ドリーム小説
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半日後、は冠禅を訪ねて冬官府にいた。
少々気が引けたが、他ならぬ冠禅の事だったので、引き受けたのだった。
利広を筆頭とした、朱衡、成笙、帷湍は反対したが、事情を知り、信頼出来る者の中で、冠禅に自然に近付く事が出来るのは、だけだったのだ。
は二胡を持って、冠禅の元へと向かった。
「ごめんなさい。急に頼んでしまって。新しく考案した曲を、どうしても奏でてみたかったのだけど、鳴りがおかしくて」
「いや。構わない」
冠禅は早朝と変わらず、青い顔のままだったが、の修理を引き受けた。
「どこにも異常はないようだが?」
「そう?少し弾いてみてもいいかしら?」
「あ、いや…今はそんな気分ではない…あぁ、ひょっとしては、二胡を弾くためにここに来たのか?俺が気落ちしていると思って?」
は、冠禅が都合よく誤解してくれた事を感謝した。
しかし同時に音を聞くまいとする、断固な感情をも感じ取り、悲しい気持ちに心が占領されていくのを、どうやっても止められなかった。
「冠禅は…もう私の音など聞きたくないのね…」
そう言って俯くに、冠禅は驚いて顔を見た。
「いや、違う!そうは言っていない。だけど、今朝のあの様子を見ただろう?台輔は今だ、伏せっておいでだろうし、私一人が癒されていいはずはないのだ。もし、が俺の元に癒しに来てくれたのだとすると、それを今必要としているのは、俺じゃない。台輔の枕元で奏でてあげるのが、最良だとは思わないか?」
もっともな意見に、は頷いた。
「だけど、主上が…」
そう言って口を噤んだに、明らかに狼狽した冠禅は問い直す。
「主上が?」
「一番、演奏を聞かなければならないのは、冠禅だって仰って…」
引き攣った笑みを作り、冠禅はに言う。
「それならば、ご心配には及びませんと、主上に伝えてくれないか?俺なら大丈夫だと。そうだな、気晴らしに関弓の街にでも降りてみようかな」
「関弓に…?そう…それが、いいかもしれないわね。判ったわ。主上にはそのようにお伝えするわ。ゆっくりと羽を伸ばしていらっしゃいな」
は冠禅にそう言って立ち上がった。
そして、一度も冠禅を振り返らずに、冬官府を退出した。
退出したを、一同は待ちわびていた。
「無事だったか」
全員の口から、安堵の息が漏れた。
「だから言っただろう。冠禅にをどうこうしようという気などないと」
尚隆は咎める様に言ったが、誰もそれを聞いていなかった。
「主上の仰った通り、冠禅は関弓へと向かうようでございます」
は悲しげな表情のまま報告する。
「よし、後をつけるぞ」
それを朱衡が止めた。
「なりません」
「何故だ、と一応聞いておこう」
それには朱衡ではなく、が答える。
「主上自ら動かれずとも、誰か他の者をやればよいではないですか」
「誰を動かすと言うのだ。信頼出来る者に、事情を説明している暇はないぞ」
尚隆は早々に冬官府から出てきた冠禅を、顎で指しながら言った。
「俺がいく」
結局成笙がこの役を買って出た。
尚隆はしぶしぶその役を譲り、何やら耳打ちで成笙に指示を出していた。
その他の者は、一度六太の様子を見に、後宮に戻る事にした。 六太の容態は昏迷を極めていた。
黄医の話では、時々目が覚める事もあるようだが、混沌として自分が何処にいるのかも、判然としない様子だと言うことだった。
「なんて、お労しい…」
はそっと六太の手を握り、うっすらと汗の滲む額を見やった。
宰輔付きの女官は何をしていたのだろうか?
使令は六太を庇えなかったのだろうか?
血からその身を庇い、守るのが使令ではなかったのか?
いや、それらが出てこなかったのは、自分のせいだとは首を振った。
六太に幾度、冠禅の話をした事だろう。
は楽士達の他に、友と呼べるような同僚が居なかった。
春官の中でも楽士は特殊な存在だったし、ましてや仙になってまだ八年。
それでなくとも、の周りには卿伯から上位の人間が常にいる。
これでは相手が近寄りたくとも、躊躇せずにはおれまい。
そうなると、身分のあまり変わらない人間と接する機会が、極端に少なくなってしまう。
それを疎んでいた訳ではないが、おのずと限られた人間関係を築くことしか出来なかったのだ。
六太と話す時に、冠禅の話が多くなってしまうのも、仕方のない事だった。
その冠禅が六太を訊ねたとなると、名を告げただけで、簡単に通してしまうだろうし、の事で何か重要な話があると言えば、人払いをする事も可能だったろう。
「台輔…」
その様子に尚隆は、
「あまり気にやむなと言っただろう。どうしようもなかったと諦める事だな」
と言って笑った。
六太を心配してなさそうなその言いように、むっとしたは尚隆に向かって、怒りながら言った。
「仕返しなれば、主上になさればいいのではないですか!わざわざ台輔を血で汚す必要が何処にございましょう」
その言い様に、尚隆は冷や汗を流し、を見て言った。
「それは、あんまりな言い様だな」
「台輔が倒れれば、主上とて倒れます。台輔がいなくなれば、この国は仁道を失います!それに主上なら殺そうとしても、簡単にやられたりは致しませんし、血に病む事もございません。そして簡単に殺されるようなお方なら、とうの昔に雁は滅んでおります!」
つんと横を向きながら怒るに、延は苦笑しながら言った。
「したり。だが、それは信用されているのやら、貶されているのやら」
「貶して落ち込むほど、可愛らしいお人でもございません」
横を向いたままで言うに、尚隆は大きく笑い、付け加えるように言った。
「それなら、六太だって同じだろう?麒麟にしては珍しく根性の曲がった餓鬼だぞ、それは」
「台輔になんて事仰るのですか!いいですか!台輔に何かあれば、王は立ち行かないのですよ!台輔が先に狙われた理由を、お考え下さいませ!」
何故自害だったのか。
それをは疑問に思っていた。
人が三人もあの場で死んでいる。
なれば直接傷つける事も可能だったはずだ。
「お前、最近春官長に似てきたな…朱衡が二人いるようでかなわん」
しみじみ言う尚隆に、再度怒りをぶつけようとしただったが、朱衡に気付いてそれを止め、恥じ入ったように俯く。
「主上、成笙が」
静かに中に入ってきた朱衡が、尚隆に報告する。
場所を官邸に移し、始まった成笙の報告はこうだった。
人目を憚る様にして、冠禅は移動を続け、豪奢な舎館の前でしばし止まっていたが、やがて意を決したように中へと入って行った。
「面白いくらいに想像通りだな」
尚隆は鼻で笑いながら言う。
舎館の外で待つことしばし、冠禅は再び姿を現して宮城のほうへと戻って行った。成笙が舎館の者に確認した所、夾莞は偽名も使わずに、滞在していると言う。今は見張りを立て、いつでも舎館を包囲出来るように配置済みだと、成笙は言った。
「例のモノは見つかったか?」
「いえ…ですが、状況から考えて、手元にあるものと…」
「ではその舎館に向かうとしよう。久し振りのご対面と洒落込もうではないか」
尚隆はそう言って舎館へと足を向けた。それをが制した。
「主上をそのような危険にさらす訳には参りません。もし夾莞が主上のお命を狙うのであれば、みすみす首をさらけだす事になりかねません」
「先程、俺は簡単に死なぬと言わなかったか」
意地悪く笑う尚隆に、は何も言い返せなかった。
「お待ちください」
次に止めたのは朱衡だった。
「冠禅を捕らえ、処罰するのは、いとも簡単にできましょうが、夾莞を捕らえても手を出す事はなりません。そもそも、追放されたも同然の雁に舞い戻り、大きな顔で関弓に居座っているのは、どういう事なのかお判りのはずですが」
夾莞が現在は、奏の官吏である事を失念していたは、朱衡の言いたい事を理解するのに、しばらくかかった。
「それそうおうの手順を踏めと言うのだろう。それなら問題ない」
どういう事だと、一同が顔を見合わせていると、微かに笑い声がした。
「ほらね。役に立っただろう?」
利広の声には、はっと顔を上げる。
尚隆は苦笑しながら、利広に言う。
「奏の御仁にご協力を賜りたい。関弓まで、ご同行願えますか?」
軽く腰をおり、一礼をする尚隆に習って、利広も同じように腰を折る。
「もちろん、よろこんで」
は利広を見て、尚隆を見る。
そして、恐る恐る言った。
「利広がいかに太子でも、夾莞を処罰する事はできないわ。奏の秋官か、大司空、あるいは王の裁可なしには…」
の口は、途中で上げられた利広の手によって、塞がざるを得なかった。
「その王の裁可があれば問題ないだろう?」
そう言って、一枚の紙を取り出した。
尚隆は知っていたのか、にやりと笑ってそれを見た。
「それ、は?」
が見る限り、何の変哲もないただの白紙のようだった。
利広は微笑みながら、それをに渡した。
が手にとって見ると、白紙だと思ったそれには、一箇所にだけ赤い文字が見えた。
「こ、これは!宗国王の御名御璽」
「そう、白紙だけどね」
同様、驚いていた朱衡だったが、表情を改めて利広に問うた。
「いくら、御璽があっても、白紙では意味がありますまい。宗王が直接お書きになったものでないと、その紙は芥同然でございましょう?」
「そうだね。でもまったく同じ筆跡で書く事が出来るんだ。ちょっと、筆を借りるよ」
利広はさらさらと書類を作り上げ、それを再び提示した。
白紙だったそれは、今や立派な物になっていた。
夾莞は罷免、仙も剥奪。さらに奏の戸籍からは抹消し、それを雁に返す、とそのような内容が書かれていた。
それは勝手に利広が判断して、書いてもいいような事なのだろうか?
は疑問に思ったが、首を振って考えを祓った。
どちらにしろ、それが大きな意味を持つことに変わりはない。
それに奏でも、雁と同じような悪事に手を染めているのなら、さっさと罷免してしまった方が、国のためにはなる。
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