ドリーム小説
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それから丁度二週間後、予青六年五月、景王崩御の知らせが港に届いた。
民は歓声をあげ、誰もがそれを喜んでいるようだった。
景王は謚号を予王と言った。禅譲であったと言う。
それなら、新王が登極するのに、さほど時間がかからないだろう。
ある者は里に帰り、ある者は港に残った。
港の女を放っておく事が出来ないは、その場に留まり、桓タイにはひとまず州城に戻るように言う。
「これから慶は揺れるわ。浩瀚様をお助けしなければ。桓タイはすぐにでも州城に戻って。私なら大丈夫だから」
でも、と言う桓タイを叱咤し、州城に向かわせた。
実際、新しい土地を求めて、港から出る必要がなくなったのだ。
州城から戻って来るように使者が来たが、それを押し切って港に残った。
港町に留まり、指揮をして落ち着いたらすぐに戻ると、桓タイに言い聞かせる。
桓タイを送り出して、は忙しく動き出した。
組長との会議は定期的に続けていたが、話の内容は当然のように変わっていった。
里に戻る人々に護衛をつけ、それぞれが無事に戻れるように手配し、港に残りたい者には職を用意する。
そうして会議に出席する者は、一人、二人と姿を消して行った。
新王の登極まで、根気強く生きる事を誓い、港を離れる旅団を見ながら思う。
新しい時代に、生き残れますように。
祈りに近いそれは、の心を締め付ける。
景王崩御の知らせを聞いた時、すでには組長の名を、全員言えるほどになっていた。
そこまでになれば、情も深くなる。どうしても彼女らの安否が気になる。
殆どが麦州の人間だが、他州の者も皆無ではなかった。自州に帰ると言われれば、止める事はしなかったが、やはり道のりの遠さに不安がつのる。
やがて港に残る者以外が、町から完全にいなくなって、はようやく州城に戻る事となった。
予王崩御の知らせから、すでに丸一年以上が経過していた。
その間、桓タイから州城の様子を聞いてはいたのだが、ここ三ヶ月ほど、ぱったりと姿を見せない。
かわりに軍の者が来ては、
「一刻も早く、お戻りになりますよう」
と言って、の様子を州城に届けているようだが、なにしろ空位の今は、致し方ないのかもしれなかった。
州城に戻ったは、真っ先に州候の元へと向かった。
帰還の挨拶をするためだ。
随分長い間、州城を空けていたは、辺りを見回しながら懐かしく思い、走廊を歩いていた。
「ここは何も変わらない…」
そう一人呟いて、浩瀚の元へと向かう。
「ただいま戻りました」
浩瀚はそう言って入ってきたを、笑顔で迎えた。
「長い間、ご苦労だった」
そう言って労ってくれる。は深く頭を下げた。
「集まった女達が頑張ってくれたおかげですわ」
「よく取り纏めていたそうだな。桓タイも感心していた。これだけの命が救えたのも、のおかげだ。とても感謝している」
掛け値なしに褒められたは、少し照れて笑った。
「いえ、とんでもないことです…」
そこへ、駆け込む足音があった。切迫した表情の者は、州師軍の一人だった。
「麦候!またもや州が一つ落ちました!」
蒼白の師士は肩で息をして、浩瀚の言を待った。
「そうか…判った。下がって宜しい。ああ、桓タイにこちらへ来るように伝えてくれないか」
「畏まりました!」
再び駆け足でその場を後にした人物を見送り、は浩瀚を振り返った。
「国の事に気を取られてはいけないと思ってな。には伏せておいたのだが」
そう言って浩瀚は語り始めた。
が港に留まっている間に、国は大きく揺れていた。
予王崩御の後、新王が起ったのだと言う。
「そのような話、聞いた事がございません」
予王舒覚の妹、舒栄が王に起ったのだと言う。
姓が同じ者は王になれない。それがこの世界の常識だと教わっていたは、わが耳を疑った。
がそう言うと、浩瀚は頷き偽王だと言う。
「しかし、民にそれは判断できぬ。今各州は偽王側と、反偽王側に分かれている」
「浩瀚様はもちろん…」
「もちろん、反偽王側だ。舒栄が王であるはずない。第一麒麟の選定がないように思われる。里祠に王旗が揚がった所もあったようだが…」
「現在の状況は」
緊張した声を、なるべく落ち着けようとしたが、どうやら浩瀚にはわかっているようだった。
「舒栄は維竜に立て篭もっている」
維竜と言えば、征州だ。
「明郭ではなくて?」
浩瀚は静かに頷いてを見た。
征州とは意外に思った。偽王が立ってすぐに動きそうなのは、和州なのに…。
「台輔は今?」
浩瀚は首を振って判らないと言った。
そこへ桓タイが到着した。
「!」
「桓タイ!」
「には、今掻い摘んで説明していた所だ」
桓タイは浩瀚に頷いて、に向かった。
「実は偽王が起ってすぐ、ここの師帥が数名、偽王軍に下った」
それで桓タイは、州城を離れる事が出来なかったのだと納得した。
「なんて事…この国はなんて、波乱の多い国なの…やっと、やっと落ち着いたと思ったのに。港から一歩出れば国中が揺れているなんて!」
はそう叫ばずにはおれなかった。
それから数日後、ついに舒栄は、景麒を従えて民の前に現れた。
これによって、三つの州が落ちた。舒栄の軍制は日増しに勢いを増し、ついには麦州以外のすべての州が、偽王の手に落ちる。
「紀州までが…慶はこれから、どうなるの」
の呟きに、答えられるものなどいなかった。
桓タイは絶えず軍の詰所にいた。常に臨戦態勢であったからだ。
偽王軍が麦州に目を付けている事は確実で、いつ攻めてくるやもしれなかった。
緊迫した夜が続き、誰もが疲れ果てていた。
しかし、必死の攻防も叶わず、浩瀚は偽王軍によって捕らえられる。
なんとしてでも、助け出さねばと策を練っている所に、急激に終着の報が入った。
正当な新王が登極したのだ。新王は延王から雁の禁軍を借り受け、偽王を討ったと伝え聞く。
国中に歓喜の声が上がったのは、言うまでもない。
もちろん、ここ麦州城でも歓声が起こった。
「あぁ…これでやっと…」
はそう呟いた。新王が立ったのだ。
龍旗も揚がった。今度こそ間違いない。
浩瀚も開放されて、州城に戻ってきた。
桓タイも安堵の息を漏らし、もまた深く息をついたのだった。
しかし、これで国が落ち着くのだと思ったは、自分の甘さを思い知らされる。
新王登極から数ヵ月後の事だった。
―麦州候、罷免―
浩瀚は、自らが王に起つつもりだったと糾弾され、罷免された。
「そんな!浩瀚様がそのような事、なさるはずがないわ!」
桓タイからその話を聞いたは、憤りに打ち震えていた。
「今は、麦州で身柄を拘束している事になっている」
怒りに震えたをなだめながら、桓タイはそう説明した。
実際拘束している訳ではなかったが、そうゆう体裁を取り繕ったのだ。
玉座を狙っていたなどと、傍にいれば断固として違うと言えよう。
「靖共が朝議で、そう言ったのだそうだ」
溜め息を着きながら言う桓タイに、は驚愕の眼差しを向けた。
「靖共!」
「そうだ。いよいよ頭角を現してきたな」
桓タイは空を睨みながら言った。
「大丈夫と、今は信じるしかないな。国府にも浩瀚様の味方はいる、天官長大宰もそうだ」
大宰は靖共に対して、一番強く反発しているのだと聞いた。
だが靖共が冢宰である以上、予断は許さない。
は何か悪い事が起こりそうな気がしてならなかった。
その予想は見事的中し、大宰謀反の報が入った。
大宰は三公と共謀し、謀反を図ったとの事だったが、これの裏で糸を引いていたのが、浩瀚だと汚名を浴びせられた。
さらに悪い報は続く。大宰が自害したとの報だった。
これに対し、国府から秋官の迎えが上がった。
「浩瀚様、なりません。王に会われる前に、大宰のように貶められてしまいます!」
は必死に浩瀚に訴えたが、浩瀚はそれを止めた。
「今ここで私が逃げ出せば、麦州のすべてが国に仇名したと見られよう」
「それは…確かに浩瀚様の言う通りですが、私はそれを受け入れる程人間が出来ておりません」
「大丈夫だ。策はある」
そう言って微笑む浩瀚を、は不安げに見つめた。
連行される際、浩瀚はを同行に指名した。
州司徒ではあるが、武に長けていないのは、体格から歴然としていたので、
「女が一人増えた所で、大事ないだろう」
と認められたのだった。
何も知らなかった港町から、今度は渦中の中にいるは、それでも満足していた。何も知らされず、浩瀚や桓タイが苦しんでいるのを後で知るよりは、ずっといいと思っていたのだ。
護送の為、華軒の中に浩瀚と向き合うように座ったは、突然顔を上げた浩瀚に気がつく。
何事だろうかと思っていると、悲鳴が聞こえてきて、華軒が揺れた。
揺れは段々酷くなり、ついには横になぎ倒された。
悲鳴を上げる間もなく、浩瀚と重なるようにして、外に掘り出される。
浩瀚が身を挺して守ってくれたおかげで、は無傷だったが、慌てて浩瀚を助け起こした。
「も、申し訳ありません!」
焦った声に笑う浩瀚を見て、怪我が無いのを確認した。
確認した所で、何が起こったのかと、初めて辺りを見回す。
そこには気絶している秋官と、見慣れた者が立っていた。
巨大な熊がを見て、にかっと笑う。
「桓タイ!」
は熊に駆け寄り、その顔を両手で包んだ。
額の間に顔を埋め、力を込めて抱いた。
「無事だったようだな」
は別の聞き覚えがある声に振り返る。
「柴望様!」
熊から離れ、柴望の元に駆け寄る。
浩瀚の罷免によって、麦州州宰である柴望にも、そのあおりは飛んでいた。
柴望と桓タイに挟まれるように、随従が二名控えている。
桓タイは華軒を片手で起こし、三人はそれに乗った。しばらくすると、人型になった桓タイも乗り込んで来て、華軒は随従によって動き出した。
「これで、残った者に火の手が飛ぶ事もないだろう」
浩瀚はそう言って笑う。策とはこの事だったのかと、は悟った。
「少し辛い長旅になるが、堪えてくれ」
浩瀚の言うとおり、長旅になりそうだった。
華軒は町でも里でも止まろうとしない。昼も夜も走り続けた。追っ手の目を逃れての事なので、整備されてもいない道をひた走る。遠回りをしながら目的地に向かっているのだろう。
食事は穀物を炒った物を食べ、寝るのも華軒の中。
止まるときと言えば、川のある所だった。
座りっぱなしの体は堅くなり、伸びをして少し体を動かす。
二人の随従も同じように伸び、手綱を握る。
華軒に乗るときに見ると、手綱は一人が持っていたので、きっと交代でしているのだろうとは気がつく。
寝るのも交代のようだったが、三日目にたまりかねて、は代わろうかと申し出た。
するとあっさり断られ、しかも怒られた。
「何をお考えですか!我々は逃亡中なのですよ!様のように、州の要に近い所におられた方が、外に顔を出してどうするのですか!!」
そう言われて、は素直に謝り、華軒の中に戻った。
すると中では三人が笑いを堪え、それでも堪えきれずに肩を震わせていた。
すべて聞かれていたのだ。は少し膨れて三人を睨みつけた。
「笑いたいのを我慢するのは、体によくありませんわ!どうぞ遠慮なくお笑い下さい!」
が言い終わり、つんと横を向いた瞬間に笑いの渦がおきた。
それにつられて、も笑った。
実に幾日振りに笑ったのだろうか。
寝る時には桓タイが肩を貸してくれる。
浩瀚と柴望に向き合っていたので、初日には遠慮と照れで、前に項垂れるようにして眠ったのだが、目が覚めると桓タイの膝の上に頭を乗せていた。
自分で移動したのか、桓タイが移動させたのか、この場で聞けるはずもなく、それを避けるためには、最初に肩を借りるのがいいと判断したからだ。
「本当に、仲のよい二人ですな。これで、どちらも要職でなければ、幸せにしてやりたい所ですが…」
柴望がぽつりと言った。
桓タイの肩に頭を預け、寝入っているを守るように、桓タイの腕が横から包んでいた。
もちろん寝入る時には、何もしていないのだが、寝てしまうと自然、そこに手が行くようであった。
が動こうとすると、逃がさないとばかりに引き寄せるのも無意識のようで、元州侯と元州宰は苦笑を漏らしていた。
しかしこれからの事を思うと、無言にならざるを得ない。
浩瀚はそれに黙って頷き、寝入る二人を見ていた。
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