ドリーム小説
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海客と海客 〜先輩〜 =3= 気付くとそこは小さな中庭の一郭だった。
四方を建物に囲まれている。
ただしその体は木の上にある。
驚いて辺りを見回してみるが、そこに知った風景はなかった。
波打ち際にいたはずなのに、かなり海から離れているようだ。
目前にある建物にも見覚えはない。
木の上で掴まる場所を探し、そろりと降りる。
思ったより高い位置にはおらず、足をかけて降りることが出来た。
地に足をつけた瞬間、びゅっと通り過ぎた風が冷たく、思わず身を竦ませる。
気を失っていた時間が長く、夜が随分と深まったからだろうか。
それとも気付かぬ内に、秋は深まっていたのだろうか。
辺りを見回して足を出す。
右に行けばいいのか、左に行けばいいのか、さっぱり分からなかったため、殆ど勘だけで動いた。
建物の中に入ると、かつんと響いた靴の音に肩を竦ませる。
何故か音を立ててはいけないような気がした。
奥にはまた中庭らしきものが見える。
草の上なら音もしないだろうとそちらへ向かった。
今度の中庭は思ったよりも大きい。
庭伝いに足を進めていると、遠くに灯りが見える。
橙色が瞳に優しく、知らずそちらへ向かっていた。
やがて辿り着いたそこには人の気配があった。
はしばらく逡巡したが、意を決して窓際へ向かった。
硝子の窓を叩いて、声をかける。
「あの……すみませんが」
中の気配が窓に向かってくるのが分かった。
「夜分遅くにすいません。道に迷ってしまったようで……」
かちゃりと音がしたのは、がそう言った直後だった。
静かに開く窓。
背後に灯りを背負って見えにくかったものの、その中から現れたのは、不思議な格好をした人物だった。
「……あ、あの」
袖も裾も長い服を着たこの人物、果たして男だろうか女だろうか。
男にしては、顔の線が滑らかに感じた。
着ているものの印象から、女であろうかと思い始めた頃、部屋の中の人物から声が発せられた。
「……どこから入ったのです?」
低すぎることはないものの、女と言ってしまえる声ではなかった。
では、この人物は男だろうか。
「どこからって……庭を伝って……気が付いたらここに……」
「庭院(にわ)を伝って?……洋装とは変わったものを着ておられますね」
「洋装?あなたは和装ですか?」
「いいえ。これは袍というものです。倭装(わそう)とおっしゃるには、貴女は海客でしょうか」
「海客……?」
「ああ、やはり海客のようですね。いつからここに?」
「さっき……あの、男の子を追って来たんですけど……見かけませんでした?ちょっと不思議な感じの子で……」
「男の子……?」
男はそう言うと少し首を傾げて考える。
背後に灯りがあったため、はっきりと表情を見ることは出来なかったが、そのように見えた。
「ともかく、中へお入りなさい。そこに立っていては寒いでしょう」
「はあ、ありがとうございます」
男はの返事を待って窓から離れる。
窓から少し離れた所に、扉があったようだ。
そこが開かれて、暖かい風がの足元にかかった。
「お邪魔します」
招き入れられるまま、足を踏み出した。
だが中に入ってすぐに後悔した。
建物に見覚えがないと思っていたが、中の様子はそれを越えている。
混乱を招きそうな内装である。
机や椅子、それに灯り、壁や棚まで、まるで知らない調度品が揃っている。
見知らぬという次元ではない。
「洋装とは随分と薄いものですね。お体が冷えておいででしょう」
「え……ええ」
戸惑うにお構いなしと言った様子の男。
椅子にかけてあった膝掛けのようなものを取り、に手渡した。
「どうぞおかけ下さい」
椅子を指して言った男に従い、腰を下ろす。
胸中がざわざわと騒がしいのは、不安が膨らんできた証拠だ。
膝掛けを肩からかけると、温もりが身を包む。
それに大きく息を吐き出して男に問うた。
「あの、私……」
はそう言ったが、疑問を口に出してしまう事が恐ろしいと囁く心の声によって、急遽(きゅうきょ)質問を変えた。
「私、は……と言います。あなたは……?」
「シュコウと申します」
「シュコウ、さん……?」
「はい」
「変わったお名前ですね。どんな字を書くのかまったく思い浮かばないわ」
そう言うと、シュコウは手元の紙に筆で何かを書き付けてに見せた。
「これで、朱衡と読みます」
はあ、と相槌を打ってしばし固まる。
しばらく間を置いて声を出した。
「あの……」
また、詰まる。
しかし朱衡と名乗った目前の男は、それが何によるものか分かっているのか、の口が開かれるのを見守るように待っている。
「こ……ここ……。ここは何処なんでしょうか」
「ここはエンシュウ国という世界の北東に位置する国です」
紙に書いて再度見せる。
どこかで聞いた名だと思いながら、朱衡の言った事を繰り返す。
「雁州国……。世界の北東?」
世界に北東も南東もなかろうに。
「どこを基準に北東と?」
「世界の中心です」
「世界、とは?」
「世界は世界です。名などございません。ですが、貴女は蓬莱からお越しですね」
日本から来たのかと問われて、頷く。
それが翻訳されて聞こえていることすら、今は理解できていない。
「ここは……日本ではないのでしょうか?」
「違います。蓬莱からは遙か遠くに位置する……いえ、存在する世界が別だと申し上げたほうがよろしいでしょう」
「存在する、世界?」
「蓬莱は伝説の世界ということになっておりますね。月の影にある、幻の国」
「月の……影?何?」
不安が的中しようとしている雰囲気を感じ取り、神妙な面持ちで朱衡に目を向けていた。
「本来は互いに影響しあうこともなく、静かに存在し続けているはずなのですが、中には例外もございまして」
「例外?」
「はい。こちらには、蝕、というものがございます。その蝕は、次元の歪みのようなものを招くのだそうです。その歪みに巻き込まれた者が、稀にこちらへ流れ着いてしまうのです。ただ、最近蝕が起きたという報告は受けておりませんが」
「次元の歪み?流れる?」
「嵐、豪雨、地震、騒動、流されてくる者が遭遇するものは様々のようですね。ただ共通している事は、二度と戻れないと言うことです」
きょとんとした顔が、淡々と言う朱衡を見ていた。
その説明の過程で覚悟は飛んでしまった。
常軌を逸していたからだ。
その事実を認めるには、あまりにもかけ離れてしまった世界観。
……ゆえに、その心情は極めて平常を保っている。
ぱちぱちと瞬きしたは、少し首を傾げて朱衡に言う。
「私、そのどれにも巻き込まれてないわ」
「何か異常に感じた事はございませんでしたか?これまで体験したことがないような、何か」
「強風……かしら。とても強い風に体を押されたの。そう、海で男の子を見つけて、捕まえようと手を出した瞬間だったわ。強風に煽られて、慌ててその子を掴んだような気がしたの。それこそ、必死に掴まっていたわ。でも急に風が止んで、手を離してしまったの。たぶん、その時木の上に落ちたのだと思う」
「それは、つい先程、と言うことでしょうか」
「丸一日気を失っていたのではないなら、さっきだと思うわ。あ……そうだ、思い出した。雁州国って、どこかで聞いたと思ったら。その追っていた子が言ってたんだわ」
「失礼ですが、追っていた者とは……?」
「確か……そうああ、六太って名前の男の子よ」
「六……」
少し鋭くなった眼光に気付かぬまま、は今朝のあらましを朱衡に語る。
「さようでございますか……それは災難でしたね。貴女の変わりに、わたしが懲らしめると致しましょう」
「知り合い?」
「ええ、よく存じ上げておりますとも」
そう言って朱衡は何とも言えない表情で笑う。
「本来ならば一人でふらついても良い身分ではないのです。大切な御身なのですから……尤も、止めるのを随分と昔に諦めてしまった感じはありますが」
「随分と昔?若いのに年寄りみたいな言い方なのね」
が笑いながらそう言うと、朱衡は苦笑しながら言った。
「わたしは年寄りですよ」
「それ、本当のお年寄りの前で言ったら、いやみですよ」
「いやみなどではございません。事実を述べたまでですから」
「はいはい。どれくらいここで働いているの?」
「この国に仕えて、もう五百年ほどになりましょうか」
「ふうん。それは長いわね」
あっさり納得を見せたに、朱衡は少し驚いて目を開く。
こんな冷静な海客など聞いたことがない。
「信じておりませんね」
軽い溜息と供に言われた声。
はさも当たり前だと言う表情でそれに答える。
「まあ、いきなり理解する事はできませんでしょう」
すべてを理解する瞬間。
その時期を間違えれば、簡単に絶望を招くことが出来る。
ともかく、と言って、朱衡は卓子(つくえ)に積み上げられたものを簡単に片付ける。
を誘導して自宅へと向かった。
「何、これ……これがあなたのお家?」
「そうですよ。殺風景な所で申し訳ありませんが」
「殺風景も何も……」
どこか異国情緒漂うこの屋敷に加え、この男の格好である。
疑問を抱かずにいるには些か無理があった。
だが日本語が通じる以上、ここは日本に他ならない、とはそう思っている。
いや、そう願っていた。
「なんだか凄いお屋敷ねえ。ここってテーマパークか何か?」
「てえま……何と申されました?」
「テーマパーク」
「……それは、どう言ったものでしょう」
「え?ええっと、そうね……遊園地の事よ」
「?」
分からないと言った表情がそれに答え、は少し苦笑して窓に眼を向ける。
寛容に射し込む月明が視線を攫う。
月は気を失う前に見るよりも小さかった。
それだけ、時間が経っているのだろう。
「ともかく、今日はお疲れでしょう。ひとまずは寝て、これからのことは明日考えませんか?」
そう言う朱衡に目を向けた。
かなり夜が深いのだろうか、眠そうな表情に見えた。
「あ、あの……。私はここに泊めてもらってもいいの?」
「構いませんよ。わたしの臥室(しんしつ)を使うと良いでしょう」
「え……でもそれじゃあ……あなたは?寝室がたくさんあるわけじゃないでしょう?」
「寝る所は他にもございます。ご心配なきよう」
「では……お言葉に甘えさせてもらいますね。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。
微笑んだ朱衡が臥室までを案内した。
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