ドリーム小説
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の元に報が届いたのは、その四日後だった。
「乱が、乱が鎮圧されました!王師が直々に出向いて、乱をおさめたようです!」
駆け込んできた師帥を、は驚愕の眼差しで見た。
「王師…ですって?」
「はい。禁軍です」
「禁軍…」
絶望がの体を駆け巡り、眩暈(めまい)がした。
王は気がつかなかったのだ。
予王の時と同じくして、またしても女王だ。
慶の、女王だ。
王の意思であろうが、なかろうが、禁軍を貸し与えてしまった。
「桓タイ…」
そう呟いて、は膝を折った。
立ち上がる力は、すでにない。
浩瀚が後ろから駆け寄って来て、何事かと問うたが、は何も答える気力がなかった。
ただ、無事でいてくれればと願った、その気持ちは無に帰した。
「最後まで聞いた方が良いだろう」
そう言って助け起こそうとする浩瀚を、は初めて恨めしく思った。
確認しろと言うのだろうか。
我が耳で、愛しい人の最後を。
「それで、禁軍は何故出てきたのだ?」
浩瀚の問いに、はきはきとした返事がする。
「はい。どうやら、靖共が裏で操っていたものと思われます。しかし、王と台輔がお出ましになり…」
「王と台輔が?台輔が戦場に?」
は驚いて聞き返した。そして、初めて師帥の表情をみた。
彼の顔はにこやかに笑っていたのだ。
その表情と言動とを怪訝に思い、浩瀚が最後まで聞けと言ったのが何故なのか、判ったような気がした。
「拓峰の乱を起こした、殊恩の中になんと…主上がおられたのです」
「は?」
の拍子抜けした声に、師帥はますます笑みを強くした。
「ですから、民に紛れて、王がその場におられたのです。義民として、乱に参加されておりました。初めは州師が出てきて、将軍や主上は率先して、前線で戦われておりました。禁軍が現れた事によって、一時拓峰は騒然となりましたが、主上が台輔をお招きになり、禁軍を引き上げさせる事に成功致しました。それはそれは、見事な覇気をお持ちでございます」
師帥はさらに笑みを濃くし、
「これより後の報告は、将軍から直々に聞かれるほうがよろしいかと…」
そう言って退がった。
将軍から直々に、と言うことは、桓タイは生きている。
生きて、近い内にの元へ帰ってくる。
いつものあの笑顔で帰ってくるのだ。
それだけでは幸せだった。
桓タイの無事がこんなにも嬉しい。
たとえ別れの話が出たとしても、今のこの気持ちを思うと、耐えられるような気すらした。
「まだもう少し、待たなければならないようだな」
浩瀚はそう言って、柔らかな微笑をに向けた。
もまた、浩瀚に微笑んで、しっかりと頷く。
それからさらに数日後、桓タイは数名を引き連れて戻ってきた。
は駆け寄りたい衝動を堪え、後ろに女性の影を探した。
「ただいま戻りました」
そう言って微笑む顔を、は穴が開きそうなほど見つめる。
桓タイは浩瀚に報告を始めた。
王の命を受け、禁軍が遠甫を助け出した事や、拓峰の乱に参加した経緯(いきさつ)等。
そして、乱を鎮圧した王から、褒美を言えと言われ、浩瀚の復廷を願ったのだと言う。
「堯天を訊ねて欲しい、との事でしたが、実は明日、こちらに来られます」
はぎょっとした。
王が、ここに来る!?
ガタンと音をさせて立ち上がり、確認のつもりで桓タイを見た。
「気遣われるは好きではないので、何もしてくれるなと」
では本当に来るのだ。何もとするなと言われても、そうは行くまい。
「主上は金波宮にお戻りになる前に、此方に寄りたいと言われて…一度浩瀚様にお会いしたい様子でございました。それと、にも」
「え?私…?」
桓タイは真っ直ぐを見つめて頷く。
「主上は胎果であらせられるから…」
納得しかけたが、何かを誤魔化したような言い方に、疑問を抱かずにはおれなかった。
しかしは首を横に捻りながら、とにかく、と言って卓から離れた。
掃除の指示を出すために、慌しく去って行った。
「ご苦労だった。が相当落ち込んで、眠れなかったようだ。柴望が言った冗談を間に受けて、不安で堪らないといった顔をしていた」
の出て行った方向を見ながら、浩瀚はそう言って桓タイを見る。
言われた桓タイは首を傾げて、判らないと言った風だった。
「冗談で、ございますか?」
「身を案じるのは、もちろんの事だが…。器量の良い別嬪が桓タイの傍にいると、柴望がに言った。もちろん冗談のつもりだったろうが、桓タイはその祥瓊とやらと拓峰に向かったのだから、二重の不安を抱えていたようだ」
苦笑して言う浩瀚の表情から、の状態が伺える。
桓タイはすぐに踵を返し、の姿を追った。
は院子で数名に指示を出していた。
貴人がどうのと聞こえたから、王が来るとは言わなかったようだ。
「、話があるんだが」
そう言って傍に寄ろうとしても、は桓タイを見るまいと顔を背ける。
先程食い入るように見つめていた瞳とは、一切かち合うことなく、それがどのような感情に寄るものか、桓タイには知るよしもないが、夜まで待てと言ったに従い、大人しく夜を待った。
陽が落ち、夕餉の時間が近付いてきた頃、磨き上げられた館第のあちこちから、女達の満足気な声が響き、桓タイは夕餉の席に呼ばれた。
しかしそこにの姿はなく、桓タイは少し不安を抱えながら夕餉を終える。
そわそわしながら夜を迎えても、の姿を見る事はなく、桓タイは気がつくと館第中を闊歩(かっぽ)していた。
の姿を求めて歩くが、どこを探しても見つからない。
「まいったな…」
困ったような顔で立ちすくんでいると、後ろから声を掛けられ、桓タイは弾かれたように後ろを振り向く。
「桓タイ」
「…やっと見つけた。夜まで待った。もう待てない」
しばらく会わない内に、は随分と儚くなったような気がした。
それこそ、触れれば壊れてしまいそうなほど弱く、脆い存在に見えた。
陽子を見ていたからだろうか、と知らず苦笑する桓タイを、は殆ど見ずに言った。
「どうぞ」
そう言われて初めて、の自室前に立っている事に気がつく。
中に招き入れられ、房室の真ん中まで来て立ち止まる桓タイ。
それを怪訝そうに見上げるに向き直り、桓タイは聞いた。
「約束、守ったのに褒めてくれないのか?」
そう言って、桓タイはを見た。
は顔を背けて、じっと壁を見つめていた。
「乱を成功させ、必ず生きて帰ってくると約束した。そして生きての元へ帰ってきた。褒(ほ)めてもらえると思ったんだが、避けられるとは思わなかった」
そう言われて、は弾かれたように顔を向る。
「あ…ごめ…」
「謝って欲しいわけじゃない」
やっと振り向いたに、やんわりと笑んで桓タイは言った。
静かにの元へと歩み、正面から背中に手をまわす。
「会いたかった、」
そう言われて、も桓タイの背中に手をまわす。
「わ…私も、桓タイに会いたかった。ずっと不安だった。もし乱が失敗したらどうしようって…もし桓タイが死んでしまったらどうしようって、その事ばかり…桓タイ、生きて帰ってきてくれてありがとう。生きてさえいるのなら、桓タイが誰を好きでも耐えられるわ」
微笑みかけた桓タイはが言った最後の言で、思わず眉を顰めた。
「それは、どうゆう意味だ?」
何も答えないの頭を見つめ、その上に顔を埋める。
そして静かに聞いた。
「祥瓊か?」
の肩がびくっと震え、そのまま体が強張るのを感じた。
「女気がないのが困るとか…目の保養になるような人が居ないとか…そんな事を言っていたから…」
それを聞いて桓タイは、そんな事を言った事すら忘れていた自分を思いだした。
最後にとした会話がそうだったのを思い出す。
「その、なんだ…不安にさせて、悪かった。でも、何も…」
「違うの!」
桓タイの腕が、叫んだの振動で軽く揺れる。
「私が…自信がないからなの。桓タイのせいじゃない。勝手に想像して、勝手に自分を追い込んでしまったの。傍にいない事が、こんなにも辛いだなんて…思ってもいなかった」
はそう言って、少し声を震わせて続けた。
「前に避けられていた時ね…このままの状態が続くなら、いっそ目の届かない所へ行けば、楽になるかもしれないって考えた事があるの。でも…嘘ね…。桓タイがいない。顔を見る事が出来ない。無事でいるかも定かではない。国を思う気持ちはよく判るのに…自分なら同じ事をするはずなのに…それを行動に移した桓タイを責めたくなる私がいる。綺麗な人が隣にいると、勝手に想像して、その人と桓タイが仲良くなる所を描いて…命に関わる危険な所にいて、戦っている桓タイにやきもちまで焼いて…そんな自分がとても嫌い…自分がとても醜くて、とても弱いんだって、初めて気がついたわ…ごめんなさい…桓タイに向ける顔がないの…」
桓タイはふっと息を吐き、の耳元に口を近づける。
「正直言うと、嬉しい」
驚いて見上げた先に、桓タイの優しい笑顔があった。
「予王が崩御され、は俺にすぐ州城へ帰れと言った。それは正しい意見だと思ったし、心情に流されないに感心した。でも、やはり少し寂しいと思ったのも否定しない。だから、同じ気持ちを持っていてくれたが嬉しい」
「でも、桓タイはこんな醜いやきもちを焼いたりはしないわ…見たこともない女の子に嫉妬して、桓タイが命を懸けて戦っているのに、そんな事を考えてしまう私なんて…」
途中での口元に指を当て、桓タイは続きを遮った。
「俺を思っての事なら、どんなに醜いと言っても、俺は思わない。嫉妬されて嬉しい。実は、は嫉妬しないんじゃないかと思っていた」
桓タイは口元の指をずらし、頬に手を当てる。
「嫉妬…だらけよ…。見せなかっただけ」
「もっと見せてほしい。が嫉妬しているのを、もっと見たい」
今や桓タイは両手を頬に添えていた。
顔を逸らせないは赤くなりながら、桓タイの瞳を見つめていた。
潤んだ瞳に引きつけられるように、唇を寄せる。
「主上はとても良い方だった。これで、本当に落ち着くのだと思う。だから、もう離さない。麦州に戻ったら、一緒になろう。離れて住まうのは、もうおしまいにしよう」
「桓タイ…」
熱いものが瞳から流れ落ちて、は気持ちが安らいでいくのを感じる。
口づけた唇の隙間から零れる吐息を、夜の闇が静かに包み込んだ。
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