ドリーム小説
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赤灑灑 =3= 「寒い…戴はこんなにも寒い国だったのね…」
秋が終わって冬が訪れていた。
範の冬はにとって快適であった。
戴に戻ってくると、身を切るような冷たさが懐かしくもあるが、気候が恵まれていないことを改めて思い知らされた。
それだけではない。
範と戴の宮城では、それを取り巻く空気が徹底的に違う。
張りつめたような空気は、何も気温ばかりではない。
雲海の上にあっても、風は痛いほど冷たかった。
そして厳粛な雰囲気に包まれている。
それはやはり、この気候のせいだろうか。
見慣れたはずに王宮は、懐かしさよりも緊張を運んできた。
見知った者に会えば、それなりに懐かしく感じるものの、白圭宮はどこか居心地が悪い。
それは新王朝を知らないと言うのも大きいだろう。
少し見ない間に知っている者が随分と減った。
見慣れたはずの宮道を、まるで見知らぬように歩き、冬官府へと向かう。
「、久しいね」
「大司空…ごぶさたしております。本日はお目通り願いまして、誠にありがとうございます」
「うん。親書を持ってきたのだって?」
「はい。先程お渡しして参りました。泰王にお許しを頂きまして、冬官府へ来ることが出来たのです」
そう言うと、琅燦はにこりと笑って言う。
「大丈夫?」
「え…」
予想していなかった言葉に、驚いて琅燦に目を向けた加奈子。
そこに頷く琅燦の姿があった。
「うん、成長したね。だから悩んでいるんだね」
「…私が、悩みを?」
訳も分からずそう問い返すに、琅燦は大きく頷いて言う。
「何かに躓いているようだからね。だけどそれは成長の証。ただ学ぶだけから、自ら考えて創作する為には必要な事だからね」
そう言われては、氾王の飾りで悩んでいた事を思い出した。
「よく、お分かりですね…」
「悩める匠師は皆同じような表情をしているからね」
「敵いませんね…大司空には」
そう言うと、琅燦はにこりと微笑みかけて言う。
「まあ、悩めるだけ悩むんだね。それを越える事が出来たのなら、間違いなく成長するだろうから。だけど、赤灑灑(せきしゃしゃ)だよ」
「赤灑灑…」
「そう、のありのままを全て出せば問題ない。既成概念を捨て、固定的な思想を切り離せばいい」
「はい…。大司空、ありがとうございました」
深く腰を折ってから退出したを、琅燦は少し目を細めて見ていた。
やがて一人になると、ぽつり、と呟いた。
「赤灑灑か。それだけでいいんだよ、。それって才能だと気付いてる?」
琅燦の言葉を受け、何故自分が戴へ寄越されたのか、少し分かったような気がした。
氾王はの悩みを見抜いていたのだろう。
では、今回仕入れる玉の中には、氾王が身に付けても恥ずかしくないものを選ばなければならない。
「これは、使命だわ」
そう呟くと、随従して来た者と目的地へと向かった。
まずが目指したのは文州の琳宇(りんう)であった。
近くに函養山(かんようざん)と言う鉱山がある。
範で最も長い歴史を誇る鉱山ゆえ、先の泰王の時代に採り尽くされ、玉泉が枯れている。
現在は礫(こいし)が出るばかりだったが、の目的は函養山ではなかった。
琳宇(りんう)から更に北上し、人里を少し離れた所に位置する鉱山、陶冶山(とうやさん)へと向かっていた。
ここが鉱山として発見された時、先の王は崩御が近かった。
ゆえに現在の戴を支える貴重な財源と言っても良い。
他に秀でて特産のない文州に於いても、それは変わらない。
「ついた…」
陶冶山に辿り着いたは、迷わず進んでいく。
この陶冶山には幾度か来ている為、歩みに迷いがなかった。
この鉱山を発見した者、それはである。
まだ戴で冬官としていた頃、偶然にも鉱山を発見した。
だが、まだ前王の時代であったがゆえに、それを報告しなかったのだ。
でなければここも掘り尽くされていただろう。
特に崩御の近かったあの時期は…
呪がかかっていない為、中腹までを騎獣で進む。
洞窟のようなものが見え始めて、騎獣を一纏めにして一人つけてから中へと進んだ。
入口に立っていた者に書面を渡し、奥まで入る許可を得る。
着いてきた随従には、はただ辺りをうろついているだけに見えた。
だが、しばらくすると中の者達と交渉を始める。
色の違う石の塊を合計で五斤、買い付けた。
そのまま帰途へとついた一行。
柳、恭で一泊ずつして範へと戻る。
「これは、硬玉…」
冬官府でそう呟いたのは、玉の帰りを待っていた匠師達だった。
翠に輝く透明度の強い硬玉。
純度の高さから、感嘆の息が漏れ聞こえる。
「なんと削りがいのある石なのだ」
「こちらは紅いな」
「さすがは戴の玉と言ったところか…しかしこれほど純度が高いのにお目にかかるのは、近年ではなかなか…」
匠師達が輪になって石を削りだしている中心で、は微笑んで言った。
「この鉱山はまだ機能していたのですね。前王が亡くなられてから発見されたものですから」
「では発見した者に礼を言わんとな」
それにくすりと笑っては頷く。
「これだけの玉が出るとなると、何処に出しても恥ずかしくない物が出来ようて」
誰かがそう言うのを聞きながら、は一斤の前に座る。
手で感触を確かめるように石を叩き、次いで耳を当てて瞳を閉じる。
こうすることで、石の内部に目を向けることが出来るのだ。
耳を研ぎ澄まし、心の眼を持って石を削る。
少しでもずれれば、大きな玉が欠けてしまうのだから。
大きく息を吐いてから、軽く吸いなおす。
道具を取るとそれを石に当てた。
瞳を閉じてもう一方の手に持った道具を打ち下ろす。
鳴り響く高温の音。
はこの音が好きだった。
緊張もするが、とても良い音色だ。
そっと瞳を開ければ、硬玉の原石が顔を覗かせていた。
「ほう、こちらのも大きいな」
隣から見下ろすように言った匠師に、はにこりと微笑みを向けた。
しかしすぐに玉へと戻り、続いて道具を打ち下ろす。
周囲もそれを見習ってか、各々の前にある石を削っていった。
無心で削っていた匠師達。
終わったのは夜中であった。
大小色とりどりの玉を眺めながら、満足げに頷いている。
石は削られた後、簡単に磨かれていた。
しかしここからが匠師の本領である。
だが、創作を試みるには、時間を浪費しすぎていた。
もう体力が限界に達しようとしている。
石を削り出すだけの作業が、その実一番体力を要するのだった。
精神力を要する今後の作業に、体力は深く関わりを持つ。
ゆえにこれ以上無理は出来ない。
質を落とすことになるからだ。
ぽつり、ぽつりと帰途へつく面々。
その中でただ一人、だけはその場に留まっていた。
「おい、帰らないのか?」
「まだもう少し…玉を見ていたいのです」
「そうか、無理はするなよ」
「はい。疲れているので、早めに帰ります」
が言った事に対し、片手を上げただけで答えとした男は、そのまま冬官府を後にした。
玉とだけがそこに残っている。
瞳を閉じて考え、玉を見るために瞳を開ける。
それを数回繰り返した。
「紅杜鵑(こうとけん)、翠翹(すいぎょう)、紫綺(しき)…これだわ」
戴に行って分かった事。
それは一言でいい表すことが出来ない。
あえて簡単に言ってしまえば、今までは創作していなかったと言う事だ。
そしてそれを気付かせてくれたそこは、自分の居場所ではないと言うこと。
だが琅燦の意見は貴重なものだった。
悩んでいると自覚のないまま、深く考え込み、自ら殻を作っていた事に気付かせてくれた。
今まで学んできた事を集結させ、飾り物を作るのは容易い。
その知識の中から、少し思いついたものを加えるだけで、創作しているのだと勘違いしていた。
しかしそこには独創性が欠けている。
もちろんこれまで学んで来たことは無駄ではない。
思いついたものに対し、実現するだけの技術がなければ意味のない事。
は今、思いついたことを形にするだけの力を持っている。
自らの独創性を最大限に引き出し、真に作りたかったものを、作るだけの技術を持っている。
「紅杜鵑、翠翹、紫綺」
磨かれた玉を色分けし、それぞれ箱に収めながら呟く。
何度も繰り返し呟き、玉を二つ手にとって別の箱に収める。
残された灯りを消して冬官府を後にした。
外に出ると、柔らかい月光がを照らす。
中庭を横切る直前、呼び止める声に立ち止まった。
何者かと振り返ると、そこに信じられない人物を見つけた。
「いい夜だねえ、」
「主上!」
慌てて跪くに、藍滌は良いとだけ言って近寄ってくる。
しかしはそのまま跪いて早口で言う。
「恐れながら主上、宮城とは言え、夜中に一人で歩くのは感心いたしません」
「おや、長旅から戻って来たに会いに来たと言うに、怒られてしまったのう」
「ご挨拶ならば戻ってすぐ参りましたが?」
「なんとも素っ気ないことを言う」
「…?」
は立ち上がり、首を少し傾げて藍滌を見ていた。
それに苦笑した顔が言葉を発す。
「久しぶりの帰省はどうであったか。郷愁の念に囚われて、戻って来ないかも知れないと、何度も考えたものだよ」
「主上…そのようなことはございません。私は望んでこの国に来たのですから」
「わたしが望んだのだよ、」
「いいえ、主上。私が望んで参ったのです。主上にお仕えしたいと、思っての行動なのです。範の為に、主上の為に…」
そこまでを言ってから、は顔が赤くなっていることに気が付いた。
これ以上口を滑らせてしまえば、とんでもないことを口走りそうだった。
「嬉しいことを言っておくれだねえ」
そう言った藍滌は、を引き寄せて月を仰ぐ。
「あの月のように、は美しい。わたしを思ってくれるのであれば、その輝きは数倍も増して見えよう」
胸元に埋もれたは、驚きのあまり言葉を失っていた。
月を見ることも叶わず、ただ顔を伏せたままで固まっている。
「も…もったいなお言葉です…」
何とかそれだけを絞り出してみたものの、声が裏返ってしまうのを止めることが出来なかった。
ますます恥ずかしさが増すようだったが、それでも藍滌の腕の力が緩められる事はない。
すでに混乱気味になっていたの耳元に、更なる混乱が押し寄せてくる。
「寂しかったと言えば、は信じてくれようか」
「え…?」
「が範を離れている間はねえ、それは寂しいものだったよ」
「何故…でしょうか…?」
「おや…」
藍滌は驚いたように身を引くと、そっとを解放して顔を覗き込む。
あまりにも近距離の双眸に、眼を逸らすことも出来ずにいる。
「分からないと申すかえ」
「は…はい…」
ふう、とつかれた溜息は大きく、それがに不安を運んできた。
気分を損ねたのではないだろうかと、泣きそうな表情で主を見上げる。
すると、ふっと笑った顔が引いて、頭に手が置かれる。
軽く撫でられると、少し安堵した。
「分からないのなら良い。気にすることはないのだえ」
「し…しかし…」
「知りたいと申すのなら、話は別じゃが…代償は高くつく」
何かを含んだような視線が向けられ、は驚いたように藍滌を見つめ返す。
しかしふいに宙を見据えて、じっと考え込んでしまった。
何かおかしなその様子に、藍滌は黙っての口が開かれるのを待つ。
「三ヶ月ほど頂いてもよろしゅうございますか?」
「三ヶ月?それは…」
「私は先程着想致しましたものに対し、直感めいたものを感じたのです。主上に似合うもの、それがずっと出来ないでいたのです。ですが…私の考えに…いえ、感性に間違いがなかった事を証明するため、三ヶ月の猶予を頂きたいのです。それが主上にお気に召しましたら、先程の答えを教えて頂きたいと思います」
「それは…?」
「どうか、今は何もお聞きにならないで下さいませ。後日、その全てが明らかになりましょう」
じっとを見つめる藍滌に笑みはなかった。
もちろん、王に向かったもまた、笑みなどない。
ただ真剣な眼差しが交差している。
やがてその視線を断ち切ったのは、藍滌のほうからだった。
「よい。では三ヶ月後を楽しみにしておろう」
「ありがとうございます」
頭を下げてそう言ったに、苦笑した主の顔は映らなかった。
「思ったよりも鈍いのう…」
誰もいなくなった庭院で呟かれた言もまた、はあずかり知らぬ事。
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