ドリーム小説




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海客と海客 〜先輩〜


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「大宗伯、まだいらっしゃいますか?」

春官府の一郭、朱衡の詰める場所へと向かった

しかし中から返答はない。

朱衡は後宮でも政務を執るから、そっちへ出向いているのかもしれない。

あるいは王に呼ばれて内殿に居るのかも。

いずれにしろここにはいないようだった。

「失礼します」

扉を開けながらそう言って中へと進む。

奥に見えている椅子は、いつもの主を待っているように少し斜めを向いていた。

急なことでもあったのだろうか。

それともすでに帰ってしまったのか。

ふっと安堵の息を吐き出す

山岡の言った事によって、変に意識してしまいそうだったから、今日は会わなくてよかったのかもしれない。

卓子の上に書面を置き、そのまま退出して帰途へとついた。





























外に出ると、世界の色は紺碧であった。

西を見ると地平が僅かに紅を帯びている。

いつの間にか見慣れてしまったその風景。

この宮道も、庭院も、雲海も。

見慣れたと実感するだけ、喪失が目に見えるようだった。

この景色に見慣れたぶん、過去の世界を失っていく。

そんな気がした。

もう春が近い。

それでも風は冷たく裾を攫う。

一つ身震いをして、居院へと急いだ。

































外朝に出た所で、山岡と出会った。

「よお、奇遇だな。大宗伯はおられなかったか」

「ええ。そのまま置いて出てきたわ」

「そうか。なあ、関弓へ降りてみないか」

「関弓に?いいけど……何かあるの?」

「飲み屋」

「飲みに行くの?今から?一緒に?」

「お前な……嫌なら嫌って言えばいいだろうに、そんなにいっぱい疑問を飛ばすなよ」

は盛大に顔を顰めた山岡に笑って言う。

「いいわよ。もう終わったし。それに明日は朝議に出なくてもいい日だしね」

「お、そうこなくっちゃ」

嬉しそうに下山し始める山岡に着いて歩きながら、は不思議な感覚に囚われた。

小学校の頃しか知らない山岡と、酒を酌み交わす日が来るなど、思いもよらなかった。

長年付き合ってきた友人であったのなら、一度ぐらいは想像したかもしれない。

しかし山岡ではそれが不可能だった。

それは山岡が蓬莱から姿を消したからだ。

確実に接点は途絶えていた。

大人になった山岡と酒を酌み交わす。

これが出来るのは双方の世界で、ただ一人だと言えよう。

ある意味で、山岡が言った事は正しいのかもしれない。

海客同士結婚しようというのは。

そうすれば、同じ辛さを共有する事が出来る。

同じ故国を持ち、近しい想い出を持っている二人なら……。

しかしはそう言った意味で山岡を好いていない。

男や女としてではなく、あるいは同じ海客としてでもなく、ただ一個人としての感情では好いていると言って良い。

だがそれは、山岡の人柄が好きだと言った、簡単な気持ちだった。

酒を酌み交わすような年ではあっても、そんな感情で一緒になる決意ができるほど、老いてもいない。

また、それが分からないほど若くもない。

















「そう言えば、結婚している人って少ないんじゃない?」

関弓の飲み屋で、熱い酒を注ぎながらは言った。

つまみを口に放り込んだ山岡が宙に目を向けて考える。

すぐに頷いて答えた。

「野合が多いな。戸籍が定まってしまうと厄介だから」

「野合ってなに?」

「ああ、きちんと届けを出さない結婚の事だな。一緒に住むが籍は入れない」

「同棲の事?」

「蓬莱ではそう言うのか」

「どうして厄介なの?」

「うん、そうだな……」

山岡は考えながらまた一つ、つまみを口に放り込んで噛み、飲み下してから口を開いた。

「戸籍ってのがあってな、婚姻する時にはどちからの籍に入らなければいけないんだ。籍は動かすことが出来ないものだから、官吏同士の場合、昇進の妨げになる事がある。だからどうしても野合が多くなるんだ。婚姻しているのは、伴侶が官吏ではない場合が多いかな」

「へえ……そうか。婚姻によって枷が出来るのね」

「まあ、そうゆうことだな。だからお前も、昇進したかったら婚姻は避けたほうがいい」

「じゃあ山岡くんもそうなんじゃない?」

「まあな」

短く同意した山岡は酒を煽りながら笑う。

「からかったのね。酷い」

「そうでもないけどな。何しろは俺の初恋の人だし」

「まさか。小学二年で初恋なんて早いわよ」

「みんなそんなもんだろ?そうゆうはいつだったんだよ」

「私は中学校の時」

「それは遅い。俺が普通だと思うけどな」

そうかな、と言いながら、も酒を煽った。

酒杯は小さい御猪口のようであったため、嫌でもそのような飲み方になってしまう。

「みんなそれぞれいたのかもな。もちろん野合でだけどな。特に太宰や大宗伯は長く生きている。寂しいだろうさ、ずっと一人なら」

「ああ、そうか……そんなに……生きているのね、あの人達は」

王や宰輔もそうだ。

春官府にも三百年を越えたと言う者がいる。

通常なら、百年も生きれば大往生であろう。

それがさらに五倍だという長さ。

それは想像する事も出来ない。

長い年月が黒い影を落としていくことはないのだろうか。

の心を読んだのか、山岡は感慨深げに口を開く。

「あまりに生が長いと、何かが噛み合わなくなるのかもな。だから王朝は滅びる。どこの国でも衰退をくりかえしているんだ」

それを五百年間の長きに渡り支えてきた者達。

五百年生きていると言った朱衡は、やはりこの王朝の始まりからいたのだろう。

あの王や宰輔と供に歩んできた。

「だから、今は大宗伯なのね。ああ、太宰もそうかしら」

「どう言う意味だ?」

「五百年間、玄英宮にいたから、大宗伯なんじゃないの?生きる事に飽いて辞める人や、折り合いが付かなくて辞める人も中にはいたでしょう。全員が五百年変わっていない訳じゃないでしょう?どんどん上の人間が辞めていく。それをじっと堪えて待っていたから、大宗伯になった」

「ああ、それは違う」

山岡はそう言ってに説明する。

「大宗伯は元々史官だったらしい。しかも国官じゃなかった。だけど主上が登極してすぐに秋官へ移動し、五十年だかにはすでに大司寇であったそうだ。大宗伯に就かれたのは雁が百年目を迎えた頃で、それからも六官長を中心に転々として、今はまた大宗伯の任についている、と言ったところだな」

は素直に驚いて山岡に言う。

「じゃあ、エリートだったわけね」

「そう、選良だった……」

山岡はそれを受けて笑顔になり、何かを言いかけた。

しかし顔を元に戻し、ことり、と木の卓子に酒杯を置いて呟くように言う。

「……いや、やめた」

「?」

「恋敵の肩を持っているようで、なんだかいい気がしないな」

そう言うと酒を注いで笑う。

も愛想で笑ったが、笑っていいのかどうかは分からなかった。

「顔が引きつってるぞ。ま、早く俺の冗談に慣れるんだな」

山岡は空いたの杯に酒を注ぎ込んだ。

ずっとからかわれていた事を知ったは、大きく息を吐き出して力無く言う。

「精進します……」

大きな笑い声がそれに答えた。



続く






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