ドリーム小説
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少しやりすぎたかと考えながら、宮道を歩いていると、後ろから呼び止める声がして、は振り返った。
「朱衡様…。お見苦しい所を、申し訳ございません」 「いえ、が謝る事はありませんよ。あれ程の事を言われても、何も堪えてないご様子ですし。それよりも、貴女は疲れておいででしょう。今日はゆっくりとお休みなさい」
朱衡はそう言って、に微笑みかける。
「あぁ、。霞披をあいがとうございました。それから、貴女と楽士達の仇は、この私が必ず取って差し上げます。主上はもう逃がしませんから」
微笑んだままの朱衡は、これ以上ないくらいに頼もしく思え、は朱衡にすべてを託した。
は自室に戻らず、関弓に降りていた。
いまごろ政務に勤しんでいるであろう主を思い、
「自業自得…と言いたいところだけど、やってあたり前の事をしているだけなのよね…それって罰になるのかしら?」
と呟いていた。
利広を探して関弓に降りてきた事を思い出し、は見知った舎館を探してみようと歩く。
活気の溢れた、街並みをぼんやりと眺めながら、ゆっくりと歩いていたは、細い串風路から伸びていた手に気がつかなかった。
しまった、と思った時にはすでに遅く、は串風路へと引きずり込まれる。
口許を押さえられ、両腕の動きも封じられ、は背後の人物を見ようと試みたが、それも叶わない。
なんとか抜け出そうともがいているの耳元に、甘い声が浸透した。
「ぼんやり歩いていると、攫われてしまうよ?こんな風に」
そう言って耳を甘噛みされ、は全身の力が抜けるのを感じた。
それを合図に、口許から放された手はの体を支え、さらにその体を反転させる。
「利広…驚かさないで…用事は終わったの?」
はやる心臓を押さえ、呼吸を整えようと大きく息を吸う。
「私の用事はなくなったようだよ。知人にあえるかなと思って、街を一巡りしてみたけど、会えなかったからね。は?今日の仕事は終わり?」
利広は、を腕の中に閉じ込めたまま聞いた。
は頷き、利広を見上げる。
「私の舎館がすぐそこにあるんだけど、一緒に夕餉でもどうかな?」
もちろんが断るはずもなく、おとなしく後に着いて行く。
「はもう決めたかな?」
夕餉の後、2人は利広のとった房間に居た。
利広の問いに、は驚いたが、何を聞いているのかは、判っていた。
「まだ、決めかねているの…利広は奏の大切な太子。私は雁の一楽士。これでは、あまりに身分が違い過ぎると、何度も考えてしまうの。いい思い出として忘れるか、距離と時間を重ねて続けるか。そのどちらかの選択肢しかないの。でも、私はどちらを選んでいいのか、判らない」
悲しげに俯いたの顔を、利広の両手が優しく包む。
「私はが望むのなら、いつだって雁までやって来るし、ずっと離れないでいる。それがたとえ国をす…」
それ以上は言わせまいと、の指が利広の唇を塞いだ。
「心にもない事を、軽々しく言う物ではないわ。それに、本当に思っているなら、私は奏を訪問した官として、諌めなければならない…でも…嬉しい。ありがとう、利広…」
利広と行動を供にするようになって、初めて流した涙だった。
この恋の行く末は、2人にも判らない。
だけど、利広と離れる事を考えるだけで、の心は悲鳴をあげ、泣き叫ぶのだった。
泣いても、泣いても答えは見つからず、2つの大国の間に挟まれた2人は、ただしっかりと抱き合うしか術を知らないようだった。
やがて泣き疲れたは、ぽつりと言う。
「まだ、どうしていいのか判らないけど…利広は私に思い出をくれる?」
「思い出にならない事を願ってなら、なんでもあげられるよ」
そう言って利広はに口付け、その体を静かに倒していった。
「ずっと、の心が落ち着くのを待つつもりだった…でも、もう無理そうだよ」
見上げた利広の熱の籠もった瞳の中に、自分の顔を見つけ、の顔は赤く染まっていく。
「利広…」
名前を呼ぶのが精一杯な自分に、心の中で思わず苦笑する。
関弓の一角にある舎館では、冬の寒気を忘れさせる房間に、抱き合う2人の影があった。
次の日の早朝、愛しい男の寝顔にそっと唇を掠め、舎館を後にする人影があった。は途を急ぎ、玄英宮に向かっていた。
はまだ迷っていたが、それを誰かに相談することは出来なかった。
この国の人は、優しい人ばかりだからだ。
が望むのなら、自らの地位を利用してなんとかしてくれるだろうが、それではなんの恩返しも出来ない事になる。
今まで与えられた多大な恩恵を、何もなかったかのように忘れ、生きて行く事はできない。
不器用かもしれないが、はそうゆう性格の持ち主だった。
しかし、冠禅の存在を思い出したのだ。
冠禅は事情を知っている。
それになんとかしようにも、一介の匠師にすぎない。
冷静に話しを聞いてくれ、的確な言葉をくれる人物だと思ったのだ。
朝日が昇りきった頃、冬官庁の前にたどり着く。
丁度よく冬官の長、大司空と出会う。冠禅の行方を聞くと、冠禅は台輔に呼ばれたと言って、仁重殿に向かったとの事だった。
大司空に礼を言い、仁重殿へと向かった。
台輔が冠禅に何の用事だったのだろう?
軽い疑問と供に仁重殿へと向かったは、ざわめく女官の群れと行き当たった。六太付きの女官ばかりで、中には倒れている者もいた。
何事かと群れを割って入ると、の後ろから慌てた様子で駆けてくる音に気が付く。
「どうされたのですか!?」
黄医は見知った顔であるに向かって、問いかけたが、は何も答えることが出来なかった。
「私も、今来た所で…何かあったのですか?」
何もなければ黄医が血相を変えて、飛んで来るはずはない。
女官の一人を捕まえて、何事かと問いただすと、冠禅の名前が浮上した。
「早く黄医をお呼びしろと…何が起きたのか、扉を閉ざしておられて判りません。ですが、良くないことが起きている模様で…」
想像だけで倒れた最初の女官を見て、次々と恐怖が伝染したのだろう。
「ここは私が参ります。何が起こったのか判らない内に、動揺していてはいけません。意識のしっかりしている者は、倒れた人の介抱を。それと、あなた。意識はしっかりしている?」
捕まえた女官に問いかけ、頷きを待っては指示を出した。
「すぐに朝堂へ向かいなさい。冢宰か大宗伯がおられるはすですから、すぐに仁重殿に来るように告げて。顔色がよくないわね、大丈夫?」
「は、はい。大丈夫です!」
女官はそう言って踵を返し、急いで朝堂へと駆けていった。
そしては黄医と供に、中へ入っていく。
仁重殿にある六太の居の前に立ち、扉を守るようにして立っていた冠禅の衣に、赤い染みを見つけ、は何事かと叫びながら走った。
「と、とにかく中へ」
冠禅の血色を失った顔からは、最悪の事態が予想され、はその恐ろしい考えを振り切るように頭を振った。
中に入ったは、目の前に繰り広げられる光景に、目を見張り、我を疑った。
乱れた部屋のそこかしこには、割れた陶器の破片が飛び散り、切り裂かれた布がそれをいっそう無残な姿に変えている。
そして至る所に大量の血糊が付着していた。
血糊を振りまいたであろう人物が、石床に倒れている。
どうやら事切れているようだったが、その人物はどうやら自害したように見える。
しかも、一人ではない。
三人もの人数が血を流しており、六太に覆い被さるように自害している者もいた。
「一体…何が?」
朦朧として焦点の定まらない目で、虚ろにを見る六太。
「…か?」
「台輔!」 この国の礎の一人、宰輔である延麒六太は弱々しく立ち上がった。
六太には血糊が大量に付着しており、それが自害した人物の物なのか、六太自信の物なのか、には判断がつかなかない。
「大丈夫だ。これくらい…こんなの、初めてじゃない…」
は両手で口許を塞いでいたが、六太に駆け寄ろうと前に出た。
の顔を見て安心したのか、六太は崩れるようにして倒れた。は黄医に六太を診てもらい、その結果を待った。
黄医が六太の手をとり、頷いたのをみて、心底ほっとした。
「!」
けたたましく扉が開き、冢宰と朱衡、さらに成笙が中に入ってきた。
しかしその誰もが息を呑み、立ちすくんでいた。
「朱衡様、主上は…」
「今、帷湍が呼びに行きました。これは一体、何が起きたと言うのですか」
誰もが動かぬ中、再び扉が開き、尚隆と帷湍が到着した。
「何事だ」
惨状を目の当たりにして、言葉を失っていた尚隆だったが、目だけはせわしなく動いていた。
そしてこちらの一団を振り返り、確認する尚隆に、誰もが口を閉ざしていた。
「とにかく一刻も早く、血を洗い流さねばならぬ」
惨状のあまり、誰もが思い出さなかったその事を王が言い、一団は迅速に動き出した。
尚隆の指示で後宮へと向かい、信頼のおける警護の者を配した後、尚隆はその場に居た全員を呼び集めた。ただし、黄医は六太に付く事を許す。
六太は血に病んだ。使令も同様、出てくる事も出来ない有様だった。
「何があったのか、説明しろ」
滅多な事では見せない、鋭い眼差しで一同を見やる尚隆。
「朱衡」
「はっ。私は冢宰、成笙と供に朝堂におり…」
「待って下さい」
朱衡の言を遮ったのは、だった。
自分から話をするのが、最善だと判断したは、大司空に出会った直後の話しをした。
そして冠禅に向き直り、優しく肩に手を置いた。
「ね、冠禅。自失している時ではないの。なんとか頑張って話しをして頂戴」 冠禅は普段まみえる事のない上層の人々に囲まれ、肩を小刻みに震わせていた。
しかしの励ましに、少しずつ気持ちを落ち着け、やがて小さな声で語りだした。
「私は、早朝早く、女官に起こされました。台輔がお呼びだから、仁重殿に来るように言付かり、急いで仕度をして向かいました。そして私が仁重殿に到着したとき、どこからか大きな音がして…不安に思った私は、台輔の元へと急ぎました。しかし遅すぎたようで、部屋はあの通りのありさまだったのです。しかしあの惨状を女官に見せては、悪戯に混乱を招くと思い、扉を閉め、黄医を呼びにやったのです」
冠禅が言い終わるのを待って、尚隆が言った。
「なるほど。的確な判断だった。お前、名はなんと言う」
主の鋭い目付きに、冠禅は萎縮しながら名乗った。
「よし。冠禅。今日は休んでいい。だが、この事は口外するな」
冠禅はおずおずとその場を辞し、はそれを心配そうに見送っていた。
「あの男を呼びにやった女官を探し出せるか?」
尚隆は朱衡に向かって問うた。
「やってみましょう」
軽く一礼し、朱衡もその場を辞した。
「成笙は不穏な動きを見せている官を当たれ。帷湍は自害した男の身元を洗え」
「御意」
「畏まりまして」
2人もその場から退出する。
そして尚隆は冢宰に、普段通り政務を取り仕切るように言い渡し、冢宰までもがその場を辞した。
残ったのは大師、それに王だった。
「主上?」
「なんだ」
「台輔が狙われた以上、主上の身も危なくはございませんか?どこかに御身をお隠しになった方がよろしいかと…」
その気遣いに、尚隆は皮肉気な笑みを浮かべ、を見やった。
「台輔が狙われて、主が身を隠したとなると、画策した人間はますます…いや、その手があったか。よし、。付いて来い」
そう言っての手を引いて歩き出す。
「しゅ、主上!何処へ行かれます!?」
尚隆はを無視して禁門へと向かう。
「まさか、関弓へ降りるなど…そのような事をお考えではありませんよね?」
数人の女官がそれを見ていたが、は気に止めている余裕もなく、尚隆にむかって叫んでいた。
「そのまさかだ。身を隠すなら、人の大勢いる場所の方が安全だと思わんか?」
「思いません!街には大僕も小臣もおられないのですよ。そのような危険な所へ自ら出向くと言うのですか!?」
「俺が簡単にやられるとでも思っているのか?」
「そうは言っておりません!しかし、どうやって指揮をとるおつもりですか!」
「なんとかなるだろう」
「なりません!」
そう叫ぶの声は、やがて禁門へと消えていった。
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