ドリーム小説
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海客と海客 〜先輩〜 =14= 翌朝、いつもよりも過敏になっていたのか、暁鐘の音で目覚める。
すでに冬のまっただ中、床には冷気が沈着しており、身震いするほどの寒さだった。
しかし素早く身支度を整えたは、すぐに居院を出て朝堂へと向かう。
朝堂にはまだ誰も来ていない。
もちろん偃松(えんしょう)の姿もなく、は緊張した面持ちで、固まったように立っている。
そうして待つ事しばし。
初めにその場へやってきたのは、いつか朱衡宅の庭院で出会った男だった。
「あ……、帷……太宰。いつかはとんだご無礼を」
「?」
帷湍は不思議そうな顔をしたが、すぐに破顔して頷く。
「ああ、いつぞやの。史官になったとは聞いていたが」
「はい。おかげさまでなんとか。あの時は太宰だと知らず、本当に失礼致しました」
「いやいや。事情は聞いている。難儀だったな」
「いえ、朱……大宗伯がよくして下さいましたから」
がそう言ったところで、違う男が入ってきた。
それを合図に、互いが口を閉ざす。
身成からすると、帷湍や朱衡と似たような印象を受けた。
六官長の一人だろうと目算を付けていると、また違う男が入ってくる。
それからは次々と人が増え、偃松(えんしょう)も両手に紙を抱えて入ってくる。
を誘導し、先に移動を始めた二人。
朝堂を一瞥したが、その時朱衡はまだ来ていなかった。
全員が揃った合図なのか、遠く鐘の音が聞こえる。
これで移動が開始されると説明してくれたのは、すでに待機している隣の偃松(えんしょう)だった。もうじき朱衡がここへやってくる。そう思った直後、ふと視線が前へ注がれた。その時になって、はようやく六太の存在を思い出した。
堂室の前方は段上になっており、大きく豪奢な椅子が置かれている。
あそこに王が座るのだろうと考えて、宰輔の存在を思い出したのだった。
そう考えながらしばらく待つと、王が段上に現れ、六太が横に立つ。
初めて見る王は、と同じ海客だとは到底思えなかった。
それは六太も同じである。
生まれた時からこちらで育った人間だとしか思えない。
何の違和感もなく、風景のように存在する。
それは五百年を生きてきたせいだろうか。
六太に関してだけ言えば、その髪の色からしておかしい。
五百年前の日本で、こんな髪の人間がいたのなら異質で疎まれたかもしれない。
『だから万引きなんかしたのかしら。昔の恨みをはらすため?』
そう思って凝視していたせいか、ふと六太の視線がに向けられた。
ぎょっとしたのが遠目にも分かった。
それににこりと微笑むと視線を逸らし、紙に向かって記録の体勢を取る。
六太に対して、恨む気持ちは生まれなかった。
ただ驚いたような動作が少しおかしく思ったに過ぎない。
これほど心境に変化が現れると、自分でも少し不思議に思う。
だが、いつまでも恨んで何になるだろう。
この国に仕えると決めたのだから、もう忘れるべきだ。
始まった朝議を書き綴(つづ)りながら、はそう思った。
朝議も無事に終わり、すべてを書き付けた紙を持って春官府へ向かう。
これからそれを纏めて、偃松(えんしょう)のとったものと摺り合わせる。
間違いが少なければ、次からは一人になるとのことだった。
そしてそれを纏め、大宗伯……朱衡へ提出しなければならない。
久しぶりに話が出来るだろうかと考えると、一刻も早く会いたい気持ちに駆られた。
しかしまだ書くことが完全ではないは、苦労しながらの作業となった。
議録を書き付けた紙は日本語も多く含まれ、それらをこちらの言葉に直していかねばならない。
なかなか思うように纏まらない紙を見ながら、頭を抱えこんでしまった。
小さく呻いていると、内史の山岡がやってきて手伝ってくれる。
「……これは日本語かな?俺は小さい頃からこっちにいるから、逆に日本の文字をあんまり知らないな」
少し寂しそうにそう言った山岡。
しかし気を取り直したのか、に意味を問うとすぐ文字に直してくれた。
「この場合は、こう書いた方が分かりやすい」
そう言いながら教えてくれる。
文字が分からなくとも、口答で理解することが出来る。
山岡の存在に感謝しない訳にはいかなかった。
苦労しながら書き上げ、それが終わったのは夕刻を過ぎた頃である。
急いで持っていかなければ、朱衡は帰ってしまうかもしれない。
まだ一緒にいた頃、これくらいの刻限には帰ってきたのだから。
朱衡が政務を執っている房室に入ると、多くの書面に囲まれた姿が中心にあった。
周りには誰もいない。
「お疲れ様ですね、。苦労したでしょう」
「いえ。内史が手伝ってくれましたから。もしあの方が海客ではなかったら、未だ格闘中でしょう」
「史官の仕事には慣れましたか?」
「まだ全てを理解している訳ではございませんが、とりあえず今のところはなんとか」
「次回の朝議には?」
「内史が許可を下さいまして……。次回からは私一人で向かう予定でございます」
そう答えたに、朱衡は一度会話の律動(りつどう)を切った。
一間置いて、口を開く。
「なんだか別人のようですね」
「そうでしょうか?」
言葉使いが変われば、受ける印象も変わる。
「前のままでよいのですよ」
しかしここは春官府の中である。
加えて朱衡とは久しぶりに話をする。
それでどうにも崩す事が出来なかった。
すでには何も知らなかった海客ではない。
自分と朱衡の間に、大きな隔たりがあると理解した官吏であった。
「誰か他の方に聞かれると、あまり印象が良くありません。大宗伯とお話させて頂いているのですから、適切な言葉かと思われます」
丁寧な口調は、二人の間に距離を作る。
ふっと小さく吐いた朱衡の息は、それを貫き通そうとするへの諦めだろうか。
「内史とは上手くいっておりますか?」
「いつも迷惑ばかりかけております。気を遣って煎茶……蓬莱にもあるものを出して下さるのですが……」
はそう言うと、少しの間黙った。
何だろうかと待つ朱衡の方を向かず、顔を俯けて続きを言う。
「青茶が時に……懐かしくもあります」
「では、飲みに来ますか?」
「え……」
驚いたをよそに、朱衡は微笑んで言う。
「少しお待ち願えますか」
「あ……はい」
笑んだ朱衡の顔が、懐かしくもあり、眩しくもあった。
に座って待つように言うと、両脇を書類で固められた朱衡は、処理を進めようとに手を動かしていく。
言われるまま、椅子に腰を下ろした。
しかし身を乗り出して朱衡に声をかける。
「何か手伝える事があれば申しつけて下さいね」
身を乗り出したのは、朱衡が書類に囲まれて見えなかったからだ。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、すぐに終わりますから」
そう言って、本当にすぐ終えた朱衡。
参りましょうとと促し、春官府を退出した。
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