ドリーム小説




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海客と海客 〜先輩〜


=10=





「おかえりなさい」

灯りの点った自宅に帰ってくる。

今やそれが当たり前になっていたが、いつかこの灯火が消えるのだと思うと、少し寂しい気がした。

特に今日は、それを強烈に感じた。

朱衡を出迎えたは、いつの間にか作った備忘録を捲りながら朱衡に質問をぶつけてくる。

近頃は読み書きについて聞いてくる事が多い。

初めの頃はさっぱりだと言わんばかりだったが、近頃それもなくなった。

はある日を境に、理解力が一気に増した。

どうやら自分なりの法則か定理を見いだしたようだった。

全体から共通する何かを見いだす能力が高いようだ。

それに気付くまでは、まったくといって良いほど分からないようだが、一度気付けば駆けるようにして理解していく。

つまり、初めの頃の質問は当てずっぽうであり、今の質問は見つけた定理に対しての確認である。

それが正しければさらに理解し、間違っていれば違う方向の定理をぶつけてくる。

朱衡もそれが分かっていたため、的外れな事は言わないし、勘違いを指摘する事も出来る。

また、是非だけを答えると言った、不親切な事もなかった。

「ああ、そっか……なるほどねえ。だからそうなるんだ」

これが聞ければ理解力が上がる。

「ええ?違うの?う〜ん……」

こうなると、何を勘違いしたのか朱衡も探してやる。

もちろん、視点が違うから、いつも的確な事を言えるとは限らない。

今日は前者であった為、捜索する作業はなかったが。

の疑問が一通り消えると夕餉にし、それが終わると青茶を入れて再開するのが日課となっていた。

しかし今日は告げねばならない事がある。

朱衡は青茶を入れ終わったに目を向け、静かに問いかけた。

「蝕については、詳しく申し上げましたか?」

が青茶を一口飲んで、ほうっと息をついたところだった。

「蝕……。私のような者が流れてくるっていう天災の事でしょう?」

「そうです。本来、交わることのない世界が、どこかで繋がってしまう」

「最初に言ってた、空間が歪むってやつ?」

「そうですね。ゆえに、どちらの世界でも天災が起こります。どのような形で、どの場所で起こるのか、予想することすら難しいものなのです。人が大勢死ぬこともあります。しかし台輔がお一人で虚海をお渡りになるのなら、小さな風が吹き抜ける程度なのだそうですよ」

「へえ……それはどうして?」

「自らの力で渡る力を持っているからです。具体的にはどう言ったことなのか、わたしには分かりません。わたしは麒麟ではありませんから、上手く説明することは出来ないのですが……」

「ああ、そうよね。でも人が死ぬことがあるなんて、知らなかったわ」

「災害が起こるのですから、巻き込まれ、運が悪ければ死にます。それは向こうから災害に巻き込まれ、こちらへ来てしまう者にも言えます。生きたままどこかの国に辿り着く海客は稀ですね。特に貴女のように無傷で渡り、宮城に……天の上に落ちた者は、わたしの聞いた限りおりません」

「え……そう、なの?」

「はい」

朱衡はそう言うと茶器を手に取り、青茶を飲んで再び口を開く。

「台輔は神獣ですから、そう言った能力をお持ちなのです。呉剛門と言う、世界を繋ぐ門がございます。それを開く能力をお持ちなのですね」

「世界を……繋ぐ……門……それは……それは麒麟だけが持っている能力なの?」

「呪具でも可能な物があるようですが、使える者が限られております。それから蓬莱へ渡る事が出来るのは、王や麒麟のように神籍にいるものと、上位の仙だけです」

「朱衡さんのように……?」

「わたしでは蓬莱へ渡る事は出来ません。もちろん、ただ人が渡れば、何が起こるか想像も出来ません。命を落とす可能性もあるのですから」

朱衡がそこまでを言い終わると、の顔は下を向いて固まった。

顔を伏せたまま、少し震えた声が発せられる。

「それを……何故今言うの?私の希望を完全に壊してしまいたいの?絶望させたいの?」

「いいえ、そういった危険があることを、知っておいて頂きたかったのです」

「知ったって……どうしようもないじゃないの……もう、二度と戻れないと言ったのは、あなたでしょう?」

ぱたりと落ちた涙の音は、朱衡の耳にはっきりと届いた。

「貴女が今虚海を渡れば蝕が起こり、見知らぬ誰かが死ぬかもしれない。いえ、貴女自身が危険である事を知っておいて下さい。その上で、台輔から伝言がございます。もし、貴女が蓬莱へ戻る事を望むのなら、台輔がご自身の責任を負って、呉剛門を開きます」

「え……」

驚いたは、涙を拭うことも忘れて朱衡に目を向けた。

「今晩、ゆっくりと考えてください」

朱衡はそう言うと立ち上がってその場を後にした。

一人残されたは、その場に留まっていることなど出来ず、庭院のほうへ向けて歩き出す。





































すでに外は寒く、冷たい風が吹いている。

何も羽織らずにそのまま出てきたは、着ているものをかき寄せるようにして身を縮めた。

陶の机を横切り、雲海に目を向ける。

街の灯りを映して瞬く、今は見慣れたその光景を、寂しげに見て空を仰いだ。

空にも瞬きはあったが、見知った星座は一つもない。

元々星座に詳しかった訳ではないが、いくつかバイト先の新人後輩「レギーナ」に教えてもらったことがある。

こちらにくる前日のことだったか。

秋の星座、それに付随する物語を、休憩時間に聞いた。

その日のバイト終わり、彼女が指さしていくつか教えてくれた。

昔習った北の星座はすぐに分かったが、その他は見つける事が困難だった。

しかし一度見つかると面白いもので、空に描かれた壮大な物語を追った。

それがここにはない。

戻ることが出来るのなら、再び見ることが出来るだろうか。

だが、その為には危険を背負わなければならない。

それに他人の命を犠牲にしてしまう。

もしそれが、ここまでを支えてくれた朱衡であったのなら?

それは恩を仇で返すことになる。

それ以上に、朱衡が死んでしまうことを考えると堪えられない。

こんなにも身近にいた人物が、自分の望みの為に死んでしまうなど、あってはいけない事だ。

殺人と同じではないのか。

しかし一度は諦めた、帰りたいという思いが、膨大に膨らみ始めているのを感じていた。

誰かが死ぬかもしれない。

でも、死なないかもしれないではないか。

そう考えてみてふと、空から目を逸らす。

とても身勝手な事を考えている自分に嫌気がさした。

、体が冷えてしまいますよ」

背後からかけられた声に、は驚いて振り返った。

何時の間にか、そこには朱衡の姿がある。

手には大判の長巾(かたかけ)を抱えており、それをに差し出していた。

「……ありがとう」

受け取ろうとが手を伸ばした瞬間、朱衡の手は引かれて長巾は下がった。

何かと考える間もなくそれは広げられ、朱衡の体ごと近付いてを覆う。

まるで抱きしめられたような錯覚が生まれ、鼓動が一際高くなった。

長巾をの体に巻き付けた朱衡は、優しく微笑むと雲海のほうへ向いて立つ。

「もし貴女が帰るとなると、寂しくなりますね……」

ぽつりと言われた声は、さらに鼓動の響きを大きくした。

「お邪魔だったでしょう?突然見ず知らずの者が現れて、生活に入り込んでしまったんだから」

「邪魔だと思った事は一度もございませんよ。むしろ、日々新しい発見があって楽しいと感じています」

「日々新しい発見をするのは私でしょう?朱衡さんが今更何を発見するの?」

「海客の視点や考えですね。蓬莱でお生まれになったのは、主上も台輔も同じですが、それも五百年ばかり前の事。今はすっかり変わってしまったと聞いております。人の考えも、生活様式もすべて」

「そりゃあ……ね」

「その他にも、反応を見ていると楽しいですよ。読み書きなども、正解が出ると素直に喜ぶ姿は微笑ましく思いますし、始めて食べる果実で感動なさっているのも非常にかわいらしい」

夜目にも分かるほど、の顔は赤く染まっている。

長巾(かたかけ)を引き寄せるようにして背を丸め、少し顔を隠すように下を向いた。

「ですから本音を言わせて頂きますと、このまま留まってほしいと思っています。貴女を危険にさらしたくありませんから」

「危険……そうよね。危険なのよね。忘れていたわ」

顔を上げながらそう言った

そこへ朱衡の優しい声が答える。

「いずれにしろ、すべてを決めるのは貴女の心一つです。何を犠牲にしても戻りたいと思うのなら、すぐにでも戻るべきでしょう。貴女は極めて幸運だったのです。殆どの海客は、その選択すらないのですから」

朱衡はそう言うと一度切って間を置き、再び口を開く。

「春官にも一人海客はおりますが、彼は相当苦労して雁まで旅をしてきたと言っておりました。この見知らぬ世界に流れ着き、聞き覚えのない言葉を理解し、国官にまでなるためには相当の努力がいった事でしょう」

口調は優しかったが、その内容に棘があるように感じ、ちらりと朱衡の顔を覗き見た。

朱衡は雲海の方へ顔を向けている。

特別険しい表情をしている訳でもなかったが、微笑んでもいなかった。

何とも表現しがたい表情で、ただ海の音を聞いているようにも見える。

何も言えずに、ただその横顔を眺めてふと思った。

このまま何も考えずに、朱衡の顔を見ていたいと。

一陣の夜風が頬を洗う。

ここ数日で、気候は急激に変化している。

秋の終わりを告げるかの如く、冷たい風が吹き始めたのだ。

このまま冬になると、寝るときが相当寒いだろうと想像する。

昨日も少し寒かった事を思い出し、今後の季節を思う。

この世界には電気がない。

冬にはどういった暖房を使うのだろうか。

寝るときには冷たい布にくるまれて、体温で暖まるまで小さくなっていなければならないのか。

これが蓬莱であれば、色々方法がある。

布団乾燥機で温めておく、ドライヤーを布団に向けてかけ、その熱で温める、エアコンのタイマーをかけて寝る。

それらがここでは不可能だ。

変わりになるものがあるのだろうか。

この世界での未来に思いを馳せている自覚のないまま、はぽつりと呟いた。

「最近……寒くなりましたね」

「もうじき冬が訪れますからね。雁は戴から流れてくる風によって、急激に寒くなります。本格的な冬になると、地上では震撼するような風が吹き付けます。尤も、雲海の上ではそれほどでもありませんが」

「そう……やっぱり寒い国なのね」

「やはりと言うのは……?」

「初めてここに来たとき……あ、この国にね。蓬莱よりも寒いと思ったの。それに最近、寝る前が凄く寒いわ。朱衡さんは大丈夫?」

「確かに冷たいですね、衾褥(ふとん)が」

「このまま寒くなったら、夜中に目が覚めそう。寒さで」

「では、温めあって眠りますか?」

「え……」

ここへ来て、朱衡がそのような事を言うとは少し驚きだった。

しかし、今だから言ったのかもしれない。

毎日顔をつきあわせていた者同士、明日には離れるかもしれないと言う状況下では寂しいものなのだろう。

がそう思っているように、朱衡もそう思っているのだ。

「人肌は暖かいものですからね」

寂しげにそう言った朱衡の顔を見つめている

その顔がゆっくりと動き、を見つめて瞳が止まっても、それを逸らす事が出来なかった。

「そうですね……じゃあ、そうしましょう」



続く






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