ドリーム小説




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海客と海客 〜先輩〜


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翌日の夕方。

ふらつく足で、それでも春官府へ赴いた

自宅と内史府の様子を見てから、壁伝いに朱衡の許へと向かった。

「大宗伯」

……歩いても平気なのですか?」

朱衡はそう言いながら立ち上がり、を支えようと近寄る。

「ええ……内史府へ行って参りました。内史府は……すっかり元通りなのですね」

腕を引かれて椅子に座るまでに、はそう言って溜息をついた。

「そうですね。そのままにしていては……。あまりにも酷い光景だったので」

「血だらけでしたもの……とても平常ではいられません。他の方も動揺なさるでしょうし……」

がそこまで言った時だった。

駆けつけてくる足音が耳に入る。

それが異常な不安を誘った。

青ざめた顔を見た朱衡が、強くの肩を抱いて身構える。

飛び込んで来たのは梧桐宮に詰める鶏人だった。

に劣らぬほどの蒼白で息を切らせている。

「大宗伯……小宗伯! 大卜が……大卜が」

「翫習(がんしゅう)がどうかしたのですか」

朱衡が鋭く聞くも、鶏人は動揺していて言葉になっていない。

とにかく来てくれと言って、泣きそうな顔で二人を見ていた。

そこへもう一人の来訪者。

今度は夏官だった。

「大司馬の命により参りました。夏官府の裏で内史の袍らしきものが発見されました。雲海を漂っていたものが、打ち上げられたようでございます」

「そんな……」

一瞬、視界が暗くなりかけた。

しかしここで倒れる訳にもいくまい。

そう思い、床を踏みしめて立ち上がる。

「大宗伯、私も参ります。どちらから行かれますか」

がそう問うと、朱衡は知らせを持ってきた双方を見てしばし考える。

ややして鶏人に向かって言った。

「案内を頼めますか」































「翫習(がんしゅう)まで何かあったのと言うのでしょうか……」

朱衡の腕に掴まりながら、不安気にそう言った

しかし今の朱衡に、何もないと言いきれるだけの確証はなかった。

鶏人が向かった先は、翫習の官邸だった。

中は特別荒れている様子もなく、閑散としていた。

何者かの襲撃を予測していただけに、安堵の息を漏らそうとした

しかし何かおかしいと思い直して、もう一度よく辺りを見回した。

書卓(つくえ)の上は文具がきちんと並べられている。

衣桁(いこう)にも乱れたところはなく、その他全体的に見ても整然としていた。

それが異様な空気を孕(はら)んでいる。

「覚悟の失踪ですか」

朱衡がそう言ってようやく、房室の異常さに気が付いた。

整いすぎなのだと。

身辺を整理したような、そんな様子だった。

「昨日からどこにもお姿を見せなかったので、何かあったのかと来てみたのです。そこで、これを発見致しました……」

鶏人はそう言って袂から書簡を取り出す。

朱衡が受け取り、はらりと紙の音が静寂の中に響いた。

「大宗伯……何と書いてあるのですか……?」

「自白ですね」

「自白……?」

「翫習が岡亮(こうりょう)を殺したと、そう書いてあります」

くっと言って涙を呑んだのは鶏人だった。

はただ唖然と朱衡を見ている。

「些細なことで口論となり、内史府で揉めたとありますね。近くにあった硯(すずり)で内史を殴ってようやく我に返り、どうしようかと思っていたところへ史官の一人が来て、慌てて身を潜めた。史官はその場をすぐに出たが、夏官を呼びに言った事は間違いないと腹をくくった。しかし来たのは小宗伯だった。気が付くと史官と小宗伯を殴って倒し、内史を引きずって雲海へ捨てた……」

かさり、また音がする。

そのかそけく響く紙の音は、重い内容を秘めていた。

「そのまま自宅へ帰って自ら謹慎しておりましたが、夏官が内史を知らないかと訪ねて来て覚悟を致しました。しかしその場で言う勇気はなく、こうして書面で綴ることしかできなかったわたしをお許し下さい。死んで……お詫び申し上げる……」

ついにの力は砕けた。

床に座り込んで呆然とする。

朱衡が屈んでの肩を抱く。

鶏人に向かって小さく言った。

「このことは他言無用です。主上に申し上げて今度の指示を仰ぎましょう。あなたは帰って休みなさい。後はわたしがやっておきます」

「は……はい。大宗伯、ありがとう、ございました」

すでに涙を流していた鶏人は、なんとかそう言って頷く。

すぐに退出した鶏人の後ろ姿を、は人ごとのように眺めていた。

、貴女も休みなさい」

「いえ……。大宗伯は夏官府へ向かわれるのでしょう?でしたら、私も参ります」

「見ない方が良いかもしれませんよ」

ただ首を振って答えた

足に力を入れて立ち上がった。































夏官は二人が戻ってくるのを待って、引き上げた袍を提示した。

波に洗い流されたのか、血は随分と色を薄めていたが、檜皮色の袍の肩から胸元にかけては染みのように残っている。

あの日、山岡が着ていた物であると確信したは、それを朱衡に告げた。























、わたしはこれから主上の許へ参ります。貴女は帰ってなさい」

「いいえ、私は客殿に向かいます。これを報告しに行かねばなりません。同郷の者が死んだ事を、あの子はまだ知らないでしょうから……会わせるつもりだったの……だから……」

「……そうですか。では近くまで送って行きましょう。報告が終わったら迎えに戻りますよ。まだその足では危ないですから」

「ありがとうございます」





































後輩を訪ねて山岡の死を告げ、そこで朱衡と合流した。

一緒に着いてきた王を後輩の房室に残し、朱衡宅へと戻った

朱衡は自宅へ着くと、を座らせて言った。

「明日、岡亮の葬儀が執り行われます。大卜の事は、まだ死を確認しておりませんし、伏せておこうという話になりました」

「そうですか……」

「もう横になったほうがいいでしょう。立てますか……」

「ええ……。でも……まだ眠くありませんから」

客殿で王の軽口によって、一時は溶解しかけた表情は、今また固まったようであった。

ぎゅっと手を握ったまま、硬直している。



そっと肩に置かれた手にも、気付いてはいるが動けない。

ここへきて、何故ここまで硬直してしまったのか、自身も分かっていなかった。

視界は廻っている。

気分も悪い。

傷もまだ痛い。

そんな状態で動き回ったせいで、体力はもうないはずだった。

だからこそ、朱衡は寝ろと言ったのではないか。

だが……



再度呼ぶ声。

しかしすでに答える事が出来なかった。

それが心情によるものなのか、純粋に体力的な問題なのかすら、今のには分からない。

!」

少し強くなった朱衡の声。

横から前に移動してくる体をぼんやりと見ていた。

「貴女がここで倒れたとしても、誰も喜びませんよ。それで誰かの命が帰ってくるでもない。それなら、貴女は何故自ら倒れようとしているのです?」

「……え?」

ようやく首だけが動き、僅か上にある朱衡の双眸を捉えた。

「蝕に遭った者だけが辛いのですか?死んだ者だけが辛いのですか?それをただ見ているしかなかった者に、気付いてやることが出来なかった者に、辛くなる権利はないのですか」

「あ……」

「自らを追いつめ、倒れてしまうのはただの自己満足です。倒れたからと言って、彼らと同じ痛みを味わう事など、到底出来ないのです。何故なら我々は生きているからです。死んだ者の辛さなど、生きている者に分かるはずないのです」

「それは……」

「内史は貴女が倒れるのを望んだでしょうか?」

「……」

「誰も見ておりませんよ、。もう、好きなだけ泣いてもいいのです」

ふわりと頬に置かれた手。

温もりは優しくを包み、凍結していた心に広がっていった。

軋むような腕を上げたは、そのまま朱衡の首に取り縋った。

大きな声をあげて泣いたのは、幾度目だろうか。



続く






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