ドリーム小説




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海客と海客 〜先輩〜


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夢を見ていた。

現実のような夢を。

朱衡は椅子に座っていたが、乗り出すようにしての手を取り、心配そうに見守っている。

時折額にあてた布を冷たいものと取り替えてくれる。

世界は現実と違って少し霞んでいた。

見える範囲も随分と狭い。

もっとよく朱衡を見ようと、目を見開こうとするのだが、どんなに見開いても視界の霞はとれない。

心配そうだと言うことは分かるのに、どういった表情をしているのかを見ることが出来ないのだった。

「朱衡さん……」

そう呟くのに、声は籠もって聞き取れないほどだった。

しかしここは夢の中。

朱衡は聞こえていたかのように身を乗り出し、に近寄って聞く体勢を整える。

「仙籍に入っている朱衡さんなら、私の風邪を移してしまうことはない?」

ただ頷く朱衡を朧気な景色の中に見る。

「じゃあ、キスしてしまっても、大丈夫なのかな……?」

また、頷く顔が見える。

は衾褥(ふとん)から手を出して朱衡のほうへ伸ばす。

それを受け取った朱衡を引き寄せようと、腕に力を入れる。

しかし全くと言っていいほど、腕には力がなかった。

夢なのだから、もう少し思い通りに運んでくれてもいいのにと、ぼんやり考えていると、朱衡の体が乗り出してくるのが見える。

「キスして……抱きしめて……」

普段ならどんな相手だろうと言えないような台詞を、夢の中で言っている自分がおかしかった。

熱が見せる、特別な夢なのだろう。





『これはきっと防衛本能の一種だ』

そう思った。





辛い中に、救いを求める心の叫び。

それが甘い夢となって現れる。

夢の中の朱衡はの言うとおりに、衾褥の上から抱きしめてくれる。

そっと頬に手を添え、甘い口づけを落としていった。

その瞬間、何か苦いものが喉を通り過ぎていった。

むせそうな匂いのする液体である。

味を実感できる夢など初めてだった。



夢の中の朱衡が名を呼ぶ。

ふと顔を向けると、先程と同じように白くぼんやりした景色。

朱衡の顔が見たいと思うと、徐々にそれは晴れていった。



何度目かの呼びかけで、は瞳を大きく開いた。

はっきりとした視界に、目が覚めた事を知る。

夢の中と同じように、朱衡が近くにいた。

「水を飲みなさい」

「水……」

小さく呟いた声が掠れている。

言われてみれば、喉はからからに乾ききっている。

出された水差しで中のものを飲むと、体に浸透していくように感じた。

喉を通る冷たい水が、今は心地よい。

「夢を……見ていたの」

先程より潤った喉で話す。

朱衡は少し首を傾げてを見つめた。

「とても……嬉しい夢」

そう言うと、は瞳を閉じる。

そこから微睡むような眠りに誘われたのは、幾刹那だった。
































夜が明け、目を覚ました

隣を見ると、まだ朱衡は起きてそこに座っていた。

「朱衡さん……ずっと、ついていてくれたの?」

「いかがですか?お加減は」

「ええ、昨日よりずっとすっきりして、もう大丈夫みたい。熱も下がったようだし」

にこりと微笑んだ顔が、安堵に包まれるのを見た。

は体を起こしながら、昨日言えなかった事を言おうと口を開く。

「もし、私が帰りたいと言えば、あの子は苦しみながらも従うのよね」

切り出された話の内容を、朱衡は瞬時に悟って頷く。

「ではそれをネタに脅し、私を仙籍に入れる事は可能?」

「もちろん可能です。では、雁に仕えると言うことでしょうか」

「……うん」

朱衡はそう言ったの顔をじっと見つめた。

理由などは言わなかったが、すっきりした表情をしている。

彼女なりに悩み抜いて、見いだした答えだったのだろう。

「分かりました。では一週間の内に、すべてを決めてしまいましょう」

「ありがとうございます。あ、それから……少し我が儘を言ってもいいかしら」

がそう言うと、朱衡はにっこり笑って頷く。

「貴女の我が儘でしたら、何でも聞いてさし上げますよ」

一際大きく鳴った鼓動を、聞かなかった事にしては言う。

「できれば……朱衡さんのいる所に配属されたいの。一番下っ端でもいいから、駄目かしら……?」

「もし雁に留まられるのであれば、初めからそのつもりでおりましたよ」

そう言って微笑む朱衡を、驚いた表情のが見つめる。

「他の官府になど、危うくて渡せませんから」

そう言う意味かと、少し落胆しそうになったが、気を取り直して口を開く。

「どうせ初めから迷惑をかけているのだし、このまま迷惑かけさせてください」

おかしな頼み事をして頭を下げた

それに苦笑したような声が了承を答えた。































それからは早急にあらゆる事が決まっていった。

の在籍する官府、の住む為の小さな官邸。

これから学んでゆかねばならない事も多い。

しかし一度決心した事、簡単に投げ出すつもりもなかった。

どのような祭祀があり、どのように式典を進めて行くのかも学ばねばならない。

梧桐宮(ごどうきゅう)についても覚え、楽士や音楽についても学んだ。

それらを覚えた上で、様々な検討がなされたが、結局は現在人手の足りない史官に修まることになった。

内史が海客だと言うことも、理由の一つではあったのだが。

「史官かあ……色々な記録を取っておいて、歴史を綴っていくのよね」

「そうですね。不安ですか?」

「ううん。楽しそう」

今日は初めて内史と対面する日だった。

内史は海客であると聞いており、少し緊張するような気もしたが、その日から初めて仕事に就くにとっては、気にかかる事が仕事のほうに傾倒していた。

まだ見慣れぬ宮道を、朱衡に着いて歩くことしばし。

春官府の一郭にあたる大きな扉の前で朱衡は止まった。

「ここが……」

壮麗な門を潜るような心境で、開かれた扉に入っていく。

「大宗伯」

中に入るとすぐに男の声がして、朱衡の背後から覗き見る。

立ったまま深く腰を下げる男が目に入った。

その男はゆっくり体を上げると、朱衡に目を向け何かを言いかける。

しかしに目を向けて驚いたような表情になった。

……。じゃないか?」

よりも少し年下に見える、若い男の官吏だった。

は相手の顔をまじまじと見つめた。

しばらくして、ようやく口を開く。

「山岡くん……?まさか……」

「やっぱり、だ!まさか新しく入ってきた海客がだなんて……驚きだな。こんな偶然って……あるんだな」

小学二年の時、同じクラスにいた山岡 亮(やまおか あきら)。

虐めにあって、そのまま姿を消した彼。

まさかと同じように、こちらに来てしまったのだとは思ってもいなかった。

「お知り合いですか?」

朱衡の声が山岡とを現実に引き戻した。

「はっ、大宗伯。そうなのです。同じ学舎に通っておりました。一年と少しの間……。ですが……もう、随分と昔の話です」

「では、も心強い事でしょう。海客にしか分からない類の悩みも相談出来ましょうし。では岡亮(こうりょう)、をよろしく頼みましたよ」

「はい。お任せ下さい」

山岡がそう言うと、朱衡は驚くほどあっさりその場を離れた。

はそれに少し驚いて、引き留めようと口を開けた。

殆ど荷物のないの身辺を気遣い、必要な物を朱衡は揃えてくれた。

新しい官邸にすべてを運び込み、生活の基盤は出来た。

だが昨日までは朱衡宅に世話になっていたのだ。

離れがたい心境も、もちろんあった。

それが今日から別々になる。

は新しい官邸に帰る事になっている。

ゆえに今が朱衡と話を出来る、最後の瞬間かもしれなかったのだ。

別れの挨拶ぐらいしたいと思った。

しかし山岡が話しかけて来たことによって、それは叶わなかった。

「本当に久しぶりだな。俺の一番嫌な時期を知ってるお前が、まさか俺の下につくなんてな。ああ、勘違いしないでくれよ。恨み言じゃないからな」

「山岡くん……。蝕に、遭ったの?」

久しぶりに会う山岡の話も気になるが、あっさり消えてしまった朱衡の方に気持ちが向いている。

「……ああ。巧って国に流れ着いた。あそこは海客に厳しい国だから、なんとか逃げて雁に庇護を求めた。この国は王も宰輔も海客だからな、理解があるんだろう」

そう言うと山岡は少しの間黙り、急に笑って言った。

「俺さ、実を言うと嵐の日にさ、自殺しようとしたんだ」

「え……」

突然告げられたその事実に、は朱衡の事から意識を逸らし、山岡の顔を見かえした。

「俺、虐められてただろ?それで自殺しようと思って外に出たんだ。凄い強風の日でさ。崖から一気に飛び降りて、ああ、これで俺の人生は終わったって思ったんだよな。でも、気が付いたからこっちに流れついていた。そうしたら海客だって追われるし、変な生き物は見かけるし、言葉なんてまったく分からないし」

「そう……苦労したのね。“こうりょう”ってのは?」

「山岡 亮だって名乗っても、どうにも言いにくいみたいでさ。それで気が付いたら山が消えて岡亮になっていた」

すでにこちらに馴染んでいる様子が心強い。

は?やっぱり嵐か?」

「私は……」

はそう言って、正直に言うべきかを迷った。

いつか朱衡が言っていた言葉を思い出したのだ。

極めて幸運だったと言っていなかったか。

「強い……風……かな」

「そうか。俺の時も強風だったからな。でもこっちに来てから、本当に死ぬって事が、どれほど恐怖か初めて知ったよ。それでまず言葉を覚えて、生きる方法を模索し始めた。自殺なんてどうしてしようと思ったのか、今じゃ不思議なぐらいだ。で、海客が生きていく事が、俺の流れ着いた里では難しいって知った。それで身一つで旅に出て、色々街を廻った結果、流れ着いた里が海客に厳しいんじゃなくて、巧って国が厳しいんだと悟った。ああ、お隣の慶もな。でもその道中、死なない種類の者がいる事を知った。だから雁についてから努力した。ま、勉強はわりと得意だったからな。仙籍に入れてもらって、ここでこうしているって訳だ」

山岡が春官に入った頃、内史はまだ前任の者がいた。

しかし人手が足りていないと言うこともあり、内史の補佐としてしばた。

しばらくすると前任の内史が辞め、その人物の選挙で内史に納まった。

「そう……大変だったのね」

「まあ、今となってはいい思い出さ。あんな状況でも生きてこれた。だから努力して来られたし、今が幸せだと思うんだよ」

そう言うと、山岡は気が付いたように手を打ち付けた。

「そうだ、やることを教えないとな。はこっちへ来てどれぐらいになる?読み書きは出来るか?」

「ほんの……少しだけなら」

「そうか。史官は色々な物を記録していかなければならないからな。まあ、初めは日本語で書いた物を変換してくといい。分からなければ俺が教えるからさ」

「あ……ありがとう」

今まで教えてくれるのはいつも朱衡だった。

それが山岡に変わるのが、何故か少し寂しい気がした。

同じ蓬莱から流れてきた者同士、朱衡に教わるよりずっと効率が良いはずだというのに。



続く






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