ドリーム小説
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海客と海客 〜先輩〜 =8= 朱衡宅に戻ってしばらく、は何も言うことが出来なかった。
良い香りのお茶を差し出されて、三口ほど飲んでようやく落ち着いたのか、軽く息を吐き出す。
しかしどこか張りつめたような空気を解く事が出来ない。
「ここは……どこなの……」
昨日と同じ質問が繰り返される。
しかし朱衡の答えは違った。
「そもそもの話から始めましょう」
朱衡はそう言うと、自らの茶杯を手にとって一口飲む。
かたりとそれを置くと語り始めた。
「天地を開き、十二の国を作りたもうたのは天帝と呼ばれる神です。天は十二の人を選び、それを王に据えた。王を選んだのは天ですが、直接選ぶのは麒麟と呼ばれる神獣です。麒麟とは天の意を借るもので、王を選んだ後は国へ下って台輔となる」
「え?それって……」
「人のように見えましょうが、あれでも神獣と呼ばれるお方です。麒麟は争いを厭い、民に仁を施すとされています」
「民に仁を?あの子が?なら仁道の勉強を一からやり直しね」
肩を竦めて朱衡に言うと、微笑みが返ってくる。
そこで張りつめたものが解けたような気がした。
「だけど……ここは……私はもう……」
もはやテーマパークだと信じるには無理がある。
「残念ですが、貴女の育った世界とは違います。恐らくは天地開闢から常識的な事まで、すべてが違う世界なのでしょう」
「帰ることは……」
「一度申し上げましたが……二度と戻ることは出来ません。台輔は麒麟ですから、その御身一つであちらへ渡る事が出来ます。ですが人を連れて行き来する事は、本来なら出来ないはずなのです。何かの偶然が働いて、貴女をこちらへ連れてくることが出来たようですが……」
「異世界って事?まるで違う世界にいるの?」
ぽつりと呟くような声に、朱衡はを見つめる。
「これまでお会いした海客の話を聞く限り、天の摂理から違う世界なのでしょう」
朱衡がそう言うと沈黙が訪れた。
しかしそれは、乾いた小さな笑い声によってうち破られる。
は笑い、朱衡から顔を逸らす。
窓に目を向け、外の景色を瞳に映しながら口を開いた。
「まったく、実感が湧かないわ……だって、こうやって普通に話しているし……少し変わった景色もあったけど……でも……」
潤みだした瞳を見せたくなくて、窓を見ているのだと分かった。
しかしそれを咎めることなどできるはずもなく、朱衡はただ黙ってその様子を眺めていた。
「そうよ……異世界だと言うのなら、何故言葉が通じるの?摂理さえ違うのにそこだけ同じなのって……おかしい、わよ……」
そう言っている事が虚しい足掻きだと言うことは、自身がよく分かっていた。
だが問わずにはおれない心境である。
朱衡はそれを瞬時に悟って言った。
「それは、わたしが仙籍にあるからです。王と宰輔は神籍に入り、寿命がなくなります。それに従う者は仙籍へと入り、同じように寿命がなくなります。仙籍に入ると、言葉の壁は取り払われます。山客とも海客とも話す事が出来る。……先程、あのまま山を下りて街に出ていれば、言葉が通じないのを実感したことでしょう」
疑惑を残してはいけないのだ。
惨いようだが、可能性は潰しておかねばならない。
僅かでも疑惑が残れば、それは虚しい希望となると思ったからだ。
虚構の中へ逃げてしまえば、その時点でこの者の生は終わる。
だが絶望だけを与えたのでは、同じ結果を招きかねない。
そこで朱衡は続けて言った。
「おもわぬ事故とは言え、台輔の責任です。恨むな、とは申しません。ここで働いて存分に仕返しなさい」
「……え?」
「世界の常識などはおいおい学べばよいことです。まずは貴女を仙籍に入れる事が先決でしょう。そうすれば言葉の壁は取り除かれます。しかし仙籍に入るには国の機関で働かねばなりません」
は六太を叱りつけた時の事を思い出していた。
精一杯大人になって、あれが限界だった。
国に仕えると言うことは、六太に従うということだ。
「今はまだ、あの子に会いたくないな……本当に恨んでしまいそうだから。……他に方法はないの?」
「ございますが……これはお気に召しませんよ、きっと」
「聞いてみないと分からないわ」
「では言っておきますが、ご気分を害されないように」
朱衡はそう言うと、一呼吸置いてに言う。
「わたしと同じ籍に入れば良いのです。婚姻すればそれが可能ですので」
「……。……。……。……え?」
「手順を言いますと、まずこの国の戸籍が必要となります。そこはまあ、あまり大きな問題ではないでしょう。戸籍を取得すれば婚姻の資格が出来ますから、わたしと同じ籍に入れば仙籍に入ることが出来ます。これならば宮城に仕えなくとも言葉の壁はなくなります」
目を見開いたまま朱衡を見つめるに、苦笑したような表情が向かう。
「どのように生きていくのか決めるまでです。ただ仙籍から外れれば、また言葉は分からなくなりますから、初めから学んでいたほうが良いと考えるのなら別です。街に降りて仮の戸籍と給付金を受けて生活することも可能ですが……」
あまりの事に言葉がでない。
しかしそんなを無視して朱衡は続ける。
「これも何かのご縁でしょうから、宮城に留まってみてはどうです?」
は内心、極端な選択だと思った。
目前の男と結婚するのか、知らない街で言葉を覚える事から始めるのか。
「仮にここに留まるとして……私は何をして過ごせばいいの?」
「何をしなくても結構です。強いて言うのなら、この家を守って頂きたいですね」
「それでも働かないって言うのはちょっと抵抗があるわ……それに結婚なんて……でも……正直に言うと、街に降りて生活するのは恐い」
「ほとんどの海客はそれを余儀なくされます。何も知らずに流され、流される国によっては命を狙われる事もあります」
「そんな……」
「しかし貴女の場合は少し特別ですね。台輔に連れて来られたようなものですので、いわば被害者です」
朱衡はそう言うと、にこりと笑って続ける。
「災難ではなく、被害に遭った。ですから、それを持ち出して、わたしから台輔にお願いすることも出来ますよ。宮城に行かなくとも、仙籍に入れるよう取り計らいましょうか?」
「それでは脅迫みたいだわ」
はそう言ってから、ふと宙を見据えた。
首を少し傾けると、朱衡に視線を移して言う。
「どうして始めにそれを言ってくれなかったの?」
「なかなか鋭いですね。先程申し上げたように、ご縁だと思ったからですよ。それに、台輔に有無を言わせぬあの気迫が気に入ったからですね」
かわらぬ表情のままさらりと言われた事に対し、は呆気にとられて朱衡を見た。
どう言った意味合いが含まれているのか読みとろうとしたが、何も見えてこない。
気に入ったと言うのは、どれほどの比重でこの人物を占めているのだろうか。
結婚してもいいとまで言ったのだから、通常であれば告白だと受け取っただろうが、この場合は少し違うような気がした。
長く国に仕えてきた者として、この非常事態に一肌脱ごうとしているのか、それとも純粋な好意と受け取って良いのだろうか。
「一つ、聞いてもいい?」
疑わしげ表情が朱衡に問いかける。
「どうぞ」
「もし……もしもよ、今の私と同じような人が現れたら……あなたはどうする?」
「それはまったく同じですか?夜中に庭院に現れ、台輔に連れて来られたという、極めて異例の状況で?」
「それは……うん、そうね」
「それが貴女であれば、わたしは同じ事を申しましょう」
「私ではなかったら?」
「それは分かりませんね。状況によります」
「う〜ん、それじゃあ答えになってないわ……。例えばあの子に連れて来られて、困っている女の子だったら?泣き疲れてとても可哀想な様子の人だったら?」
「街へ送り、手続きの手助けならいたしますね。もしくは台輔に一任いたします」
「じゃあ、どうして私はそうしないの?」
「わたしが気にかかっているからですね」
「その気にかかっているっていうのは……?」
「さあ、これを言葉で言い表すのは容易くありません。どのように言えばいいのか……しかしわたしがどのように思うのかは問題ではありません。貴女が今後どうしたいのか、です。貴女の力になりますよ」
「私の……力に……私は、どうしたらいいのかしら……」
「何もすぐに決めねばいけないと言うことではありません。ここに滞在してゆっくりお考え下さい」
「……ありがとうございます」
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