ドリーム小説
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夢幻の国 =6= 「これは…」
里について、開口一番、更夜はそう言った。
そしてそのまま、絶句してしまった。
死体の山だった。
人であった残骸が、途のあちらこちらに散らばって累々と続く。
動いて居る者は何処にもおらず、また、血を流していない者も見つけることは出来なかった。
そして街の中心付近には、大きな人の山があった。
火をつけられたのか、黒く変色していたが、燃えきらずに人の形を留めている。
この世の終わりを見ているようだった。
少しばかり過去を振り返ると、自らの手で殺戮を生み出した事があった。
その更夜が、息を呑むほどの光景だったのだ。
燃えきらずにいる黒くなった人々は、苦しんだ様子をそのままに残している。
悶えた手のままの者、口を大きく開けたままの者、逃げようとしていた者、それら全てが今にも動き出しそうな形のまま、大きな山を形成していたのだ。
「ろくた、これは妖魔の仕業ではないね…」
途に倒れる人々だけなら、妖魔に襲われたのだと思えたかもしれない。
だけど、食われたような様子はない。
それに、山のように積み上げ、燃やす必要などないはずだ。
あきらかに、人の手によってこの惨状は生まれた。
直視できぬほどの光景である。
それでも更夜は辺りを見回し、扉の閉まっている民居を見つけては開けていったが、やはり、どこからも生きている者は出てこなかった。
諦めつつも全ての民居を開け、中から薪と水、僅かな穀物とを失敬して里を離れた。
次に山には向かわず、体についた匂いを落とすために水を探した。
の居る山の麓に、小さな凍っていない泉があり、冷たいのを覚悟でそのまま中に入っていく。
足の先から冷気が痛いほど体中を刺したが、じっと堪えて体を洗う。
全身をくまなく洗い流すと泉からあがり、の待つ洞窟へと戻っていった。
奥へ進むと、飆翩の翼にくるまれたが、薄暗闇の中で起き上がるのが分かった。
「更夜…」
「火を頼んでもいいかな?」
薪を組みながら、更夜はそう言う。
「翹猗、火を」
畢方(ひっぽう)が現れ、羽を動かす。
細い火が生じ、なんとか薪に移った。
「更夜、どうしたのです?濡れているでは…」
そこまでを言ったは、はっと息を呑んで言い淀む。
「里へ…行ってくれたのですね…もしや、匂いを落とすために?」
「うん、でも…やはり分かってしまうようだね。もう少し離れていたほうがいいかな?」
「いいえ、火に当たって下さい。私はもう大丈夫です。随分と気分も良くなりましたから」
微笑んで見せるの顔色は、あまり良いとは言えなかった。
熱もまだありそうだと思ったが、これ以上近づくのは危険だと思い、更夜はその場から動けずにいた。
「ああ、そうだわ…」
ふと顔を上げたは、よろりと立ち上がる。
崩れそうなその体勢に、更夜の足は自然と踏み出されていた。
を支えて、ようやく近寄りすぎた事に気がつく。
「更夜、連れていって欲しい所があるのです」
「触れていては血の匂いに当たってしまう。もう少し体力が戻ってからのほうが…」
「いいえ、だからこそなのです」
その意を解さないまま、更夜はを支えながら表に出る。
ろくたの背に乗ると、の指示に従って空行した。
の指したのは、同じ山の頂上付近であった。
白い煙が見え始め、それが何かを分かるのに、そう時間はかからなかった。
白い煙には、暖気があった。
真下に泉がある。
「このまま、中に入って頂けますか?」
さきほどの泉とは違って、温かい水の中に、ろくたの背に乗ったまま入る。
じわりと、体が溶解されているような感覚が訪れ、深い安堵の息を吐き出した。
ろくたもまた、気持ちよさそうに瞳を閉じてじっとしている。
しかし、このような雪に閉ざされた場所に、どうやれば温かい泉が湧くのだろうか。
この泉には、水温以外にも不思議な事があった。
それは匂いだった。
花のような香りが立ちこめていたのだ。
「ここは、幻水峰と言います」
ふいに、の口が開かれる。
「禁苑なのです。雪山の中で、湯に浸かりながら考え事をすると、良い政策が浮かぶのだと仰って…この泉は冬官に言って、特殊な呪を施してあるようです。底に香木を敷き詰めておりますから、これほど良い香りがするのです」
の説明に底の方を確認するが、岩の感触があるだけで木のようなものは見つけることが出来なかった。
更夜の疑問を感じ取ったのか、は説明を足す。
「平らに均した岩のさらに下に、香木が埋め込まれているのです。これできっと嫌な匂いも消えてしまうでしょう。それに、更夜の体も温めなければ」
はそう言うと、苦しげな表情を岩に預けて瞳を閉じる。
湯煙に見え隠れする金の髪は、水分を含んでの体に張り付いていた。
白い世界に金の神獣。
不謹慎ながら、とても美しい光景だと思った。
それを振り払うかのように、更夜は首を振り、岩にもたれて空を見上る。
木々に覆われて、空は僅かしか見えていない。
それでも、雲が広がっているのが分かる。
雲は今にも雪を落としそうな色をしていた。
二人は無言のまま体を温め、雪がちらつき始めると泉からあがり、体の冷えきらない内に動き出す。
西の空には灰白色の雲を透かして、陽が落ちようとしている。
晴れていたのなら、良い眺めであった事だろうと思いながら、洞窟の中へと戻っていった。
焚き火に当たりながら、濡れた衣を乾かしていると、ぽつりとが呟く。
「里の様子を…お聞かせ願えますか?」
更夜は頷いて、見てきたことをに告げた。
驚いているの様子に、更夜は心中でやはりと思いながら、全てを語り終えた。
「何が起こったのでしょう…」
「さあ…だけど、妖魔に襲われたのではないね。あれは人の手によって行われたのだと思う」
「そんな…里が何者かに襲われて全滅するなど…考えられない事ですわ」
「山賊とか…そんなものかもしれない。だけど、妖魔ではない。これは絶対に確実だと思う」
何者かが、里を滅ぼす。
いつの時代にも、何処の国でも、それを道楽にする者が存在する事を知っていた。
雁の場合は、前王がそうだった。
他国でも、そうやって王が倒れる事もある。
王だけではなく、官吏がそれを行うことだってある。
「靜の場合は…深刻だね…」
更夜の声に、自失していたの顔が動く。
「王が道を失い、国を滅ぼす事例は過去を振り返れば少なくない。人は道を失うと、とんでもない方向に進む事があるからね。それは官吏にも言える。王が道を失えば、麒麟が病む。官吏が道を失えば、それを王が誅す。だけど、それを行える王がこの国にはいない」
「では…更夜は官吏の誰かがやったと?」
幽愁の宿った瞳を見据え、更夜は大きく頷いた。
大勢の人が斬られて、途のあちこちに倒れていた。
それを集めた山は街の中心に作られ、火が放たれている。
誰一人として残っていないかった。
どう考えても、十人や二十人で出来る業ではない。
あの小さな里を滅ぼすのに、少なくとも百は使ったのだろう。
山賊が百いるのだとすれば大変な事だが、それなら噂にぐらいなっているはずだ。
だけ知らないと言うことも考えられるが、可能性としては難しい。
それなら、目に見えているものが、あの里を滅ぼしたのだ。
目に見えているもの。
武力を持っている組織。
それは国しかない。
「、あの里は?やはり、王に縁の深い里だった?」
「はい…では、王宮にいる逆賊が、あの里を滅ぼしたのでしょうか?」
「それは…わたしには分からない。でも、考えられない事じゃない」
あるいは、地方の官が腐敗しているかだ。
地方が腐敗している例を考えて、更夜はに問いかけた。
「前王はどれぐらいの治世だった?」
「十七年です」
「そう…」
十七年では、荒廃から立ち直ったばかりではないのだろうか。
まだ、そこかしこに荒廃の色が残っている頃だ。
以前のこの国を知るわけではないし、雁のように滅びかけた国ではないのだろうが、妖魔の群れが近づいて来ていると、昨日、の使令が言っていた。
空位になって一年で妖魔が群れをなすものだろうか。
この国ではそれが普通なのか、たまたまだったのか…
三脚猫と言う妖魔は、群れを成すのが普通なのか。
「駄目だ…分からない事があまりにも多い…」
小さく呟いたため、の耳には届かなかったその声。
それでも更夜は口に出してしまった事を少し後悔しながら、の様子を窺った。
は更夜を見ていなかった。
聞こえていなかったと言う方が正しいか。
その瞳は堅く閉ざされ、辛そうに岩にもたれかかっている。
その様子に、更夜はそっとに近寄り、熱を計ろうと額に手を近づける。
しかし触れようとした直前、の眉間には力が入り、顔は反らされてしまった。
「あ…申し訳ございません。思わず…」
「ああ、そうか…いや、わたしが悪かったね。麒麟は額に触れられるのが嫌なのだと言うことを、忘れていたよ」
「ご存じなのですか?」
「角があるんだろう?力の源だから、頭の上でも触れられるのを嫌がる。ましてや額を触ろうすれば、自然に体が身を守るために動いてしまう」
「ええ…ごめんなさい」
気にしていないと示すため、更夜は首を横に振って、再度に手を伸ばしていった。
額ではなく、頬に手を当てて熱を計る。
自らの額と比べるとやはり熱い。
をその場に残し、更夜は洞窟を出た。
外は天華が舞い落ちている。
新しく降り積もったその雪を両手に抱え、洞窟の中に戻ると火から離して落とす。
少しだけ手に取って両手で握ると、冷たさが腕の芯を凍らせて行きそうだった。
しかしそのままの許へと戻り、頬を手で挟んで熱を取っていく。
「更夜…大丈夫ですから…冷たいでしょう?」
言われた事に、何も返さずに手を当て続ける。
やがて手の冷気がなくなると、再び雪を手に握り、またの所へ戻る。
そんな事を繰り返して、六回目で雪はなくなってしまった。
また、洞窟の外へ赴き、雪を抱えて帰ってくる。
額を避けて頬や喉元を手で触れながら、熱を取っていく。
「更夜…大丈夫。本当に、大丈夫ですから、もう休んで下さい…」
それでも再び立ち上がろうとする手を、は必至に掴んで引き留める。
「冷たい…これでは、更夜のほうが参ってしまいます…お願いですから、もう行かないで下さい…その代わり、側に居て下さいますか…?」
握られた手を見つめながら、更夜はしばし動きを止めていた。
やがて諦めたようにの隣に座る。
「ありがとうございます、更夜」
奥の泉から、水音が鳴ったような気がした。
大きな水滴が落ちてきたのだろか。
何かの折れるような音にも聞こえた。
更夜はの首の後に腕を置き、そっと自らの体に引き寄せる。
の体はまだ少し熱い。
ぐったりとしたまま、更夜に身を寄せたは、紺碧の瞳を閉ざした。
更夜のおかげで、随分と楽になった。
外では吹雪いているのか、風が恐ろしい音をたてている。
互いに身を寄せ合ったまま、寒い夜は更けてゆく。
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