ドリーム小説
Welcome to Adobe GoLive 5
夢幻の国 =8= 「きやー!」
「妖魔だー!」
突然あがった悲鳴に、二人は弾かれたように南を見る。
赤い無数の何かが、南の空を埋め尽くそうとしていた。
走り出したについて、更夜は南に下る。
近づくと、虫の大群だと気がついた。
大きな虫である。
赤い色をしており、大きな目があり、牙まである。
その数は、数えることが不可能なほど多い。
「快哉(かいさい)…」
今にも街の人々に襲いかかりそうだった。
「瞶掾(きえん)!」
讙(かん)と言う、三本尾の狸がの影から出現する。
「お側に」
「快哉を誘導し、街から離れなさい」
「かしこまりました」
瞶掾は影から抜け出すと、奇声をを発しながら快哉の群れに近づいていく。
「更夜、こちらへ。恐らく瞶掾がここを通るでしょうから」
途の脇に避けて見守っていると、の言った通り、瞶掾(きえん)は虫の大群と供に、更夜との目前を北に駆け抜けて行った。
ここを通ったのは、街の出口が近いからだろう。
瞶掾(きえん)の発する奇声の後、無数の虫は取り憑かれたように誘導され、しばらくすると、その場はすっかり静まり、何事もなかったかのように時が流れ始めた。
「瞶掾は百種もの鳴き声を出すことが出来るのです。さきほどの音が、快哉にとって何を意味するのか分かりませんが、上手く誘導してくれたようですわね」
それにしても、とは表情を曇らせる。
「あのように快哉が群れを成すとは…」
「珍しいこと?」
「ええ、群れる種類の妖魔ではございませんもの。やはり…空位だからでしょうか」
以前のこの国を知らない更夜にとって、答えられる質問ではなかった。
だが、の言う事から推測を立てると、異常なのだろう。
そして条理が変わらぬのなら、空位だからと言えよう。
「国のためにも、のためにも…王は早く見つけなければいけないね」
「私のため?」
問い返すの瞳は、困惑を浮かべている。
「そう。妖魔が増えると、民が減る。民が減ると、麒麟が悲しむ」
だけど、と更夜は困惑したままの紺碧に言う。
「王を忘れられないにとって、それは辛い事なんだね?でも、それこそが間違いなのかもしれないよ」
「どうして間違いなのですか?」
僅かに、紺碧の瞳が震えたように見えた。
だが、更夜はそのまま言を繋ぐ。
「新しい王を見つける事が出来たなら、その人がにとって、一番大切になるからだよ。前王を忘れる必要はないけど、新王は必ずを癒してくれる」
そう、は再び跪くだろう。
誰にも下げない頭を、深々と垂れて忠誠を誓うのだ。
王が誰よりも大切な存在になるのだから。
「…です」
更夜の言に、小さなの声が答える。
聞き取れないようなその言葉を、は再び繰り返して言った。
「…です…嫌です…。王を選ぶ事は出来ません」
震えているのは、もはや瞳だけではなかった。
堪えるように手は堅く握られていたが、その瞳からは涙が溢れていた。
「民を思うのなら、そうするべきではないと…分かっているのです。でも…私は二度と王を失いたくない」
「大切な人を失えば、誰だってそう思うものだよ。でも、自分に課せられたものを分かっているのなら、いつかは選ばなければならないんだよ」
「…」
「が迷っている間に、この国には妖魔が増えていく。こうして話しをしている間にも、どこかの街が襲われているかもしれない。街が襲われれば民は減る」
はっとした顔で、は更夜を見つめる。
「幣帛で見た雪は、美しいと思った。だけど、はどう思った?」
「私は…主上の事でいっぱいで…ただ、悲しくて…」
「今、が北垂にいなければ、この街はどうなっていただろう」
考えるまでもないことだった。
北垂は快哉の大群に呑まれていただろう。
王がいないがために、出現してしまった妖魔…。
「私は…とても身勝手なのですね。自分のことばかりで…」
民の事を考えているようで、その実考えていなかったのではないか。
ただ自分が苦しいから、王を選ばない。
それでよく麒麟だと言えたものだ。
そう考えると、酷く落ち込んでいきそうだった。
「それも違うよ」
「え…」
「他の…そうだね、人であったのなら、身勝手な我が儘だね。でも、の感情は、民のものかもしれない。靜の民が、まだ王の事を忘れていない。どこかで生きていると、多くの人が信じているのかも」
六太が王を好きではないのも、実はそうなのではなかろうかと思っていた。
民が王を好きになれずにいたのではないかと…。
雁では前王の圧政が色濃く残っていた。
新王に対する期待と同じぐらい、王に対する不審もあっただろう。
皮肉にも、元州が民の信頼を取り戻すのに、一役買ってしまったのだが。
「その身も、心も、決して己のものではない。民の思いに心は揺れ、王の為だけに存在する。麒麟とは、悲しい生き物だね」
「そうかもしれません…」
うなだれて言うに、更夜は歩み寄る。
感情があるから…それだけに悲しみが深いと心中で思うが、何も言えなくなったに、やはりかける言葉はなく、ただ黙ってその場に立ち尽くしていた。
静まった北垂の街は、夕闇に覆われ始めている。
篝火が灯され始めたが、はまだ動かない。
このまま夜が明けてしまうまで、どちらも動くことは出来ないのではないかと、そう更夜が思い始めた頃、を呼ぶ声があった。
「台輔!」
ふと顔を上げたは、声の主を捜して首を動かす。
更夜も合わせるように動かし、とほぼ同時にその人物を見つけた。
「台輔、ここにおられましたか」
駆け寄ってきたのは、三十ほどの男だった。
軽装ではあったが、武官の出で立ちをしている。
更夜に気がついたその男は、供に行動していると瞬時に悟ったのか、軽く手を組んで挨拶とした。
に向き直り、再度敬礼する。
「更夜、こちらは禁軍の右将軍で、莫耶と申す者です。莫耶、何かございましたか?」
莫耶(ばくや)は礼を解き、神妙な面持ちで口を開く。
「実は…その、重要な事なのですが…その…つまりですね…」
ちらりと更夜を見て、に視線を戻す。
それに気がついたは、構わないと言って先を促す。
「今朝、冢宰が何者かに襲われまして…」
「!…冢宰が?」
「はい…冢宰府で襲われたとの事です」
莫耶の話によると、冢宰は朝議の前、先に冢宰府に行ったそうだ。
普段なら朝から冢宰府には寄らないところなのだが、その日に限って早く目が覚め、書面を一つ片付けてしまおうと思い立った。
いつも政務を執っている堂室に入った瞬間、背後から斬りつけられたとの事だった。
しかし急所を外れ、驚きながらも助けを叫んだため、夏官によって助けられ、襲った者はその場で捕縛された。
「現在、詮議の最中でございますが…大司馬が一刻も早く台輔にお知らせするようにと。もしかすると、王を弑した者やも知れぬと…ですから、今一度宮城にお戻り下さいませんか?」
「分かりました。すぐにでも発ちましょう」
はそう言ったが、もう陽は暮れている。
すでに閉門を迎えているのだ。
街の中から使令に騎乗すると言うのだろうか。
いや、それよりも…
一人そう考えていると、はふと更夜に目を向ける。
「更夜、私は宮城へ参ります。同行して頂いてもよろしいでしょうか?」
「た、台輔。この方は一体…?」
「新しく護衛に雇った者です」
「さようでございましたか。失礼を…」
「危険じゃなかったんだ」
静かに、しかし強く言われた更夜の声が、詫びる将軍の声を遮る。
「え…」
「本当に、その者が王を殺したと言う確証がないうちは危険。だから、宮城を出されたのではなかったのかな」
「え…ええ…でも…」
の代弁をするように、莫耶が口を開く。
「台輔には使令がついておりましょう?でしたら、大丈夫でしょう」
「それならどうして宮城を出したりしたんだい?」
「主上の思い出が残る場所でございます。お辛いでしょうとの配慮かと」
「それを殺した者に会うことは、辛くないと?麒麟に罪人を引き合わせ、どうしようと?情けをかけよと言わせたいのか、それとも…」
「更夜…」
「それとも、より深い悲しみに貶めようと?」
「更夜!」
悲鳴のようなの声に、更夜はようやくその口を塞いだ。
何も言えなくなった莫耶と、言い過ぎたことを後悔し始めている更夜に、は静かに言う。
「莫耶、北垂を発つのは、明日の朝に致します。更夜、行きましょう」
歩き出すに、莫耶は何も言わずその場に留まる。
逆に更夜は足を進め、後から着いていった。
|