ドリーム小説
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夢幻の国 =5= 翌日更夜が目を開けると、民居の中にはいなかった。
燻った火を見ながら体を起こすと、再度辺りに視線を配る。
やはりいないと確認し、立ち上がって出口へと向かった。
扉を開けて外に一歩踏み出すと、まばゆい光が射し込み、更夜は目を細めてそれをやり過ごした。
「おはようございます」
慣れてきた視界の中、すぐ前に立つの姿が映る。
純白の世界の中で、金の髪と紺碧の瞳は笑う。
「おはよう…」
「更夜は何処か行くあてがあるのですか?」
「行くあてなど…どうしてここに居るのかも分からない」
「そうなのですか…不思議な事もあるものですね。では、私と一緒に参りませんか?」
「どこに?」
「私もどこに向かいたいのか分からないのですが…ただこの国の様子を、見て廻っているようなものですもの。ご案内いたしますわ」
更夜はそれに頷いて、肯定の意を示した。
聞きたいことはまだあるのだし、どこかに行く予定もない。
何を忘れているのか、それすらも分からないのだから。
だが、それももうどうでもよかった。
について行くのだと決まってしまえば、何故か気分が楽になった。
大切な者を失ってしまった。それが己の境遇と重なったのだろうか。
いずれにしろ、時間はたっぷりとある。
ゆっくり、忘れたものを探して行こうと、ぼんやり考えながらを見ていた。
更夜が頷いてから、は瞳を閉じて天を仰いでいる。
陽の光を一身に受け、それを取り込んでいるように見えた。
時折風がおこって、粉雪を散らせていた。
今日も風花が美しく大気を彩る。
の周りに七色の光が瞬き、消えていく。
しばらくすると、は瞳を開けて小さく呟いた。
「主上、幣帛は今日も穏やかに朝を迎えました」
「祈っていたのか…」
更夜の声に、の微笑みが答える。
「ええ、幣帛に来たときにはいつも…。主上は朝の好きな方でした。そして朝にはいつも仰るのです。幣帛の朝は穏やかで、とても美しいと。街の構造上、風がおこりやすいのです。軽い新雪が風花となって舞い散る朝が、何よりも好きだったと…そう、仰っておりました」
そう言う間にも、の金の髪を掠めて雪が舞う。
小さな光に包まれたは、まさに神獣と呼ぶに相応しい。
神々しい光を纏っているのだから。
まばゆいまでの蒼穹を見上げ、その景色と融合し、解けてしまいそうにも見え、更夜はを引き戻すために、何かを聞かずにはおれなかった。
「前王を敬愛していたんだね」
その言葉に、仰いでいたの顔が更夜に向けられる。
「もちろん、敬愛しておりますわ。今でも」
「なのに、次王を探せと宮城を出されてしまった」
「それもございますが…大司馬は私の身を案じて下さったのです」
首を傾ける更夜に、は歩み寄って言う。
「そろそろ参りましょうか。ここには誰もおりません。これでは朝餉にすることも出来ないのです。どこか、街にいかなければ…」
つい、と体を反転させたの後ろ姿に、幣帛を出たい真意を悟った。
前王を思い出させるこの里は、にとって酷く辛い場所なのだ。
ましてや、たくさんの人が亡くなっているのだから、なおさらだろう。
だからと言って、自分に出来る事など何もありはしない。
かける言葉一つ、見つける事が出来なかった。
空に舞い上がると、遠くに海が見えていた。
朝の光を受けて瞬くその海は、黄色く見えた。
「黄色い海が…?まさか、あの海は黄海というのでは?」
実際、黄海は海ではない。
しかしその色合いを見て、思わずそう言ってしまったのだった。
「黄海?いいえ。あれは滄瀛(そうえい)ですわ。この国を取り巻く海です。誰にも滄瀛を越えることは出来ない」
「へえ」
相槌を打ちながら、更夜は何か脳裏に引っかかりがあるのに気がついた。
だが、それが何か分からぬまま、陸内へと入り、海は姿を消していった。
海が見えなくなると、さらに疑問に思った事が分からなくなる。
昨日、寝る前に何か聞きたかったのではないか、そこまでは思い出す事が出来たのだが、それがどういった内容だったのかを、思い出すことが出来ない。
しかし、あまり気にならない自分がいた。
そう、気にしていても仕方がない。
すでにこの国に来てしまったのだから。
あるがままを受け入れるしかないように思えた。
しばらく空行していると、が更夜の側を離れて飛んでいる事に気がついた。
使令と何やら話している。
さかんに首をふる動作だけを更夜は捉えたが、それが何を意味するものなのか分からなかった。
しかし、さらに空行を勧めていると、異臭が更夜の鼻を突き、さきほどの謎が解けた。
それが何の匂いであるのか、更夜にはすぐに分かった。
死臭だった。
腐ったような匂い、人を焼いた匂い、恐らく血の臭いも混じっているだろう。
そこまで考えてふと隣を見ると、飆翩(ひょうへん)に騎乗しているは、その背に伏せている。
「」
呼べば微かに首が持ち上がる。
「酷い…匂いが…。とても多くの…血の臭いが…いたします…」
どこからだろうかと、更夜は眼下を見回す。
南東の方角に小さな里がある。
里の中心からは煙が立ち上っており、風向きが北西である事を見取った。
死臭から丁度風下に居たのだ。
更夜でも鼻を突く匂いだと思ったのだから、血に弱い麒麟なら致命的かもしれない。
随分前から気がついていたのではないだろうか…。
「、どうして黙って…」
最後まで言えずに、更夜は口を閉ざした。
飆翩(ひょうへん)の高度が下がっていたのだ。
南東に向けて蛇行している。
「そちらに向かえば、血に当たってしまう」
更夜は飆翩にそう言ったが、それに対しての返答はなかった。
飆翩の様子をのぞき見れば、目が朦朧としている。
これはいけないと、に手を伸ばしてみるが、空の上である事と飆翩の蛇行が相まって、上手く触れることが出来ない。
なんとか飆翩の右から向きを修正し、かろうじて東へ向かうことが出来たのは、随分と地表が近づいた頃だった。
地表に降り立った直後、飆翩に寄りかかったは伏せたまま動かない。
飆翩もまた、ぐったりとしている。
ろくたから飛び降りた更夜はに駆け寄り、その頬を軽く打った。
「、!」
薄く瞳が持ち上がり、儚い微笑みが返される。
「大丈夫ですわ…晤繞、晤繞…」
人の手と、四本角の先だけが、の影から現れ答える。
「お側に…」
晤繞(ごじょう)の声もまた、苦しそうである。
晤繞に問いかけようとするを制し更夜は言う。
「ろくたに乗ればいい。どこかに運ぼう」
ふわりとを抱きかかえると、晤繞はすっとその姿を消した。
飆翩の姿もすでにない。
「ろくた、東に飛んで。風上に行かなければ」
妖魔は一つ鳴いて、翼を大きく動かす。
「さすがに麒麟は軽いね。、どうして早く言わなかったの?血の方向にあえて飛んで行ったのは、何故?」
更夜の胸元に預けられた頬が、ゆっくりと上を向く。
「何故…死臭がするのかと…。燃えるような匂いが…雪に閉ざされた里で起きるなど…考えられない事でしょう?ですからもう少し近づいて、晤繞に様子を見に行ってもらおうと…」
の体が、熱いような気がした。
使令が止めたのを振り切って近づこうとしていたのだ。
使令が止めるずっと前から、には気がついていたはずだ。
更夜は辺りに素早く視線を巡らせながら、風上である事を確認しながら空行した。
「更夜…同じ高さの山が…この近くにございませんか…?」
霞むような声が胸元から聞こえる。
「二つ並んだ山ならあるよ」
「その山の東…中腹に…行って頂けますか…」
言われるまま、更夜は東の山を目指す。
中腹に近づくと、大きな松の木を目指せと言われ、指示に従って行くと、ぽっかり口を開けている洞窟が見える。
すでに意識がないに、確認することは叶わなかったが、そのまま中に入り、ろくたから降りた。
を抱いたまま、ろくたと供に奥へと入っていく。
徐々に暗くなり、足許が見えなくなった頃、微かな泉音が耳に響く。
誘われるように音の方へと向かうと、小さな泉があった。
岩の上部から、下に向かって水が集まり泉を成している。
岩肌が濡れていない事を確認すると、を泉の近くに降ろし、更夜は外へと向かう。
火を熾そうと、薪を探しにきたのだが、雪深い山の中腹である。
乾いている木が見あたらない。
どうしようかと考え、更夜は里へと向かう事にした。
ろくたに飛び乗り、里へと向けて空を行く。
様子を見ることも出来るし、薪を手にいれる事も出来るからだった。
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