ドリーム小説




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海客と海客 〜先輩〜


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庭院を後にした

先に湯を使い、体を洗っていく。

湯から上がると被衫(ねまき)に着替え、冷たい空気の沈着している臥室(しんしつ)へと足を踏み入れた。

今はまだ湯のおかげで体は暖かいが、時期冷たくなるだろう。

椅子に腰を下ろして髪を梳(と)かし、水分を拭うように布をあてていく。

いつもはこの後、備忘録(メモ)を出し、少し復習して眠るのだが……。

「明日帰るかもしれないのよね。これも……必要なくなるのかな……」

明日、帰る。

それは呪いの言葉のように心に沈みこんでいった。

だから、朱衡は一緒に寝ようと言ったのだろうか。

ただ寂しいのか、最後の思い出のつもりなのか、これまでの代償を求められているのか。

これまで本当に世話になった。

朱衡がいなければ、何倍も苦労を重ねていたことだろう。

庇護してくれる者であったことは間違いない。

家の手伝いをしたからといって、それがなくなる訳ではない。

だが、それが少し嬉しいような気もした。

相手がどう思っていようが、関係ないと思えたからだ。

朱衡が望むのなら、それでもいいと思った。

「私って……矛盾だらけね……」

髪を梳かしながらそう考えていると、朱衡が臥室へと入ってきた。

いつもの袍とは違い、薄手の被衫に身を包む。

見慣れぬものであったが、どこか柔らかい印象をもたらした。

だが同時に、気恥ずかしい思いも湧き出る。

「体が冷えない内に衾褥(ふとん)へ入りましょう」

そう言うと、座っているの側まで歩み寄る。

にこりと笑って手を差しのばす朱衡の表情に、引き寄せられるようにして手を置いた。

軽い力とともに引かれ、立ち上がって牀榻へと進む。

「やっぱり、冷たい……」

衾褥に入ってすぐ、は身を縮めてそう言った。

すると隣から腕が伸びてきて、の体を引き寄せる。

「すぐに暖かくなりますよ」

何も言えずに、は朱衡の胸元に近付いた顔を縦に振った。

薄い被衫のせいで、肌の温もりが伝わってくる。

徐々に暖かくなり始めたのを感じた。

だが伝わるのは温もりだけではなかった。

被衫の薄さは、互いの体の線をも伝える。

痩身である朱衡の腕は、が想像していたものと少し違う。

色白なので、袍の上からはあまり男を感じさせなかったが、さきほどの庭院や今の状況では、鼓動が高鳴るのを押さえる方が難しい。

首下を通る朱衡の腕は、巻き付くように肩へ置かれている。

手も思ったより大きい。

少し顔を上げて、伺うように見た朱衡の顔。

瞳は閉じられている。

形の良い眉にすっと通った鼻筋。

様々な情報をもたらしてくれる唇は、今は閉ざされている。

は急に願った。

この口から音が発せられるのを。

「……朱衡さん」

呼びかけると瞳が開く。

朱衡の顔が下を向いて、瞳がかち合った。

しかしの望んだ声はまだ聞けない。

「あ、あの……」

の言葉を待っている様子の朱衡に、半ば焦りながら口を開いた。

「今日で……最後かもしれないから……だから……」

そこまで言うと、頬が熱くなっているのを感じる。

だが、焦りと照れから口を閉ざすことが出来なかった。

「だから、いいですよ」

何が、とは言わなかった。

いや、言えなかった。

抱かれてもいいと、はっきり言えるほど恋愛に対して経験がない。

しかし朱衡はそれだけで分かったようだ。

「変なところに気を遣わなくとも結構です。互いが必要と感じているのなら、そうなることも可能でしょうが、そうでなければ後悔することになります。わたしではなく、貴女が」

確かにこのような状況下で、男が後悔することなど稀だろう。

だが女は別だ。

しかし拒否の言葉を聞いてしまった心情はと言えば、少し虚しさが残った。

言ってしまった事に対し、すでに後悔しはじめている。

顔を俯けてしまったは、あまり体を近づけないようにして瞳を閉じた。

気を遣った分の距離が、同じ衾褥に入っている二人の間、僅かに出来ている。



ふいにを呼ぶ声。

直後、強く引き寄せられる体を感じた。

の頬は朱衡の胸元に密着していたし、足は絡まるように重なっている。

朱衡の腕はの背中に周り、より引き寄せようと力は増していた。

その行動によって、の心が軽くなった。

拒否ではなく、朱衡の優しさであることを体感したからだ。

さきほどの言葉を考えても分かるはずだったのに、羞恥のあまり気付くことが出来なかった。

は瞳を閉じて朱衡に感謝した。

そして伝えられる温もりに身を任せ、眠りに入っていった。






























明け方近く。

寒さであろうか、目が覚めた

じっとしたまま隣に眠る朱衡を見つめた。

今後どうするべきなのかを、考えねばならない。

しかし選択できる事は限られている。

他人を殺してもいいと思うほどの覚悟がなければ、戻りたいと言えないのだ。

それを強制する事によって六太が苦しむ事も、これまで学んだ知識から分かっている。

朱衡に別れを告げ、六太を苦しめ、見知らぬ誰かを見殺しにする。

そのように考えれば、答えなど一つしかなかった。

肩に置かれた朱衡の手、保たれている温もりを感じながら、再び瞳を閉ざす。




























「台輔」

昼過ぎの事。

六太の許へ朱衡が訪ねてくる。

昨日の答えが来たのだと、少し背筋を伸ばして身構える六太。

「朱衡、どうだった?」

「泣き暮らしておりますので、話をなかなか切り出せません。しかし台輔、本当に蝕を起こしてしまわれるおつもりですか?」

「……だ、だって……しょうがないだろ」

どこにどんなしわ寄せがくるのか分からない。

それが蝕だった。

それを考えると気重い。

「説得してみましょうか、彼女を。この世界に留まり、宮城に勤めるように説得すれば、蝕を起こさなくともよくなりますからね」

「ホントか!?」

「折角実った秋の収穫を、蝕によって潰したくありませんでしょう?」

「も、もちろん」

「ではいずれ靖州に戸籍を用意して頂く事になる……かもしれません。まだ分かりませんが」

「説得出来たら、何でも言うこと聞くから!」

「本当ですね?」

「ホント、ホント。絶対に言うこと聞く」

「では真面目に債務をこなされますね。近頃また滞りがちだと、靖州府から嘆きが聞こえておりましたから」

「……ちゃんとやる。今回ばかりは本当に反省した」

うなだれた六太に、朱衡は満足げに微笑んだ。



















その日も早めに職務を終え、陽が落ちると帰途へとついた。

「あ……おかえりなさい……」

足取り重く朱衡を出迎えた

少し様子がおかしいのに気付いた朱衡は、すぐ側に寄って顔を覗き込む。

「どうしたのです?」

「どうも、しないけど……」

近くで見ると瞳が潤んでいる。

顔色は悪く、表情も笑っているわりに辛そうである。

近頃急激に冷えた事と、明け方が考え込んであまり眠っていない事を思い出した。

すっと手を伸ばすと、少し肩を竦めて身を引く

それでもお構いなしに額へ手をあてた。

の額は、想像通り熱い。

「熱がありますね」

「これくらい、大丈夫よ」

「そのようには見えませんが」

「……」

そっと背中を押された

それに抵抗する事もできず、ただ促されるまま臥室へと向かい、半ば強引に牀榻へと押し込まれてまった。

「人ですからね。風邪でもひいたのでしょう」

横たわるに、朱衡はそう言って椅子に座る。

「それって、どういう意味?」

「もしここに留まり、仙籍に入る事になれば、風邪もひかなくなります」

驚いた表情で朱衡を見つめる

「なんだか凄いのね……」

はそう言うと苦しそうに顔を歪めて瞳を閉じた。

相当我慢していたのだろうと予測する。

、少し出かけて来ますが大丈夫ですか?」

「……平気。少し寝てれば治ると思うから」

「そうですか。ではすぐに戻りますから、ゆっくりお休みなさい」

ぱたりと扉がしまう音を聞いた

大きな息をついて瞳を開けた。

朱衡が戻って来る前に、自分の異変には気付いていた。

だが倒れては迷惑になると考え、平静を装っていた。

しかしすぐに見抜かれてしまい、気が緩んだのだろう。

無理をしたのは、今のこの状況を恐れたのかもしれない。

体が辛くて眠っている。

家には誰もいない。

朱衡は探してもいない。

助けを求める事は出来ない。

何故なら朱衡と自分とは他人だからだ。

今は一緒に暮らしているが、これも一時的なこと。

帰るにしろ、帰らないにしろ、いずれ一人になる。

そう考えるのが恐かった。

体が弱くなると、気までも弱くなる。

誰もいない房室を見回していると、視界が廻っている事が分かった。

今は何も考えず、眠るのが良いのだと自分に言い聞かせ、すっと瞳を閉じる。



続く






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