ドリーム小説
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夢幻の国 =3= 寥郭(りょうかく)から遠ざかってしばらく、更夜は無言で丘へと降り立った。
無言であったのは、何も更夜だけではなかったのだが…。
地に足をつけてようやく、が口を開く。
「あの…ありがとうございました」
ぱきん、と何かが折れたような音がした。
はそれを気に止めずに、歩み寄って続ける。
「おどろかれましたでしょう?この子も…」
はそう言って、天犬の首に手を置いた。
硬直したような感じを読みとり、苦笑して一歩下がった。
「私の使令の気配に驚いたのでしょう。頭の良い騎獣なのですね」
「騎獣ではございません」
少々改まった物言いに、は首を振って言う。
「気負わなくとも良いのです。靜の名を知らぬのなら、この国の民ではないのでしょう?どこから来たのですか?」
「他国であれ、宰輔の御前で軽々しくは…わたしは雁…いえ、黄海から参りました。ろくたは天犬と言って、騎獣ではなく妖魔でございます」
「黄海…雁?妖魔なのですか?では、人を襲うのでしょうか?」
「襲うな、と…」
そこまで言った更夜は、制するの動きによって声を止める。
「普通にお話下さい」
頷くと最後までを言い切る。
「襲うなと言えば、人は襲わない。信じられないだろうけど、本当に言うことを聞くんですよ」
抜けきらない言葉使いに、は微笑んで答える。
「信じます。あなたへの愛情が見えますもの」
あっさりと納得を見せたを、更夜は訝しげに見つめる。
「ひょっとして、ここには妖魔が存在しない?いや、この国は一体…」
「靜国は外界から切り離された国。ですが、他国の者であればこの国に入る事は可能なのですね。妖魔は存在いたしますが、その中に天犬なるものはおりません」
「天犬がいない?切り離された?」
「恐らく、そうなのだと思います。この国から外に出ることは出来ません。そして、外から人が来ることもありません。たった一例を除いては」
「その、一例とは?」
物静かな瞳が、更夜に向けられる。
蒼く、深い、紺碧の瞳。
たった一例とは、どうやら自分の事らしかった。
では、世界の何処に位置する国なのだろう。
「この国の妖魔をお見せいたしましょうか?私の使令に限りますが」
「…では、お願いします」
天犬に目を向けてそっと撫でてやる。
大丈夫だと言い聞かせるように。
それを確認すると、は足下に呼びかける。
「まずは私の女怪から。嫖姚、ご挨拶を」
の影から、白い腕が現れる。
背中に大きな翼を持ち、肢体は馬のようだった。
嫖姚(ひょうよう)は丁寧に腕を折って更夜に頭を下げる。
腕と同時に折られている翼の片側は、延麒の女怪を思い出させる。
女怪に関しては、何ら疑問を感じる事はなかった。
「嫖姚の次は…そうね、晤繞(ごじょう)、出てらっしゃい」
すっと出てきたのは、またしても人の手だった。
しかしそれは前肢のようで、後肢は馬である。
全体的には鹿のようで、尾だけが白い。
「獲如(かくじょ)と言う妖魔ですわ。晤繞、もういいわ。次は聚撈(じゅろう)、前へ」
次に出てきたのは、頭は1つだが身体が十もある怪魚であった。
何羅(から)という妖魔らしい。
それからもは次々と使令を呼び出す。
瞶掾(きえん)と呼ばれたのは、目が一つの狸。
ただし尾は三本あった。
讙(かん)と呼ばれる妖魔だと言う。
翹猗(きょうい)と呼ばれた一本足の鶴は畢方(ひっぽう)と言う妖魔で、青い体躯に赤い斑で白の嘴をもつ。
岐尾蛇(きびだ)と言う妖魔は、蛻黯(せいあん)と名付けられた二股の蛇。
飆翩(ひょうへん)は囂(ごう)と言う妖魔で、四つの翼を持った獣である。
これも目は一つだけで尾は犬のようである。
それぞれの特徴を見聞きしても、更夜には知らない妖魔ばかりだった。
少なくとも、黄海ではどの妖魔も見たことがない。
すべての使令がの足下に消えると、更夜は新たな質問をぶつける。
「妖獣は?吉量や赤虎と聞いて、騎獣の名だと分かる?」
「赤虎?…残念ながら、知りません。この国で、尤も一般的な騎獣は赤馬ですわ。馬の三倍で走るのですよ」
「それは…青毛の三騅ではなく?」
「三騅?いいえ、赤毛の馬ですわ。でなければ、赤馬とは言わないでしょう?」
「あ…ああ、そうだね」
この国は自分の知っている世界ではないのだろうか。
妖魔も騎獣も違うなど、考えられない事だ。
妖魔も妖獣も黄海で生まれる。
更夜は黄海に居たのだ。
これを説明できる言葉は、たった一つしかないような気がした。
「この国は…ひょっとして…蓬莱?」
「いいえ、まさか。蓬莱のように、幻の国ではないわ…蓬莱なら良いのだけれど」
蓬莱や崑崙の認識は、こちらも同じようだ。
しかし唯一の可能性が消えてしまえば、もうお手上げだった。
更夜は再び辺りを見回した。
見渡す限りの雪嶺。
いつの間にか、陽は随分と傾いていた。
「どうやら、まったく知らない国に来てしまったようだ」
だとすると、摂理までもが違うのだろうか。
そう考えた更夜は、に目を向ける。
金の髪、紺碧の瞳。
傾き始めた陽を受けて、一層色合いが深くなったように見えた。
「麒麟は蓬山で生まれ、王を選んだのちは宰輔となり、首都州の州侯となる。王を唯一の主とし…王の側を…離れてはいけない」
「ええ…。その通りですわ。私は宰輔であると同時に、首都州の州侯でもあります。靜の国氏は清。よって私は清麟と言うことになりますわね。もちろん蓬山で生まれ、生国に下がったのですわ。王の登極と同時に」
「では、何故このような人里に…北部と言うことは、首都州ではないでしょう」
「ええ、晧州は首都州の北。靜の首都は彩州(さいしゅう)にあり、宝妥(ほうだ)と言います。王宮の名は嚠喨宮(りゅうりょうきゅう)…音がとても響く構造をしております」
そこまで言うと、は足元を見つめる。
陽は翳り、暮雪はもの悲しく語る。
「彩州の州侯は私ですが、今は冢宰にお任せしております。私は…と言う字をつけて頂いた主上を忘れ、新たな王を探さねばならないのです」
はそう言うと体を反転させて、今は小さくなってしまった里に目を向ける。
更夜はさらに何も言えなくなってしまった。
目前の麒麟は、主を亡くしてしまったのだ。
今の自分のように。
「何故ここにいるのか、私にも分かりません。ただ、気の向くまま里から里を渡り歩いております」
ふと、六太の言葉が思い出された。
王を探すのが嫌で、蓬莱へと逃げた六太。
そこで王と出会ってしまった。
まるで、見えない何かに、導かれたように。
「麒麟と王とは、何か見えない力で引き寄せられるものらしい」
その言葉に、の顔が更夜に向けられる。
輪郭だけを陽が彩り、その表情は伺えない。
「本当は…王など探したくはないのです。まだ主上が生きているのではないかと、そう思うのですから…」
「では、どこかに王気を?」
否定のため、横に振られた首と供に、の顔は陽に向かう。
「あれは一年前の事でございます。主上は朝議の後、気分がすぐれぬと自室へお戻りになりました」
連なる山の向こうに、陽は落ちようとしていた。
の手は腰付近で堅く握られていたが、豊かな金の髪によって、その表情は見えない。
「主上が退出してまもなく、白雉が落ちました。確認しに行った官の話ですと、御首がなくなっていたと…」
ぎゅっと手が握られたのを、肘の動きによって感じ取った。
「何の兆しもなかったのです。私は失道もしておりませんし、王気に翳りはなかったのです。逆賊と成り果てたのが誰かも分からないまま、私は宮城を出ました」
今や完全に落ちてしまった夕陽。
世界はの瞳のように、紺碧に包まれていた。
だが、夜目にも分かるほど、の肩は震えている。
「麒麟とは…王のために存在するのです。その命運を供にするべく、生まれて来たのです。私は確かに誓いました。御前を離れないと…なのに…それなのに…主上の御身に危険が迫っている事を、察知する事が出来なかったのです」
更夜はに歩み寄り、そっと肩に手を置いた。
どうしてそうしたのかは、更夜にも分かっていない。
ただ、自然と手が動いたのだった。
「王のためだけに存在した私が、王を失ってしまったのです。新たな王を探すなど…どうして出来ましょうか…」
「宮城から出たのは、誰かに言われたから?それとも、自分の意志で?」
問われたはすぐ隣にある更夜の相貌に目を向ける。
紺碧の瞳は涙に濡れていたが、真っ直ぐな視線に射抜かれてしまいそうだった。
「大司馬が辛いでしょうと…王気の残るここにいては、気が滅入ってしまう。それなら、新しい王を探しに行かれたほうが、まだ良いと…国土の荒れぬうちに…と」
「そう…」
「大司馬も冢宰も、良い方ばかりです。皆、主上を慕っておりました。なのに…」
「逆賊…か」
すっと肩から離れる手に、は涙を拭いて更夜を見つめる。
その表情に積憂(せきゆう)を見つけ、更夜の頬に手を当てた。
「あなたも、大切な人を亡くしてしまったのですね…」
「え…」
「とても、とても大切な…」
「台輔!」
の声を遮って、白い腕がどこからともなく現れた。
を抱えるようにすると、足下から四本角の鹿が現れる。
「三脚猫(さんきゃくびょう)の群れでございます。蹴散らして参りましょうか?」
言われたは少し考え、そっと女怪の腕を解いた。
「大丈夫ですよ、嫖姚(ひょうよう)。群れですか…晤繞(ごじょう)、三脚猫はどちらの方角へ向かっているのです?」
「里からは離れておりますが、こちらに向かっております」
「では、無駄な殺生は避けましょう」
そう言うと、更夜に顔を向けて言う。
「更夜、ろくたと供について来て下さい。ここにいては危険です」
名も知らぬ妖魔が近づいている。
黄海の中ならいざ知らず、大きさすら想像する事が出来ない。
その妖魔の群れを、相手に出来るはずもなく、更夜は頷いてろくたの背に乗った。
「飆翩(ひょうへん)!」
囂(ごう)と言う妖魔が現れ、を背に乗せた。
四つの翼が飛翔の為に動き出す。
それに合わせるように、ろくたの翼も飛翔の準備に入った。
ほぼ同時に空へと駆け上がり、の指さす方向に飛ぶ。
紺碧の世界は漆黒へと姿を変え、雲ひとつなかったはずの空には、凍雲が広がっていた。
ちらちらと舞い始める雪に、の声があがる。
「更夜!もっと早く飛べますか!?早くしないと吹雪になるわ!」
更夜の頷きを見て、は飆翩に命じる。
「飆翩、幣帛(へいはく)へ向かいなさい!」
飆翩(ひょうへん)は無言のまま、南に方向を修正した。
さきほど降り出したばかりの雪は、すでに視界を妨げるほどになっている。
瞬く間に体に降り積もり初めた雪を、払いながらの空行である。
しばらくすると、飆翩は高度を下げ始めた。
ろくたもそれにあわせて高度を下げる。
小さな里が眼下に広がっていた。
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