ドリーム小説
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海客と海客 〜先輩〜 =23= 「ふう……」
夜風が頬を撫でてゆく。
胸元に置いた手は、激しくなった鼓動の音を感じ取っていた。
静かな波音が寄せられた世界の中、瞳を閉じて空を仰いだ。
少し視界が明るいのは、月の明かりだろう。
ふと、さきほど朱衡が言った事を思い出した。
「手段を選ばない、か……」
それならば、きっと自分は朱衡の眼中になど入ってないのだ。
きっと、人を好きになっても同じなのだろう。
手段を選ばないほど情熱的に迫られたら、どんなに嬉しいだろう。
そう考えると、熱かった頬が急激に冷めていくような気がした。
鼓動も落ち着きを取り戻すと、急に寒くなって中へ戻る。
「早かったですね」
「思ったよりも寒くて……もうちょっと飲もうかと」
そう言うと、朱衡はの酒杯に酒を満たす。
口を付けるとするりと喉を通る。
何も考えずにどんどん進めていると、本格的に酔い始めた事に気付いた。
「誤解がないように申しておきますが、貴女は貴女なのですよ」
朱衡はそう言って笑いかける。
その笑顔が酒に拍車をかける。
「岡亮(こうりょう)は確かに苦労してきたでしょう。だからと言って、全体を指示する位置に立てるかと言えば、そうではありません。全体を見極め、的確な指示を出してゆくのに、貴女が適任であったこと。それだけは覚えておいて下さい」
山岡と飲んでいても、これほど酔ったのは、今までなかったように思う。
ここが一度は住んだ場所だから、安心しているのだろうか。
それとも……。
「、大丈夫ですか?」
「は……い」
ろれつが怪しいのは、自分でも分かった。
意識を保とうと目を大きめに開けて酒杯を見た。
そこにはまだ酒が残っている。
これを飲んだら帰ろうと、残りを一気に煽った。
「今日は、ほんとに、ありがと……う、ございま、した。そろそ、ろ……」
そこまでしか言えなかった。
力が抜けて卓子に手をつく。
それを庇うように腕が差しのばされた。
もちろん、朱衡の腕である。
「泊まっていきますか?それで歩いては、怪我をなさいますよ」
「大、丈……夫で、す、よ」
「あまり大丈夫ではなさそうですが?」
「そう、です、か?」
「ともかく、少し横になりなさい」
朱衡はそう言うと、少し力を入れてを支える。
断る間もなく移動が始まり、は千鳥足でそれに従った。
「すみま……せん……」
軽く笑う声だけがそれに答え、すぐに臥室が現れた。
牀へ雪崩れ込み、横になると一層目が回るような気がした。
心配そうな朱衡の気配だけはあったが、それを視界で確認する事が出来ない。
「大宗……朱衡さん……」
字を呼んだのは何年ぶりだろうか。
酔いの勢いで口をついて出てしまった。
しかしすぐに気配が近付いてきた。
瞳を閉じたまま腕を伸ばすと、それを暖かい手が包む。
手を握っていると、安堵感が身を包む。
そのまま微睡みそうになっていると、ふと手が離れるような気がした。
慌てて力を入れ、引き寄せるようにする。
「?」
「離れ……ないで……」
「……」
「お願い……」
「大丈夫ですよ。でもこのままでは、貴女が冷えてしまいますから」
離れないと聞いて、ようやく手を放す。
衾がかけられるのを感じ取った。
「朝まで……いても、いい?」
「もちろんですよ。無理に帰して怪我をされたら一大事ですからね」
はそれに瞳を閉じたまま笑った。
しかし未だ放したままの手が気になって、衾から腕を出す。
宙を泳ぐように、朱衡の手を探している。
それを察知したのか、朱衡の手が戻ってきた。
酔いのせいで力はないが、なんとかそれを自分の方へ引き寄せようと苦労していると笑う声がする。
「本当に、貴女はかわいらしい。罪作りなほどですね」
隣に滑り込んでくる感触が、をこの上ない安堵に導いた。
絡みつくように腕を伸ばし、離れないように体を寄せる。
それを包むのは、八年前と同じ腕。
「朱……衡」
そう呟くと、静かに手が動く。
頭の後ろをゆっくり撫でる手の動きが、心地よい眠りに誘う。
滑り落ちるようにして眠りについた。
「貴女が悲しむ顔は見たくありませんからね。祭祀を潰してでも、横流郷へ向かわなくともいいよう、なんとかしてみましょう」
そう呟かれた言葉はもちろん、の耳には入ってなかった。
海客の事、横流郷への行き方を気にしながら三日を過ごし、ついに祭祀の日を迎えた。
しかし警戒を強めていたのにも関わらず、気付けば王はいなかった。
朝は確かにいたはずなのにと首を捻る天官を、は唖然と見つめる。
ほんの少し目を離しただけで、忽然と消えていたのだと言う。
ふつふつと怒りが沸き上がってきたが、ここで天官に当たっても意味の無いことは分かっている。
自らを宥めるように押さえ、朱衡に目を向ける。
ただ首を振っただけで答えとした朱衡を見ながら、どうしてやろうかと考え始めた。
結局、王は夕刻に戻ってきた。
どこに行っていたのだと責めるつもりで内殿へと向かった。
しかし言葉を失ってしまった。
「お前の想像通り海客だったな」
「何の話を……?」
呟いてしまってから気が付いた。
横流郷へ行っていたのだと。
その時になって、遅れて朱衡と帷湍が入ってきた。
しかしそれに気付く余裕がにはなかった。
「……抜け出して、横流郷へ行っておられたのですか」
「そうだが?」
ぴくりとのこめかみが動いた。
「明日には私が行こうかという話ではなかったのですか?それまで待ってやろうという気が、何故起こらなかったのかお聞かせ願いたいですね」
「まあ、そう怒るな」
椅子に深く腰掛け直しながら、尚隆はそう言って少し笑う。
「怒るな、と……申されましたか?」
「ん?」
「怒るなと、申されますか?あれだけ何度も、何度も申し上げたにも関わらず、祭祀の当日に行方をくらました者に対して怒るなと?」
王の口が開くよりも早く、が動いた。
「いいかげんになさいませ!!」
だんっと手をつかれた卓子は少し跳ねてその位置をずらした。
帷湍がそれに驚いて肩を竦めたが、はそれに気付かず叫ぶ。
「五百年も同じ事を繰り返してきて、今日がどれほど大変な祭祀であるのかくらい、いつになったら覚えて頂けるのです!?今日の祭祀に動員されているのは、春官だけではないのですよ!他官府の方々にご迷惑をかけて、仕切り直さねばならない私の身にもなって下さいませ!!」
「だからそう怒るなと言うに。俺でしか聞き取れない事もあろうと思ってな」
さらに前へ詰め寄ろうとしたを制したのは朱衡だった。
腕を出して諫め、代わりに前へ出る。
「あ……大宗伯……」
ようやく二人の存在に気付いたのか、顔を赤らめて口を噤んだ。
何も言わない朱衡の代わりに帷湍が口を開く。
「同じ蓬莱で育った者にしか聞き取れない事があるのは承知している。だからに行けと命じたのではなかったのか?」
ただ笑って頷いた王は、何かに気付いて顔をに向けた。
「ああ、忘れていた。レギーナと言われて、何の事だか分かるか?」
声もなく目を見開いた。
朱衡の影に隠されていた体を出して、再び王に向かった。
「レギーナ……とは?」
「らてん語とか言っておったか。女王という意味を持つらしい。普段からそう名乗っていたようでな、郷長に聞かれてレギーナと名乗ったようだ。それが訳されて誤解を生んだようだな」
「それは……それは主上……」
今度は音もなく卓子に置かれた手。
それが僅かに震えているのを、朱衡だけが見ていた。
「聞き間違いではありませんか?本当にレギーナと名乗ったのですか?」
「占師のようだな。異邦占術を得意とするそうで……」
尚隆がそこまで言ったところで、が口を挟む。
「主上、それは……その方は……私の知り合いかも知れません。ここへ流されてくる直前、同じ仕事をしていた後輩が、同じようにレギーナと名乗っておりました。将来は占い師かと言う話も……したような気が致します」
「ほう。では呼んでみるか?ここへ」
「主上がお許し下さるのなら」
「ある程度回復したらそうしよう」
では、と朱衡が話に入ってくる。
「他国の台輔だと思っている郷長には荷が重いでしょうし、手配の方はすぐに致します。次の日程を調整いたしますから、待っている間に祭祀を終えてしまいましょう」
それだけを言うとを促し、その場を退出した。
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