ドリーム小説
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それからさらに数年が経過した。
新王登極に騒いでいた国は、その余韻を残さず、国は静かに傾きを見せており、王は政務に飽いていると言う噂が、まことしやかに囁かれるようになった。
その日、は浩瀚に呼ばれていた。
浩瀚は首都堯天から戻ってきたばかりだから、国府で何かあったのかもしれない。
少し不安を覚えながら、は足を進めた。
「失礼致します」
中に入り辺りを見て、はギクリとした。
浩瀚と並んで、桓タイが立っていたからだ。桓タイも明らかに狼狽を見せていた。
気まずい雰囲気の中、口を開いたのは浩瀚だった。
「に一つ相談があったのだが、構わないか」
そう問われては、はい、とだけ答えた。
「その前に、知らせがある」
浩瀚はそう言うと、厳しい表情をした。
「冢宰に、地官長靖共が。和州候に、大司馬呀峰が任命された」
「なんですって!」
驚愕したのは、桓タイもも同じだった。
靖共は狡賢い官吏である事を、浩瀚は見抜いていた。
取り分け目立つ事をやっている訳でもないが、確実に私腹を肥やしている一人だった。
呀峰に関しては、最悪だった。
和州と言えば、陸地の要。各所の産物が必ず和州の明郭を通る。
それを牛耳られれば、国にとっても痛い。
州候になったと言うことは、和州の民は確実に締めあげられる。
州のすべてを懐にしまおうと言うのだろうか。だがこれだけははっきりと言える。
「和州は…終わりだ…」
桓タイの言葉に、沈黙が答える。
「王は政を完全に投げ出された」
浩瀚は深く溜め息をつき、遠くを見つめていた。
しかし、気を取り直したのか、明るい調子を作って言った。
「、相談のほうなのだが。――桓タイを州師将軍にしようと思うのだが、どうだろうか」
麦州の戸籍を管理しているのは州司徒だ。
はその州司徒だった。なら手を加える事は可能であろうと浩瀚は言う。
それに対し、先に口を開いたのは桓タイの方だった。
「浩瀚様!何を…」
浩瀚は目で桓タイを止め、を見やった。
は浩瀚の視線を受け、にっこりと微笑んでいった。
「とても適任だと思います。でも、それは可能ですか?」
の言に、桓タイも口を揃える。
「そうですよ。私は半獣です。とても将軍など、主上はお認めになりませんよ」
の時と違って、桓タイには生まれ持った戸籍があった。
それには紛れもなく半獣だと記載されているはずだ。
「あの方は政治にあまり興味がないようなので、なんとかなるだろう」
皮肉な口調で答える浩瀚に、桓タイはさらに言い募る。
「国府の人間もおります」
「何、戸籍をいじれば判るまい。そのためにを呼んでいる。国府の連中は、どうも私腹を肥やすのに忙しいようだし、各州にまで気を廻すような気の利いた官吏は、悲しい事だがいないだろう」
そう言って悪戯っぽく笑う浩瀚を、桓タイは唖然と見ていた。
「桓タイは将軍になるのが嫌なの?」
は久し振りに見る、桓タイに視線を送り、そう聞いた。
「嫌と言うわけでは…ですが、国府に目をつけられれば…」
桓タイはの方を向かず、浩瀚に向かったまま言った。
「もし見つかったら、知らぬ存ぜぬで通せば良い。人違いだと言ってもいいだろう。ああ、勘違いだと言う手もあるな」
「どれも同じ事です!」
焦ったような桓タイが妙に懐かしく、同時に苦しいとは感じた。
「問い詰められたら小金を握らせればいい。国府に仕える役人のすべては、それで済むのだから」
桓タイは絶句して浩瀚を見つめていた。
は思わず噴出し、桓タイに言った。
「嫌でないのなら、もう決定したのも同然よね。おめでとう、桓タイ」
にそう言われて、桓タイは俯いて小さく礼を言った。
「さて、ではさっそく手続きをしてこよう。ああ、二人とも、しばらくここで待っていなさい」
そう言って浩瀚は一人退出し、は桓タイと二人、残される事になった。
二人になると、気不味い雰囲気が戻ってきたが、は桓タイに近付いた。
「桓タイ」
呼びかけてみるが、桓タイは振り返らない。
「桓タイ…そんなに、私が嫌い?」
そう問われて、桓タイはあわててを振り返った。
はうっすらと涙を浮かべて、桓タイを見上げていた。
「いや…その…」
「どうして私を避けるの?どうして話をしてくれないの?私が…海客だから?」
「違う!」
すごい剣幕で否定する桓タイを、は驚いて見上げた。
「だったら何故?」
言葉に詰まった桓タイは、そこで黙ってしまった。
「同じ麦州に仕える者としても、嫌なの?人間として、避ける程嫌いなの?」
「違うと言っているだろう」
桓タイは自然語調の強くなっていくのを、自分でも止められないでいた。
「私は…桓タイが好きよ。でも、桓タイにそれを言ったら、恩を仇で返すようで言えなかった。麦州に仕えることで、少しでも役に立つことで、その恩を返したいと思って頑張ったわ。この十数年、ずっと忘れようとしてきたし、避けられるのにも慣れようとした。でも、駄目だったの。桓タイに嫌われても、私は桓タイを嫌いになれなかったし、前よりもっと好きで…苦しい」
泣きながら訴えるに、桓タイは驚いた目を向けていた。
そしてにそっと腕を伸ばす。
の腕に自らの手が触れた時、何かが弾ける様な気がした。
桓タイはを抱き寄せ、きつく抱きしめた。
抱きしめて何も言わない桓タイを、は見上げようとしたが、頭を動かすことが出来ない。
長い抱擁の後、桓タイはを放し、逃げるようにその場を去った。
取り残されたは呆然と立ちすくみ、ただ桓タイの後姿を目だけが追っていた。
何処とも知れず、州候の溜め息が聞こえたのには、気づかなかったが。
それから数ヶ月後、桓タイの事を気にかけている事ができなくなる事態が起きた。
「主上は王宮から女を追放した」
は浩瀚の言った事を理解するのに、少し時間がかかった。
「女を?」
浩瀚は深い溜め息をつき、頷いた。
「どうやら台輔に恋着されているようだ。自分以外の女が台輔の目に触れる事を疎んでいる」
「そんな無茶苦茶な…」
「舒覚様は、台輔の妻であるように振舞われるとか。政をなさず、王宮の奥に閉じこもって出てこない。国府の人間は前にも増して、私腹を肥やすのに忙しいようだ。このまま行けば、崩壊は近い」
「まだ、登極して幾年にもならないと言うのに…」
一時収まったかのように見えた荒廃は、再びその姿を露にしていた。
それが浩瀚の言を肯定している。
それにしても早すぎる、とは思った。
なんて愚かな。
王宮から女を追放せよなど。
そう言っていたのがしばらくすると、今度は国から女を追放せよと言い出した。
さらに月が経過すると、国から出ない女達を、王が殺そうとしているとまで聞いては、穏やかではなかった。
そしてついには、台輔失道の報が入った。
その頃には、女達は毎日列を作り、青海に向かって進んでいた。
州城に居たも、例外ではなかった。
一刻も早く、国を出る事を迫られていたのだ。
「。一つ大任を背負ってもらいたい」
思いつめたような浩瀚を見て、はさらに驚いた。
これほどまでに悲壮な表情をした麦候を、は今まで見たことがなかったからだ。
しかし、この状況下では、当然と言えよう。
「私に出来ることでしたら、何なりとお申し付けください」
「青海に面した港町で、女たちを保護する」
は浩瀚を見つめながら、聞き返した。
「保護、ですか?」
「そうだ。誰も国から出たくは無かろう。船が出ない、船が足りないと言えば、多少なりとも誤魔化すことは出来るだろう」
はようやく浩瀚の言を理解した。
「そこでには民を先導して欲しい。国からの使いがきた時に、国から出る意思はあるのだと、船が来ないから仕方なくここにいるのだと、全員が言えるように、民に言い聞かせて欲しい」
「畏まりました」
民の先頭に立つ。
それはもし何かがあったとき、死を意味する。
しかし、は充分理解していた。
もしもの時があれば、一人でも多くの民を逃がし、自らが盾になることも厭わない覚悟だった。
「すまない…だが、他に頼めるような者がいない。危険な大任だが、頼む」
そう言った浩瀚をは微笑で返した。
「とんでもないことです。私は今まで生きてきて三度、死を覚悟しました。それにくらべれば、なんて事ございませんよ」
浩瀚は明るく言うに感謝しつつ、調子を戻そうと努力した。
「ほう、三度も?」
「ええ、こちらに来る以前です。蝕の最中で一度。蠱雕に締め付けられた時に一度。その蠱雕に空中に投げ出され、落下した時には考えている余裕もなかったのですが、次に褐狙に食べられそうになりました。その時に一度。でも、私はこうして生きています。それはとても幸運な事だと思いませんか?」
「確かに…想像を絶するほど幸運だ…」
「ですから、今回も大丈夫ですよ。私の幸運に期待してくださいませ」
「では確かに頼んだぞ。こちらでも、できる限りの事はしておく」
麦州侯浩瀚はそう言って、の決意が篭った目を見た。
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