ドリーム小説
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夢幻の国 =9= 舎館に場所を移してしばらく、は静かに問いかける。
「更夜は何故、大司馬を疑っているのですか?」
「…」
「疑っているのでしょう?」
「…齟齬を感じるからね。生国に下った麒麟が、宮城を出て旅をするなど、聞いた事がない。二王に仕えた麒麟の話は多くないし、絶対におかしいとは言えないのかもしれないけど…。でも、護衛も付けずにふらりと旅していいほど、宰輔は軽々しい身分ではないはずだろう?だからこそ、護衛が必要だと思ったんじゃないの?」
更夜の言に、は黙って耳を傾けている。
その表情からは何も伺えなかったが、更夜はさらに続ける。
「おれは…いや、わたしはね、。宰輔を宮城から攫った事があるんだよ」
「え…?」
「大切な人のために、更夜と言う名をくれた麒麟を…攫いにいったんだ」
「麒麟を攫うのは、並大抵のことではないでしょう?」
「そうでもないよ。仁の獣だって事をきちんと認識していれば、造作もない事だった。卑怯な手段だったけどね、本当に…簡単だった」
「でも、それでは更夜は…」
「逆賊、と言うことだね」
「では、逃げてきたのですか?」
「逃げる必要はなかったよ。王が許してくれたからね。一つの州が叛旗を翻した。だけど、処刑されたのはたった一人。それも王に剣を向けたからだ。背後から斬りかかろうとして、宰輔の使令に殺された…」
淡々と語る更夜に、は絶句したのか、何も聞き返す事が出来なかった。
「だからと言うわけではないんだけど、危険だと直感が教えるんだよ。逆賊が宮城に居るのなら、を呼び戻すのは作戦かもしれない。何が起こるか分からないと分かっていても、が戻ると言うのなら、止めはしないけど…」
「更夜…」
「尤も、を気にかけての言かもしれないからね。何しろわたしは大司馬を知らない。良い人だとが言うのなら、良い人なのだと信じたい」
「…私も、大司馬を信じたい。主上が特に信を置かれていた方ですもの。でも更夜、私が戻るのは他にも理由があります」
「その理由は?」
「襲われたのが、他ならぬ冢宰だからです。冢宰にはすべてを任せきりですから、州侯としての、あるいは宰輔としての債務を果たしに戻らねばなりません」
「…そうか。うっかりしていた」
は宰輔だ。
大きな責任が、その双肩にはかかっているのだ。
王を選ぶと言うことに囚われ、それを失念していた。
「すまない。いらない事を言ってしまったね」
「いいえ。更夜が言うことにも、一理あるのかもしれません。人は心を隠すのがとても上手な生き物ですから。信用していても、裏切られる。そうでなければ、主上はまだご健在でありましょう」
「囚われたのが、逆賊であることを祈っているよ」
「ええ…本当に」
翌朝、黎明の空に発つ影。
右将軍莫耶、清台輔、更夜と、それぞれを乗せた妖獣と妖魔。
一路、首都彩州(さいしゅう)は宝妥(ほうだ)に向けて南下する。
冷気をはらんだ風が刺すように吹き抜ける中、一行は錯州城へと辿り着いた。
錯州城から雲海に出るのだという。
州都は北垂と同じような規模の街を形成している。
それからは北垂の発展が伺えるようだった。
その日は州城で休むとは言い、莫耶もそれに頷いて同意を示す。
更夜も反対する理由はなく、何故一気に戻らないのかと心中で呟いてみたが、それを口に出すことはしなかった。
黄昏時、は更夜の元を訪ね、雲海の広がる露台へと誘い出した。
雲海の上から眺める景色は、雁とさほど変わりない。
ただ、下界を映す色が少し違う。
「更夜、説明のつかない心境になった事はありますか?」
ぽつりと言ったの言葉に対し、更夜の脳裏には雁の元州が現れていた。
「…あるよ」
ろくたの足を止める為に叫ばれた言葉。
大切な人を死なせてしまい、王を助ける事になったその、あまりにも重い言葉。
すぐに返ってきた声に、の目は更夜に向けられる。
更夜の瞳は西の斜陽に向けられている。
青みがかった黒髪がさわりと揺らぎ、の頬に触れそうだった。
波を金に彩る陽は、雲海に沈もうとしている。
「は今そんな心境?」
「ええ…嬉しいような、でも…何か恐ろしいような…そんな事が待ち受けているような気がするのです」
「恐ろしい?」
「はい。何かとてつもなく、大きな…悪いことが起きそうな…そのような思念が頭を巡るのです」
何を伝えたいのか、更夜には理解出来ない。
しかしもまた、自らの心境を把握しきれていない様子だった。
ただ漠然とした恐怖だけなら、何かの予兆と思ったのかもしれない。
それに対し、策を講じることも可能であっただろう。
だが、そこに嬉しいという感情が絡んできた場合、どのような心境であるかなど、更夜には想像する事すら出来なかった。
首都宝妥へは、錯州城から一昼夜を要した。
思いのほか遠いその距離に、更夜は少し疑問を感じた。
州を一つ跨ぐのに、雲海の上で一昼夜。
考えられることは二つだった。
一つは、妖獣の空行が遅いということ。
更夜の感覚が正しければ、今までとさほど変わりはない。
もう一つは、思っていた以上に、靜国が大きいということ。
それは更夜の中の常識にはあてはまらず、条理が違うと知らしめる一因でもあった。
十二の国はどこもだいたい同じ大きさであったはずだが、この十三番目に知った国では違うのだろうか。
そう言えば、つい先日にも何か疑問を感じたのではないか?
「そうだ…。確か、昇山の…」
「更夜、こちらです」
更夜の思考を遮ったのは、の響く声だった。
なるほど、嚠喨宮(りゅうりょうきゅう)はの言うとおり、音の反響が大きい作りになっているらしい。
本来なら殆ど聞こえないはずの、麒麟の足音すら軽く響いている。
先を行きながら、あれこれと説明するに、更夜は黙ってついて歩く。
内宮に入ると、僅かにの表情は曇ったが、それを隠すかのように明るく振る舞い、一気に仁重殿まで抜ける。
更夜は嚠喨宮の内宮、麒麟の住まう仁重殿の一郭に房室を与えられた。
「これからすぐに冢宰を見舞いたいと思います」
「台輔」
自宅で療養していた冢宰は、起き上がってを迎えた。
「恣縦、起き上がっても大丈夫なのですか?」
冢宰である恣縦(ししょう)は、それに微笑んで頷きながら言う。
「拙も仙籍におりますれば、外傷などすぐに塞がりましょう」
そうは言っても、顔色は良くない。
は座るように言い、冢宰はありがたくその言葉を受けた。
二人にも椅子を勧め、茶の用意を下官に言いつけるが、はすぐに帰ると言ってその下官を止めた。
「それで、捉えられた者はどうなのですか?やはり主上を…」
「…それが、まだはっきりとしないのです。大司馬が毎日尋問を繰り返しておりますが、なかなか思うようには進まないようで」
首を振りながら言う冢宰に、は何も言えないでいた。
それをうち破るかの如く、恣縦(ししょう)はやや明るめの口調で語る。
「近頃妖魔が出始めたとの報告が大司馬の方に届きました。台輔は靜国にとって、かけがえのないお方、これを機にお戻り頂いて安心でございます」
「では、戻ってくるように命じたのは恣縦でしたか」
「いいえ。大司馬の機転でございますよ」
「そうですか」
が相槌を打っていると、冢宰の目が更夜に向けられる。
「この方が、護衛の方でしょうか?報告は受けておりますが」
「ええ、更夜と言います」
「それはそれは…。誰一人として供を付けておらぬゆえ、ご心配申し上げておりましたが…更夜殿、感謝致します」
更夜は軽く頷いただけで返答とし、声を発することはなかった。
「では恣縦、私はそろそろ…大司馬にも挨拶をしたい所ですが、彩州府に行かなければ。今まで任せっきりでしたから」
「はい。ご迷惑をおかけ致します」
「迷惑だなんて。そもそも冢宰の受け持つ事ではありませんもの。私の方こそ、恣縦に負担をかけてしまって…」
「負担など、とんでもないことです」
「ありがとう、恣縦」
はそう言うと、更夜と供に冢宰の自宅から退出した。
「はあ…」
大きく息を吐き出したは、更夜の視線を感じて振り返る。
「あ…ごめんなさい。血の臭いがまだ残っていたものですから…」
「それで早めに出て来たんだね」
「ええ。でも、それを恣縦に言うと気にしますでしょう?」
「まあ、…そうだろうね」
彩州府に向かうは宮道を辿ることはせず、庭院(なかにわ)へと足を踏み入れた。
だがその直後急に立ち止まった。
じっと一点を見つめたまま動かぬ。
その視線を更夜が追う。
しかし特別、これといったものは映し出されない。
何が見えるのだろうか。
「…」
しばしの間があり、の足は再び動き出す。
横顔が一瞬だけ見え、更夜はの瞳に映ったものが何だったのか、分かったような気がした。
ここはもう内宮である。
庭院で主と過ごした風景でも、思い出したのだろう。
確かににとってここは、辛い思いをする場所なのかもしれなかった。
新しい主を迎えることなど、到底考えられないのだろう。
新王が嚠喨宮に来れば、は一体どうするのだろうか。
かつての主が歩いた場所、生活した場所、ともに語った場所、それらが混同してしまうのだろうか。
両者に挟まれ、辛い思いをするのだろうか。
「それなら、王など選ばなければいい」
「え?」
更夜の声に、の足は止まった。
訝しげな表情が振り返り、紺碧の瞳が更夜を映し出す。
「王は無理に選ぶものではないよ。本当に天意があるのなら、自然と導いてくれるはずじゃないかな?国のためとか、民のためとか、そんなの…関係ない。は麒麟かもしれないけど、心があるんだから。思うように、進むしかないんだよ」
「更夜…」
紺碧の瞳が、白露を含んで揺れる。
「どうして…王を選ばなくてもいいと言えるの?民にとって、王のいない時代は不幸だわ。天の理は欠け、酷吏が生まれ、妖魔が増える。私の苦しみなど…それらを前にどうして訴えることが出来ましょうか…きっと天帝もお許しにはなりません。それを教えてくれたのは更夜、あなたではなかったのですか?」
の言は道理にかなっており、更夜は何故そんな事を言ったのだろうかと、自らを少し悔やむ気持ちが生まれていた。
しかしは更夜の様子を気にすることもなく、そのまま続けた。
「だけど…それでも良いと言ってくれたのもまた、更夜でした。それがどれほど私の救いになっている事でしょう」
「わたしの言が…救いになっている?」
「はい。王を選ぶ心境になれないのは、民意だと言ってくれました。私の中には、様々な感情が渦巻いております。早く次王を選ばなければならない、でも、失うのが恐い。だから、選びたくない…。前王をまだ忘れる事が出来ない、だから、選びたくない。正直に申し上げますと、私自身、どこに本音があるのか分からないのです。主上の思い出に囚われている事は事実です。ですが、麒麟としての責務を果たさねばならないとも思っているのです。次王を探さねばと、強く思うこともあるのです」
「ありのままでいいのだと思う。心の指し示すまま動けば、天がきっと良い方向に導いてくれる。は神獣なのだから…この国で唯一、それを許された者だから」
「更夜…ありがとうございます…」
また、ぱきんと音がする。
ここに至って、ようやくその音の存在に気がついた更夜。
秋の野で、枯枝を踏んだ時のような音だった。
の足下に視線を這わせ、自らの足下にも枝のような存在を探したが、ただ青々とした草しかなく、音の原因は分からなかった。
「台輔!」
更夜の思考を遮ったのは、武人風の若い男だった。
その声に、は慌てて涙を拭い、笑顔を作って振り返る。
「戛戻…」
小走りで近寄ってくる、戛戻(かつれい)と呼ばれた男は、すぐ隣に立つ更夜に訝しげな視線を投げたが、の目前まで来るとすぐに跪いた。
「ご心配申し上げておりました。無事お戻りになり、心より安堵致しております」
「心配をかけましたね。それで…捉えた者はどうなのです?」
「はい…それが…」
ちらりと更夜に目を向けた戛戻(かつれい)に、は静かに言う。
「護衛の更夜です。事情は話してありますから、大丈夫ですよ」
「…はい。お初お目にかかります、大司馬の戛戻と申します」
戛戻は軽く顔を上げて更夜を見てそう言うと、宰輔に顔を向けて問いかける。
「先ほど冢宰の許へ行かれたとか。何かお聞きになりましたか?」
「特にこれと言って何も。戛戻が尋問を繰り返しているとだけ、聞いておりますが…」
「それでは申し上げます。主上を弑し奉った者に、ほぼ間違いはないかと思われます。ただ…まだ明確ではないので、もう少し尋問を続ける予定ですが…」
微かに震えるの声が、弑逆の理由を問う。
「間違いない…のですね。何故、主上を手にかけたのでしょう…」
「組織だっての事かと思われます。反乱を起こそうと、幾名か宮城内に潜りこんでいたようです。宝妥(ほうだ)で起こすつもりなのか、他の地で起こすつもりなのか、まだ分かりませんが、早急に対策を立てねばなりません」
夏官長戛戻(かつれい)はそう言って、に気遣わしげな視線を向ける。
「台輔、くれぐれもお気を付け下さい。捉えた者は実行犯でありますが、その仲間がまだ他におるやもしれません。州侯としての責務もございましょうが…出来る事なら、再び宮城を離れることをお薦めします。逗留先なれば、わたくしがご用意致します。禁軍からも一師つけますから、禁苑にお隠れ下さい」
「ですが、それでは冢宰もゆっくり休んでいられないでしょう。私なら大丈夫です。使令もおりますし、更夜もおりますから」
「ですが台輔…王のいないこの国にとって、そのお体がどれほど…いえ、詮無いことを申しました。台輔のご意識であるのなら、止めは致しません。ですが、禁苑にお隠れ下さいませと申し上げた、戛戻の気持ちを汲んで頂けるのなら、今少しお考え下さい。用意は整っておりますので」
「…善処致します」
困ったような表情のに、戛戻(かつれい)もまた、困ったように俯き、そのまま深く頭を下げてその場を辞した。
それを見送ったは、更夜を伴って彩州府へと向かう。
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