ドリーム小説
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海客と海客 〜先輩〜 =27= 牀に横たわって眠るの横。
腰掛けたままの朱衡は顔にかかった髪を、かき分けながら寝顔を見つめていた。
泣いている間に体力が尽き、本当に倒れてしまったを抱えてここまで来た。
どれほど心に痛手を負ったのか、聞かずとも明らかである。
郷里に繋がる扉を一つ、失ってしまった。
その喪失感を埋める事が出来るだろうか。
ただ時が癒してくれるのを待つより他に、手だてはないのだろうか。
葬送(そうそう)の鐘が響いていた。
はそれを聞きながら、ぼんやりと送られるものを見つめていた。
燃やすべく体のない、その棺。
だが確実に死んだのだという事実。
「……。じゃないか?」
驚いた表情は今でも覚えている。
「まあ、今となってはいい思い出さ。あんな状況でも生きてこれた。だから努力して来られたし、今が幸せだと思うんだよ」
海客だから追われたと、そう笑顔で語った。
「俺とならたぶん大丈夫だ。俺も胎果じゃない。間違いなく、女の体内から生まれた人間だから」
子を成す過程を想像して赤くなった事もあったか。
「そうか……やっぱり、伝わらないか。いや、の言うことの方が正しいのかも知れない。だけどまあ…………好きだってのは本当だからな。それが錯覚であろうとなかろうと、そんな事は関係ない」
真剣に好きだと言った山岡。
「まだ慣れないのか。こんな冗談を言えるのも今日が最後なんだから、乗ってくれてもいいだろうに。まあ、無理だったらいつでも内史府に戻ってくればいい」
小宗伯になるのを、快く送り出してくれた。
「日本の事なんて、日々を重ねる毎に忘れていく。今は特別帰りたいと思わないし、懐かしいと思った事もなかった。山岡と呼ばれるよりも、岡亮と呼ばれるほうが自然となってたし、内史と呼ばれる事に喜びを感じる」
あの時飲んでいたのは、酒だったか、煎茶だったか……。
「でも、こうして日本の人と向かい合っていると、切ないくらいに懐かしい気がしてきたよ。が知っている人だからかな」
一人、長い時間この世界で生きてきた。
それを受け入れられなかった自分。
は深く罪悪感を覚えた。
死して尚、その気持ちを受け入れてやれない事に。
葬送は続く。
遠ざかってゆく棺は、山岡の気持ちそのものだった。
「朱衡さん」
その日の夜、は朱衡が帰って来るのを起きて待っていた。
体調はまだ完全ではなく、葬儀を終えて一層疲れたように見えるのだろう。
あるいはもう眠っていると思っていただろうか。
朱衡はが声をかけると少し驚いてこちらを見た。
「体のほうは……」
「ええ、大丈夫よ」
「何か、話したいことでもありそうですね」
こくりと頷いたが、表情は強張っていると自分でも感じ取る。
昨日のような強張りではないが、緊張で喉が痛かった。
「話したいと言うよりも、聞きたいの」
「お答え出来る事なら、出来る限り答えましょう」
朱衡がそう答えると、は神妙な面持ちで頷いた。
大きく息を吸い、それを吐き出すようにして言う。
「私の事、どう思ってるの?」
山岡の事がきっかけとなった。
死して尚、その気持ちに答える事が出来ない。
だからこそ、これ以上逃げる事は出来ないと思った。
の気持ちを知っていた山岡に対して、それは失礼に当たると考えたのだ。
真剣に問うの視線に、にこりと笑って見せる朱衡。
そのままの表情で答えた。
「大切に思っておりますよ。今も昔も」
「それはどう言う意味で?」
「全てにおいてです」
は困ったように俯いた。
「私は……朱衡さんが好きです」
「ありがとうございます。わたしもですよ」
驚いて顔を起こした。
まじまじと朱衡の顔を見て呟く。
「うそ……」
「どうして嘘だと思うのです?」
「えっと……それは……その、どう言う意味で好き……なの?」
「女性としても、人としても、官吏としても、全てにおいてです。始めに気にかかっていたと言ったのを覚えておりますか?初めて出会った瞬間から、貴女を護(まも)ろうと思ったと、そう言った事を覚えておりますか?」
「……覚えています……だって、本当だったらいいのにって……何度も思ったもの」
「本当ですよ。貴女を護りたいのも、側にいたいのも、全てわたしの勝手な思いです。ですが、そこに嘘偽りはございません」
これほどの事をさらりと言ってしまえるのは、この人物の長年培ってきたものなのだろうか。
それとも、それほど深い意味がないから、簡単に言う事が出来るのだろうか。
「じゃあ……口づけたのはどうして?」
震える声で問うの目前に、朱衡が移動してきて言う。
「愛しいと思うからですよ、貴女を」
の頬に、朱衡の手が当てられる。
そのまま優しく降りてきた唇が、掠めるように触れて離れた。
「知りたいことは、これで以上ですか?」
優しく問われて、ただ頷く事しかできないを、朱衡は抱きしめて言う。
「では、今度はわたしの知りたいことを満たしてくれますか?」
「朱衡さんの知りたい事……?私で教える事が出来るの?」
「貴女にしか、教わる事は出来ません。何故ならわたしが知りたいのは貴女なのですから」
「私……?私の何を知りたいの?気持ちなら……」
そう言いかけたの唇を、朱衡の口づけが遮った。
「知りたいのですよ、の全てを」
その意味が分からぬほど、幼くもない。
だが赤くなるのを止められるほど、大人でもなかった。
甘い吐息が首筋にかかると、何も考えられなくなる自分を感じた。
瞳を閉じると瞬く間に酔ってしまう。
甘美な世界が、すぐそこに見えていた。
翌日から、二人の欠員を出した春官府は忙しい。
しかしその日、は手近な荷物だけを持って引っ越した。
もちろん、朱衡宅へと。
やらねばならぬ事は山積していたし、解決していない問題もまだある。
だが、朱衡がいるのなら、きっと自分は大丈夫だと思えた。
「」
臥室の窓際に立ち、僅かに欠けた月を見上げて物思いに耽(ふけ)っていると、背後から名を呼ぶ声がする。
「朱衡さん……」
「今は貴女も辛いでしょう。ですが、いつでもわたしが支えるつもりでいることを、忘れないで下さい」
歩きながらそう言った朱衡は、言い終わる頃にはの目前にいた。
その首筋に縋って腕を絡めると、優しい口付けが降り注ぐ。
寒い冬が訪れようとしていた。
しかし今年からは、一人凍える事はない。
優しく暖かい腕がそこにあるのだから。
切望すれば、いつでも差し伸べてくれる優しい手。
八年間、ずっと変わらずそこにあったはずなのに、ようやく手に入れる事が出来た。
その喜びを噛みしめるように、朱衡の胸元に顔を埋める。
優しく撫でる手は、今日もの心を洗う。
煌めく星も、輝く月も、瞳を閉じた二人には見えない。
どちらともなく牀榻へ入ると、甘い時が訪れる。
は朱衡の手をしっかり握りしめ、幸せの福音に浸って眠りについた。
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