ドリーム小説
Welcome to Adobe GoLive 5
海客と海客 〜先輩〜 =15= 朱衡宅へ向かう道中、懐かしさが込み上げてきた。
それは官邸へつくと、より大きく膨らむ。
初めてここへ来た時の事から、一緒に眠ったあの夜の事まで、ありとあらゆる事を思い出した。
中へ入ると、朱衡はすぐに青茶をいれてに差し出す。
小さな茶器が懐かしく、香りが鼻腔を擽り、は瞳を閉じて一口飲んだ。
「おいしい……」
「それはよかった」
にこりと笑んだ朱衡の顔を、本当に久しぶりに間近で見た。
高鳴る胸の鼓動も、久しぶりに訪れる。
「本日改めて台輔を見て、心境のほうは如何でしたか」
「特になにも……。憎いともなんとも思わなかった……」
「そうですか」
また一つ微笑みを落とす朱衡。
思わず見惚れてしまいそうな自分を呼び戻し、茶器に目を向けて誤魔化した。
「ああ、そう言えば……」
ふと呟くと、顔を上げて朱衡を見る。
何事かと待っている瞳を見つめて言った。
「台輔も主上も、海客なのよね」
「確かにそうですね」
「でも五百年も前じゃ、共通の話題は少ないけど……。でね、あの子はそれで蓬莱にいたのかと思ったの。でも五百年前の蓬莱で、あの髪の色じゃあ苦労したんじゃないかと思って」
「お二人は胎果です。台輔は蓬莱では黒髪になられるそうですよ」
「胎果?」
「これはまだ知りませんでしたか。まだ卵果である時期、蝕で蓬莱や崑崙に流されてしまい、あちらで育った方の事です。胎果はあちらで暮らすのに、無理のない外見を持って生まれるのだとか。それがこちらに来るとこちらの姿に、あちらに渡ればあちらの姿に変わるのだそうですよ」
「へえ……不思議ね」
確かに、今思い起こしてみれば、六太の髪は金ではなかった。
外見も違った。
そう、こちらに来て対面した時、瞬時に分からなかったではないか。
「まだ卵果である時期?」
ふと疑問が浮上して朱衡を見た。
そのまま口を開いて質問をぶつける。
「赤ちゃんって事?よく生きていたわね」
「ああ、そこはまだ学んでいないのですね」
不思議そうな顔をする。
朱衡はその顔を懐かしそうな表情で答えた。
「こちらでは、人が実から生まれるのです。夫婦は里木と呼ばれる木に、祈りを籠めて帯を結びます。すると天が子を授けてくれるのです」
「人が、実から?天が……子を?」
唖然とした様子のに頷き、卵果の説明を始めた朱衡。
聞いている内に、目が徐々に大きく見開かれていく。
一通り聞き終わったは、しばらくぽかんとしていた。
それは確かに誰も教えてなどくれないだろう。
普遍的な事であろうから、わざわざ説明するものもいまい。
子の作り方など、安易に話題でるものでもなし。
ややしてぽつりとは言う。
「蓬莱では、女が子を産むの」
「聞いたことはございますが……」
朱衡はそう言うとを見る。
確かにそう言った話を聞いた事はあるのだが、それがどういった仕組みでそうなるのか、想像することが出来ないと朱衡は言う。
今度は逆にが説明をする番だと思った。
どのように説明したものかと考える。
しばらく沈黙した後、考えながら口を開く。
「男と女はそれぞれ人の原型を体内に持っているの。精子と卵子と言うんだけど……」
言いながら少し頬を染めた。
「男も女も子の元になるものを体内に持っていて、それを交配させることで、女が子を宿すの」
「つまり人の元を半分ずつ持っていると言うことですか?両方が揃ってようやく一つになる」
少し違うような気もするが、卵子が精子を抱え込み、細胞分裂していく様を事細かに説明するだけの知識はなかった。
それでなんとく、そうだと頷いた。
「互いに持っているのに、何故女性しか子を宿すことが出来ないのです?」
「えっと……それは……。男は持っている子の原型を、女の体内に流し込んで……。それで、女が持っている人の原型は相手に流すことが出来ないから……それは互いに持っている体の特性であった……だから、その……」
赤くなって困ったように下を向いた。
それに気付かぬのか、朱衡はにこりと笑って言った。
「それでは握手や祈りによって子を成す事は出来ませんね」
「も、もちろん。握手で子を成す事が出来たら大問題よ」
「それはそうですね」
にこりと笑った朱衡の、何も分かっていないと言いたげな表情が憎らしかった。
「子を成すことは……その……生殖行為と言うの」
字を説明していると、朱衡は農作業のようだと言う。
「それは酷い例えね……もっと甘いものよ。それには快楽を伴うから、子を成すことが目的ではない場合もあるわ。でも基本的には好いた人物としか行わないものなの」
そこまで言って、ふいに疑問を感じた。
こちらではどうなのだろう。
木が子を授けてくれるのなら、そう言った行為自体ないのでは……。
では、いつか見たあの夢のように、口付けてくれと言った自分はこちらではおかしいのだろうか。
いや、そもそもこちらの人間はどのようにして愛を確かめるのだろう。
婚姻はこちらでもある。
それは朱衡が始めに提示した、の処遇でも明らかだ。
だが、そこに生殖行為が含まれないのだとしたら、本当に軽い気持ちで言ったのかもしれない。
そこまで言ってくれたと喜んだ自分は、少し滑稽であったのだろうか。
「あ、あの……こっちの人って……どうやって愛を確かめ合うの?」
聞いてしまってから少し頬を染めた。
しかし知っておきたい事だったので、じっと堪えて答えを待つ。
「言葉を紡ぎ、唇に触れ、体を重ねます。婚姻はあまり重要ではありませんが、子が欲しければ婚姻する必要がありますね。夫婦でなければ、実がなりませんから」
「……よかった」
こちらにも似たような行為はあるのだと予測し、自分は異常ではなかったと安堵の息を吐いた。
「こちらは木に子が成るって知ってた?」
史官の作業を手伝いながら、内史は頷いて答える。
「ひょっとしては最近知ったのか?俺はあまり抵抗がなかったな。蓬莱ではどのような仕組みで子が生まれてくるのか、正確に理解するほど長くなかったから」
山岡はそう言ってを見た。
ああ、そうかと呟くように言って、は山岡から聞いた話を思い出す。
彼は物心がついて数年でこちらに流された事になる。
流されて来て流離(さすら)った詳細を聞いてみれば、よくここまで辿り着いたと言うべきだろう。
十に満たない子が、庇護する者も得られない状態で雁へ渡り、この地位へ到達するのに、如何ほどの努力が必要であっただろう。
巧を追われ、妖魔に遭遇し、慶でも追われた。
千載一遇の好機を、それとは知らずに手に入れた、当時少年であった山岡。
商船に便乗してこの国に逃れてきた……。
の苦労など、比べるまでもない。
「でも少しは知ってたな。木に子が成るのが、違うと分かる程度には、だけど」
腹の大きな妊婦が近所にいたと言う。
今、腹の中には子が宿っており、後数ヶ月で生まれるのだと聞いていた記憶が、うっすらとあるのだとか。
「こっちじゃ婚姻にあまり意味がないように思うな。土地を変わる為に婚姻する者もいるからな。地官じゃないから、どれほどの頻度で行われている事なのかは分からないが」
それを聞いていたはふと考える。
「ねえ、私はどうなるの?」
「どうなるってのは?」
「私はこっちに流されて来て、今は雁に戸籍を取得した。でも、私は胎果じゃないわ。それってどうなるの?私も木に祈れば子を成せる?」
「それは……」
山岡は答えに窮してあらぬ方向に目を向ける。
「もし、それが不可能だとしたら……私はもう……子を持つ事が出来ない……?」
「可能性がないわけじゃない。こちらの人間と一緒になって、やってみる価値はある。だけど……前もって伴侶には説明しておかないといけないな。駄目かもしれないってことを……」
「そうよね……」
特に子が欲しいと思っている訳ではない。
しかしそれは、今はまだ、と言うのが正しい。
今後、子が欲しいと思った時、果たしてその望みは叶うのだろうか。
「ああ、そうか……」
山岡はそう言ってを見つめる。
「俺とならたぶん大丈夫だ。俺も胎果じゃない。間違いなく、女の体内から生まれた人間だから」
どきりとした。
山岡があまりに真剣に見つめていたからだ。
「そ……そうね」
二人の間に子が出来る。
ただそれだけを想像する事が、には出来なかった。
それに付随する過程が、ありありと思い浮かんできたのだ。
今、頭の中を覗かれたら、恥ずかしさで死んでしまうと思った。
もちろん相手は、目前でを見つめる山岡である。
ただの想像とは言え、気恥ずかしさを隠すのが難しい。
それほどまでに鮮明に思い描いてしまったのだから。
「まあ、嫌じゃなかったら候補に入れておいてくれよ。ついでに昔の記憶は忘れてくれると嬉しい」
昔の記憶とは、虐められていた頃の事だろう。
ふっとは笑って言う。
「よく覚えてないわ。ただ……」
そう言って山岡の目を見る。
神妙な面持ちで続きを言った。
「あの時は、庇ってあげることも出来なくて……ごめんなさい。今なら絶対に見捨てたりしないんだけど……。それなのに、こんなに優しくしてもらって……」
「ガキの頃なんてそんなもんだろう。が謝る必要はない」
山岡はそう言うと笑う。
「山岡くんは……凄いね」
辛い事を乗り越えて、今は笑える彼が強いと思った。
「そうか?でもまあ……気が向いたら前向きに検討してくれよ、俺との結婚」
「え……」
そう言って絶句してしまったに、山岡は笑って手近にある書面を纏めた。
も自らが書き付けている書面に目を落とす。
後一行で完成というところだった。
山岡は帰り支度を始め、もそれを仕上げて支度にかからねばならない。
「も大変だな。これからまた大宗伯の所だろう?」
上着を羽織りながら問いかける山岡に、そうと頷いて最後の一文字を書いた。
「大宗伯はを気に入っているようだな。どちらの意味でかは分からないが……」
どきりと鳴った鼓動が、大きな音を立てたように感じた。
「それって……どう言う意味なの?」
「いや、官吏としてなのか、女としてなのかって意味だけどな。普通は新しく入ってきた者に、これほど接触しない。史官と言えば、上位の官じゃない。大宗伯と話をしたこともない奴だっているんだ。内史になってもそれほど接点のあるお方じゃないし」
「そうなの……知らなかったわ。でも私の場合、少しご縁があったから……深い意味は……ないんだと思う」
「そうか?じゃあ俺は少しぐらい期待してもいいのかな」
「え……」
「そう困った顔するなよ。たった一人の同胞なんだからさ」
軽く笑って山岡は手を挙げる。
じゃあなと言って身を翻すのを、ただ唖然と見送った。
書面を抱えた姿が消えるまで、は固まっていたのだった。
|