大きさは恐らく更夜のいた世界の八国を有する地とほぼ同じ。
彩州はその位置からして黄海。
初めにと出会った晧州(こうしゅう)は、雁に相当する位置ではなかろうか。
だとすればここは奏に近い巧だと思えば良いだろうか。
雲海の上での距離感、気候の違い、それらを組み合わせて考えると、そうとしか思えなかった。
だが、それでも分からない。
何故自分がここにいるのか。
どのようにしてこの国に来たのか。
疑問は増えるばかりである。
「…や。…更夜」
小さくか細い声が呼ぶのを聞いたのは、窓を閉めた直後だった。
の許へと行き、牀榻を覗く。
開かれた紺碧が更夜に向けられ、安堵の色が浮かぶ。
「消えてしまったのかと…」
「まさか。消えたりはしないよ」
「時に…幻のように思うのです。私の心が作り出した幻影…」
「実在しているよ、ちゃんとね」
の手を握ってそう言うと、小さな頷きが返ってきた。
そのまま閉じられた瞳を、ただじっと見守る。
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