ドリーム小説
Welcome to Adobe GoLive 5
=11=
荷が着いただろうかと思われる頃に、柴望は再び戻ってきた。
「柴望様!いかかでございましたか」
浩瀚と話をしていたは、思わず立ち上がって、柴望に駆け寄った。
「桓タイに調べるように頼んだ。その桓タイが言うには、労の周囲でも何やら嗅ぎ回っている者がいたようだ。労は居所を変えたらしい」
「大丈夫なのでしょうか?」
「何、労の事なら心配なかろう。それよりも、桓タイの所に面白い者が居たぞ」
前回、柴望の言った面白い事というのは、拓峰の事だった。そこの仲間にでも会ったのだろうか。やはり、それらが近々決起すると言うのでは…。
柴望はを見ながら、面白そうに口許を歪めた。
「実は桓タイの所に、傭兵でない者が一人居てな。それがなかなかの別嬪で、器量も良い。桓タイの信頼を受けているので、恐らく冬器を運ぶのも彼女に任せるだろう」
『女気がないのが困った』『目の保養になる女が…』
桓タイの冗談で言っていたであろう声が、の頭を駆け抜けた。
「…柴望」
浩瀚の嗜めるような声に、柴望はを見たが、は顔を柴望に向けたまま、遠くを見つめているようだった。
「いや、驚いた。これほどまでに動揺するとは、思っていなかった…しかし、面白いのは、その事ではない」
柴望は改まって言った。それをぼんやりと眺めながら、は座る。
「なんでも磔刑の場で、官吏に石を投げたのだと言う。そこから逃げるのに、桓タイが手を貸したのがきっかけで、そのまま逗留しているそうだ」
そこまでをに向かって言い、次に柴望は浩瀚に向き直る。
「あまり説明していなかったようですが、我々の事情をよく理解しておりました。討たれてしまうかもしれないと言っても、その子は王が気付いてくれると信じております。しかもその子は芳国、蒲蘇の出身だそうです。名を祥瓊と言いました」
「祥瓊…」
浩瀚は考えるように指を組み、柴望をじっと見た。
「なるほど、それは確かに面白い」
何やらの判らない所で、話がなされていて、一人首を捻るばかりだった。
「」
突然呼ばれて、は飛び上がって返事をした。
「は、はい!」
「集めた冬器を、荷台に積むとなると、どれぐらい馬車がいる?」
浩瀚に問われて、は気を取り直し、にこりと微笑んで言う。
「馬車は危険ですので、華軒に積んではどうでしょう?華軒なら中を改めて見る者もおりませんし、草寇にさえ気をつければ、荷馬車を使うより安全です。華軒に少し細工をした物を、用意してございます。護衛のために三名ずつ乗せて、計三台ですべての冬器を運べます。念のため、三方向から向かわせましょうか?」
「恐れ入った。ではその様に手配してくれ。柴望は再び明郭に戻り、指揮をとってくれ。無事を祈っている」
柴望は深く頭を下げ、と供に退出した。
「これは…本当に、恐れ入った」
五百もの冬器を目の当たりにして、柴望は浩瀚と同じ事を呟いた。
茅軒をあけると華軒があり、台座の下にぎっしりと、綺麗に並べられた冬器が詰まっていた。
もちろん冬器は隠れるようになっており、人が座れば何処にもおかしな所など見当たらない。
は、華軒に乗って明郭に赴いた柴望を、轍が消えるまで見送り、館第に戻った。
準備も、指示も、何もかも、のやるべき事は終わった。
戦いに参加できないは、ただ待つしかなかったのだ。
それからは、眠れない夜が続いた。
誰かが館第に入ってくるたびに、何かの知らせかと神経を尖らせて、一日を過ごした。
その尖った神経は、睡眠を妨げる。
ようやく寝入ったと思うと、悪夢にうなされて飛び起きる。
しかも悪い事に、悪夢には二種類あった。
一つは乱が失敗に終わり、桓タイが討たれてしまう夢。
もう一つは、桓タイが祥瓊と言う女の子と幸せに過ごす夢。
しかしそのどちらにも、の姿はない。
浩瀚はそんなを気にかけてくれるので、元気に振舞って見せるのだが、ふと現実に戻ると、酷くそれが虚しい。
そんな事が続いて、数日が経過した。
が待っていた知らせがついに届いた。
それは、柴望からだった。
止水郷拓峰にある、昇紘の屋敷が焼き討ちされ、さらに郷城の義倉が襲われた。
殊恩党という者の仕業だという。それで桓タイは明郭の主要人物を集めた。
桓タイは三名の師帥に命じ、五千を拓峰に向かわせたのだという。
それと同時に、自らも拓峰に向かったらしい。
祥瓊を連れて。
和州師が拓峰の鎮圧に赴くのを見計らって、柴望の指示で明郭でも乱を起こすつもりだと。
それを聞いて、は一層落ち着きを失った。
悪夢が二つとも現実に近付いたような気がしてならなかった。
祥瓊の事も気がかりだったが、それ所ではないと頭を振る。
乱が起きてしまう。
ついに、引き返せない所まで、来てしまっている。
もし乱が失敗に終われば、桓タイは逆賊として処刑は免れない。
うまく逃げ仰せなければいけない。
でも、とは思う。
もし、包囲されてしまったら?
もし、逃げる事の出来ない事態が起きたら?
偽王軍と戦った時にも心配はしていたが、今回の比ではない。
それは身近にいたからだ。
その気になれば、はいつでも駆けつける事が出来る距離にいた。
だが、今は実状が判らない程遠い。
それを考えると、もう祥瓊の事はどうでもいいように思えた。
生きて帰ってくれさえすれば、祥瓊と供に生きると言われてもいいとまで思う。
「…」
後ろから投げかけられた声に、はびくっとした。
しかしすぐに笑顔を作って、ゆっくりと振り返った。そこには全てを見透かす、浩瀚の瞳があった。
「無理をしなくても良い。今日はもう退がっていなさい」
そう言われて、は笑顔を引いた。しかし、首を横に振る。
「一人で過ごすと、悪い事ばかり考えてしまいます…何か…私にできる事はございませんか?」
しかし浩瀚は静かに首を振る。
「信じて、待つしかない」
「そう、ですわね…」
はうな垂れて、自分の足先を見つめる。
その足先が細かく震えている事に、この時気がついた。
足先だけではない。
足全体が震えていた。
「ああ、そうだ」
浩瀚は思い出したように声をあげる。
「柴望の言った、祥瓊と言う子の話だが」
ははっと顔を上げて、浩瀚を見つめた。浩瀚は真剣な顔をしている。
「。芳国の蒲蘇と言えば、何処だか判るか」
は首を傾げて浩瀚を見る。
祥瓊と言う娘は芳の出身だと聞いた。
それと何か関連のある話なのだろうか?
「芳国の首都ではなかったかと…」
浩瀚は頷いて続ける。
「芳極国の蒲蘇には鷹隼宮がある。三年間に峯王は州候に誅された。恵州候だったと記憶しているが…恵州候は、峯王と王后、さらに峯麟を討ち、その朝に終止符を打った。峯王は民を苦しめた。それは…そうだな、今の和州のようなものであったと聞く。課役を休んだ、夫役に行かなかった。そんな些細な理由で、処刑が行われたという。しかも残虐な方法で」
は驚いて浩瀚を見た。
昇紘のような輩が国の頂点にいたとは、驚き以外の何者でもなかった。
和州のような事が国中で起これば、民は死に絶えるに違いない。
「あぁ、だから恵州候が起たれたのですね…」
「そのようだ。ところで、峯王には公主がおられた。確かその公主が、祥瓊と」
「え…」
では桓タイと行動を供にし、乱に参加しているのは、芳国の元公主?
峯王が身罷り、慶にその公主がいる。これはどうゆう事なのだろうか?
「どういった経緯があったのかは知れないし、公主だと言う確証もない。ただ名が同じだと言うだけなのだが、これが本当に元公主だとすると、柴望が面白いと言ったのも、頷ける」
「確かに…それにしても乱に参加するとは…何が彼女をそこまで動かしたのでしょう?」
「さて、それはわたし達には、知るよしもない所だが…」
浩瀚はそう言って自室に戻っていった。
一人残ったは、前院に出た。
外は暗闇。
月のない星月夜であった。
父と母を失って、遥々慶にやってきた少女。
優しい桓タイは同情するだろう。同情して、のように助けるのだろうか…
助けて、引き取って、そして…
そこまで考えて、は深みに嵌っている事に気がついた。
「私は、なんて醜いのかしら…」
煌々とした星に照らされて、は一人笑った。
祥瓊にやきもちを焼いている自分が、ひどく醜く思ったのだ。
もっと桓タイを信じる事が出来るのだと思っていた。
それよりも、もっと案じるべき事があるというのに。
こうやって、が見上げた空の彼方で、桓タイは戦っているのだろう。
明郭ではなく、拓峰で。
戦力の乏しい、拓峰で。
「どうか…無事でいて…」
呟いた声の飛沫は、星の海に飲み込まれ、やがては消えた。
|