ドリーム小説
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夢幻の国 =7= 翌日。
の紺碧が開かれる。
堅い岩に体がついていないことを知って、更夜に抱えられている事に気がついた。
とても温かく優しいその感触に、の体力は元に戻ったようだった。
まだ眠っている更夜の頬に手を当て、感謝の意を籠めて見つめていると、すっと瞳が開かれる。
「…おはよう、。体は?」
は立ち上がって微笑む。
「はい、ありがとうございました」
ぱきん、と音が鳴る。
更夜は軽く微笑むと、に習うように立ち上がり、ぐっと背伸びをする。
昨日民居から持ってきた穀物を二人で食べると洞窟を出た。
曇っていた昨日とは違い、蒼穹が瞳に眩しい。
「飆翩」
の召喚に応じ、一つ目の獣が姿を現す。
四枚の翼を動かし、に騎乗を促した。
使令の様子を伺う限り、の体調は随分良いのだろう。
空へと上がり、飆翩(ひょうへん)の背に乗ったまま、振り返ったは更夜を見る。
「ここから南に下った所に、一つ里がありますから、そこで食事を取りましょう」
南の里には昼を廻った頃着いた。
の騎乗していた飆翩は、すぐにその姿を消す。
それを見た更夜は、ちらりとろくたに目を向ける。
ろくたは姿を消すことが出来ない。
いくら天犬という妖魔がいないと言っても、天犬という騎獣がいるわけでもない。
このまま街に入ってしまっても大丈夫なのだろうか。
そう考えているのが分かったのか、は更夜に微笑みかけて言う。
「背後に伴っていれば、大丈夫ですよ。ろくたも休憩をしなくては。良い厩の舎館を探しましょうね」
そう言うと、は山瑠璃草の布で頭を覆い、街に向かって歩き出す。
どうやら街の外に降りる必要があったのは、のほうらしい。
確かに、の騎乗しているものは、紛れもなく妖魔なのだろう。
金の髪も隠さなくてはならない。
里に入り、舎館を決めると、二人は食事のために飯堂へと向かう。
軽く食事を取っている最中、は更夜をじっと見つめ言った。
「更夜、ひとつお願いがあるのですが」
何だろうかと次の言葉を待つ更夜に、は箸を置いて言う。
「もし、更夜が嫌でなければ…これからは護衛として同行して頂けませんか?」
「護衛?」
「はい。滅多な事はないと思いたいのですが…昨日のような予期せぬ事が起これば、使令も役には立ちません。個人としては、自らの手で何とかしたい思いはあれど、万民にとっては簡単に捨ててしまって良いほど、軽い命ではないでしょうから」
「では、は王を探しに行くんだね」
「今も…探しているような気がします。それがまだ心に残る主上なのか、新しい君主なのかは分かりませんが、この心の赴くまま、惹かれるままに進んで行こうと思ったのです。更夜が側に居てくれるのなら、それが出来ると思ったのです」
「わたしで良いのなら、喜んで着いて行くよ」
「ありがとうございます」
ぱきん、と音がして卓上にお茶が置かれた。
「お茶のおかわりが入り用でしたら、声をかけて下さいな」
女の店員がにこやかに笑って、二人を見下ろしている。
それに頷いて答えた二人は、再び食事に戻った。
その日はの体調を考え、里を見て周ってそのまま泊まった。
明けて翌日。
空行すること半日、見え始めた街を遠目に、の指示に従う。
街の外に降りたのだった。
「ここはもう錯州(さくしゅう)ですわ。首都の彩州(さいしゅう)の真北にあたる州になります。あの街で休みましょう」
街の入り口に近づくと、北垂(ほくすい)と書かれた扁額が目にとまった。
「北垂…」
呟いた更夜の声に、が答える。
「錯州では二番目に大きな街なのですよ。尤も北に位置する街、北垂」
の言うとおり、寥郭よりも格段に大きい。
寒そうにしながらも、多くの人々が行き交う街であった。
「最北部なのに、何故大きな街が?他国との兼ね合いもないのに」
「他国との兼ね合いがない、だから開発が進まない。それではいつまでたっても、この土地に住まう者の暮らしは豊かになりません。ここは一番北であるがゆえに、雪害が酷いのです」
は歩きながら説明する。
「主上の住んでおられた幣帛でも、雪が害をなすことがあったのです。それでも、ここの雪の量に比べれば、まだかわいいほうなのですよ。雪の怖さを知っている主上は、まずこの街に目を止め、頑丈な建物を造り始めたのです。そうすると、近隣に住む里の住人がこの街に集まり始めました。一度人が集まり出せば、後は加速度的に発展してゆきます」
「それで、これだけ大きくなったと」
「そうなのです。民の力というものは、時として想像を超えて素晴らしいものを作り出す事がありますね。この街も良い例だと思います」
そう話しをしながら足を進めている間にも、ちらちらと投げられる視線。
見慣れぬ者がいるからなのか、天犬を連れているからなのか、どちらなのかは分からなかった。
だが、恐怖に歪む視線でないことだけは確かである。
「ここなら良い厩があるかしら」
の足が止まり、目前には大きな舎館が現れていた。
大門を潜り、舎館の中に入ると、は翡翠を取りだして支払いを済ませた。
上質な翡翠らしいことを遠くに聞く。
房室に通されてすぐ、更夜はに問いかける。
「ずっと旅をしているの?宮城には?」
「戻っておりません。大司馬や冢宰とは連絡を取り合っておりますが…」
「…そう。大司馬はどんな人?」
「大司馬?とても良い方ですわ。元々は禁軍の将でありましたが、文才豊かな方でしたので、主上が夏官長へと抜擢なさったのです」
「だけど、を宮城から出した…」
「え?ええ、それは…私の身を案じてですもの」
「旅をする方が心には良いのかもしれないね。だけど、ずっと宮城を離れているのはどうだろう…仮にも首都州の州侯でもあるわけだし」
「そうなのですが…逆賊が誰なのか分からないとあっては、私も狙われるのではないかと。まだ宮城に潜伏しているのかどうか、それすらも分からないと言った状況でしたので、それもあったのです。ですから、逆賊が見つかればすぐに知らせが来る事になっております」
「なるほど…」
でも、きっと見つからないと更夜は思った。
確たる証拠があるわけでもなんでもないが、直感はそう語っていた。
そう思うのは、己も逆賊であったからだろうか。
「更夜、私は…新しい王を選ぶ事が出来るのでしょうか…。主上が亡くなられて、いかほどで天啓は訪れるのでしょう?」
「わたしは麒麟ではないから分からない。王を失った麒麟も、知り合いにはいないから」
「そう…ですわね。つまらないことをお聞き致しました。忘れてくださいまし」
「いや…何も助言が出来ない事を、許してほしい」
「こうして話を聞いて頂くだけで、何か軽くなるような気がいたします」
はそう言うと、更夜に微笑みかけた。
しかし紺碧の瞳には、ずっと変わらず孤愁が漂っている。
本当にただ話を聞くだけで、その心に触れる事が出来ないでいた。
そう考えていると、どうにかして深海の底から引き上げてやらねばと、思っている自分に気がついた。
錯州は靜国の中で尤も雪深い州だと、は言う。
その中でも北垂は年間を通し、半年が雪に包まれている。
今日のように、一日晴れている事はまれなのだと言って、は更夜を外に誘う。
「西をご覧下さい」
街を北に向かい、少し開けた見通しのよい場所へ出ると、はそう言って西を見つめる。
言われるままに体を反転させた更夜の視界に、淡紅色の雪景色が広がっていた。
「綺麗でしょう?」
うっとりとした声色で言うの横顔を、ちらりと見て頷き、西に顔を戻した。
山に溶け込みそうな斜陽であった。
半ば沈みかけている陽の、下の方は山に色を移そうと広がりを見せている。
陽を中心として、山は淡紅に染まる。
その透明感は秀美の極みだった。
「あの山の向こうには、滄瀛が広がっております。北の滄瀛はこの時期、薄い氷をはるのです。その氷に沈む陽が反射して、山の色を変えるのですわ」
こうしてただぼんやりと景色を眺め、美しいと思ったのは始めてではなかろうか。
沈む夕陽は哀愁や寂寥を運んで来る。
そのような記憶しかなかった。
夕刻になると、人が恋しくて堪らない時期もあった。
母の手を取り、帰途へとつく子童の姿を、羨ましいと思ったのは、もう何十年も前の事。
「夕陽が寂しいだけではないと、知ってもらいたかったのです」
突然いわれたの言葉を、どう受け取ってよいものやら、更夜には判断出来なかった。
ただ押し黙ったままでいる。
「なんとなく…ですが、更夜は夕陽を寂しいものと思っているのではないかと…確かに夕陽は物悲しく、寂しい思いを運んできます。ですが、このように美しく変貌することもあるのです」
山瑠璃草の布は、夕陽の赤に色を深め、完全な瑠璃色となっていた。
それでもなお、紺碧の瞳は際だって見える。夕陽に彩られた輪郭が更夜を見つめる。
風に煽られて瑠璃が揺れる。
更夜もまた、を見つめた。
夕羽振る中、互いの瞳に染みついて離れぬ深愁(しんしゅう)を、瞬きもせずに見つめていたのだった。
もう、どちらにも分かっていた。
その悲しみの深さと複雑さを。
だが、更夜の悲しみと、の悲しみは似て非なるものだ。
ゆえに分かつことが出来ない。
それでもなお、瞳を反らすことが出来なかった。
その輪郭が光を失ってもなお…。
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