ドリーム小説




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海客と海客 〜先輩〜


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その日は一日春官府の中を案内されたり、他の史官に紹介されたりして一日を終えた。

政(まつりごと)の仕組みはすでに理解していたし、読み書きも少しはやってきた。

言葉の壁もない今となっては、なんとかやっていけそうだと思えた。

一日が終わってからも、蓬莱の話をしたかった山岡に引き留められ、は遅くまで春官府にいた。

山岡がこちらで苦労した内容は、のそれとは比較にならないほどだった。

妖魔に遭遇した事もあったと言う。

言葉の分かる者に出会うのに、三年はかかったとも言っていた。

なによりと大きく違う事は、違う世界に流されたという事実を、すぐに受け入れたことにあるだろう。

まだ小さかったせいでもあり、一度死のうと思ったせいでもあった。

幾人かは優しくしてくれ、幾人かは酷い仕打ちを彼にした。

学校の虐めなどからは、およそ考えもつかない種類の恐怖も体験した。

それでもまだ生きていた事が、山岡の生きたいという思いを強くしたのだろう。









「でも不思議なもんだな」

山岡は煎茶をに勧めて、自らの湯呑みにも注ぐ。

こちらにも煎茶はあるのだと初めて知った。

一口飲んで、その味を堪能する。

しかしふと思った。

久しぶりに飲む煎茶は懐かしかったが、毎晩飲んでいた青茶が今は恋しい。

そんなの考えなどまるで気付かぬ山岡は、遠くを見つめながら呟くように言った。

「日本の事なんて、日々を重ねる毎に忘れていく。今は特別帰りたいと思わないし、懐かしいと思った事もなかった。山岡(やまおか)と呼ばれるよりも、岡亮(こうりょう)と呼ばれるほうが自然となってたし、内史と呼ばれる事に喜びを感じる」

山岡は湯呑みで音を立てながら一口飲んで続ける。

「でも、こうして日本の人と向かい合っていると、切ないくらいに懐かしい気がしてきたよ。……が知っている人だからかな」

「……きっと、知らない人でも懐かしいと思うんじゃないかしら」

「そうかな……。日本なんて、一つも良い想い出がないのに」

「でも、生まれ育った場所だから。じゃあ山岡くんは帰りたいと思った事はないの?」

「妖魔に追われた時や、海客だと追われていた時は、逃げ出したい一心からそう思った事はある。でも、冷静になって考えてみると、日本に帰りたいってのとはちょっと違うんだよな。ただその場から逃げ出したかっただけで、その時の俺の中では、その逃げ場が日本しかなかったんだ。海客だといって追われない場所、妖魔のいない場所ってのがね」

「随分……苦労したのね。ご両親に会いたいと思った事は?」

「……ないね。親も……好きじゃなかったからな」

「そうなの……」

は?やっぱり親に会いたい?」

「そうね。本当はまだ帰りたいと思ってるわ。親にも友達にも後輩にも会いたい。ここで暮らして行くことは覚悟したけど……せめて連絡したかったな……生きてるよって、教えてあげたい」

「そうだよな。それが普通だよ。でも……出来ないからな」

「うん……」































その後少し蓬莱の話をし、随分周りが静かになってようやく解放され、灯りが点された宮道を一人帰途へ向かって歩く。



呼び止める声に、我知らず顔が綻びるのを感じた。

「朱衡さん!」

「どうでしたか、初日は」

朱衡がそう言うと、はぴっと背筋を伸ばして言った。

「はい。大宗伯のおかげで、何とかやっていけそうです」

「改まらなくともよろしい」

「……はい」

体勢を元に戻し、は笑って朱衡に言う。

「もう、会えないんじゃないかと思っていたわ。最後にちゃんとお礼を言いたかったの」

「礼など……こちらのほうこそ言いたいほどですよ」

「え?」

「暖かい時間を与えてくれましたからね」

そう言って微笑む朱衡の表情の中に、僅か生まれた寂寥(せきりょう)の色。

他人との生活を、この人は知らなかったのだろうか。

膨大な時間を生きてきた人物である。

だとしたら長い年月が寂寥を運んで来ることもあるのかもしれない。

それともそれはただの思い過ごしだろうか。

「暖かい時間をくれたのは……朱衡さんのほうよ。だから、離れてしまうと……寒くなってしまうんじゃないかと……」

見つけたものを誤魔化すように、はそう言って朱衡から目を逸らした。

「いつでも会いに来て下さい。春官府にいない事もございますが、夜は自宅に帰っておりますから。辛いことがあれば、いつでも相談に乗りますよ」

「私が……訪ねてしまってもいいの?」

「もちろんです。断る理由がありましょうか?」

「……ありがとう」

……?」

不思議そうな声とともに歩み寄ってきた朱衡。

の頬を伝う涙のせいだった。

「あれ?……おかしいな」

何が悲しいのかも分からないまま、泣いた顔を見られたくなくて横を向く。

そのまま体の反動で身を翻し、駆けるようにしてその場を離れた。



































真に寂寥を宿らせていたのは、のほうだった。

深層ではそれを分かっているのに、表面では認めることが出来ない弱い自分がいた。

駆けて外朝まで抜けると、息を整えようと辺りを見回す。

夜も深まった外朝。

しんとして音もない。

ざわめくのは満天の星と、遠くの波音だけだった。

「優しさが……罪なんだわ」

を気遣う朱衡の優しさが、何故か辛かった。

今日の出来事を全て朱衡に話したかった。

青茶を飲みながら、ゆっくり報告をしたい思いはあれど、今夜からは別々の居院(すまい)で生活する。

今までがいかに朱衡を頼りにしていたのか、この時ようやく気が付いた。

しかしここで自立しなければ、庇護されていた頃と変わらないように思った。

いつまでも同情されていてはいけない。

いや、同情されて庇護されるのは嫌だった。

対等とまではいかなくとも、せめてこの世界の者と同じ扱いを受けたかった。

そう思うのが、何による感情なのか、まだは知らないでいたのだが……。

























それから一ヶ月が経過したある日。

内史である山岡がに言う。

「朝議の記録を明日から頼みたい」

この一ヶ月、山岡が様子を見て大丈夫だと判断された。

内史、山岡の横に立ってを見ていた史官の偃松(えんしょう)からも大丈夫だと言われ、緊張する面持ちでそれを受けた。

山岡は内史としての言葉をに投げかける。

「朝議は王や宰輔……まあ、こちらはおられない事もあるが……その他冢宰や六官長が揃う場。議題を記録する大切な役目である。他の六官長に迷惑をかけぬよう、また他官府の者に恥じる事のないように振る舞わねばならない。明日は偃松(えんしょう)がついて教えるから、しっかり覚えるように」

「はい、心して望みます」

「では、明日の朝議は二人に任せた。朝一番に朝堂へ向かい、偃松の指示を仰ぐように」

「かしこまりました」























その大役とも思える事が、にとっては嬉しい。

朱衡に会えるからだ。

次の日に備えてその日は早くに寝ようとしたが、軽く興奮していたのかなかなか寝付く事が出来なかった。

それでも必死に目を閉じて眠りにつく。



続く






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