ドリーム小説
Trick or Treat!
Trick or Treat! =2= 数刻後、は春官府の一角にいた。
用意された布を裁断し、仮装の為の衣装を作っていたのだった。
ハロウィンは明後日の夜行われる事になった。
いくつかの府第がそれに参加してくれるようだ。
「ハロウィンか…」
本格的にハロウィンをするのは初めての経験だった。
昨今、有名になってきたとは言え、せいぜい家族でパンプキン・パイを食べる程度だった。
街が一丸となって、ハロウィンに興じるという程、浸透しているわけではない。
海外では狼男やフランケンシュタインが、出勤してくる会社なんかもあるそうだが…。
の住んでいた所からほど近い、一部の町内ではクリスマスに次いで、飾り付け合戦があった。
山の中腹を切り開いた、俗に言う高級住宅街での一角に限定されるが。
そこの町内では、やはり子供達が徘徊するのだろう。
だが、残念ながらの住んでいた付近には、何の飾り付けもなかった。
それでも…
「懐かしいな…」
連なる山々、広がる海。
飾りを見に行った山の中腹から海の方を見下ろせば、地上に広がる幾多もの星々が瞬く。
「駄目…」
懐かしさが運んでくる郷愁を振り払おうと、は首を横に振って手元に集中する。
黒い布をざくざくと切っていると、堂室に誰かが入ってくるのに気がついた。
ふと顔を上げたの視界に、見たような人物が映る。
「あ、人攫い」
「人聞きの悪い。問うたつもりだったが?」
「問うたって…あれのこと?国府から招集があった、以上、のあれ?」
小学で講義を受けていると、はいるかと素知らぬ男が入ってくる。
何事かと思ったが、おずおずと手を挙げて私ですと言った。
「来るかと聞いただろう」
悪びた様子のない男に、は軽く睨みながら言う。
「すでに手を引いていたくせに」
溜息を一つ落として、さらに言った。
「お役人のくせに、暇なのねえ。それとも、台輔と同じようにさぼり?」
「台輔…と会ったのか?」
「さっき飛び込んで来られて…。それを聞くって事は、ハロウィンの関係で来たわけではないのね」
ふと黙り込んだ男に、はじっと目を向ける。
しかし何も返って来ない反応に、再び手を動かし始めた。
布をきり、仮縫いをしている間にも、男は動かずに作業を見守っている。
「ねえ」
は作業をしたままで、そこにいるであろう男に問いかける。
「あなた、暇なの?それとも私を見張るのがお役目?」
そう問うが、何も返答はない。
しかしは、それに構わずに言った。
「暇なら手伝ってくれない?」
の指さす先に、木の実が積まれていた。
「桐で穴をあけて欲しいの。硬くって…」
男はやはり何も言わずに、どかりと木の実の前に座る。
言われた通りに、黙々と穴をあけているようだ。
それを横目で見ながら、は問いかける。
「ねえ、私に用事?何か聞きたいことでもあるの?」
「何を作っているのかと思ってな」
「仮装用の衣装よ。台輔が着るための。その木の実は装飾品に使うの」
そう言っては、ハロウィンの事を男に教える。
「菓子をやらんと言ったら、どうなる?」
「悪戯されてしまうんじゃないかな?私の住んでいた所には、まだハロウィンが浸透していなかったから、近所を廻ったりはしなかったけど…」
だからね、と言い置いて、は嬉しそうに言う。
「私も台輔とご一緒させて頂くの。人攫いさんもちゃんとお菓子を、二人分用意しておいてよ?」
片目を閉じて言うに、男は考えておこうと言いながら、出来上がった木の実をに渡す。
「では、そろそろ退出するとしよう」
「さぼりがばれないうちに?」
「まあ、そんなところだな」
「やっぱりさぼっていたのね。台輔も頑張っているようだから、人攫いさんもしっかりね」
がそう言うと、男は苦笑しながら立ち上がる。
「尚隆だ」
「え?それはひょっとして、人攫いさんの名前?」
ちらりとだけ笑った男は、そのまま何も言わずに退出していった。
男の動きによって、一陣の風が通り抜け、はただじっとそれを見送っていた。
ややして、手元に目を戻して作業に戻る。
「ふう…」
仮縫いまでを終えたは作業を止めて立ち上がる。
固まった首と肩を解そうと、大きな伸びを一つした。
「ちょっと、休憩しよう…」
一人そう呟いて、堂室を出る。
明るいと思っていた外は、影を濃くしていた。
斜陽が西にまどろみ、世界を橙に彩っている。
赤黄色の世界の中、は列植された花や木々に誘われるように、庭院へと導かれて行った。
花々が薫り豊かにを迎え、雅やかな気持ちにさせる。
白い花は夕陽に染まり、木の緑はより濃く映る。
しばし庭院の景観を眺めていたは、遠くに海があることに気がついた。
「海…?あ、そうか。あれが雲海なんだ」
雲の上に来ることなど、今まで一度もなかった。
ゆえに雲海を見ることはない。
が知っているこの世界の海は、虚海と黒海、青海だった。
庭院を横切って行くと、張り出した露台が現れ、そこからは広がる雲海が一望できる。
寄せては返す穏やかな海は、に懐かしさを運んでくる。
「瀬戸内海みたい…」
今は天よりも遠くなってしまった故国郷里。
二度と見ることのない、その海。
「蓬莱か…」
一人呟いたはずの言に、返ってくる声がある。
「蓬莱から見て、この国はどうだ?」
驚いたは、すぐ後ろに立っている男を見る。
先ほど名乗った男、尚隆がそこには立っていた。
端正な顔立ちもまた、夕陽が染め上げる。
いつの間に…と思ったがそれは口に出さず、は静かに返答する。
「寒いわ。私は気候の穏やかな所に住んでいたから。雨も少なく、温暖で海も荒れない。瀬戸内式気候って言うのよ」
「…ほう」
瀬戸内は日本最大の内海である。
古来より海道交通の動脈として、著しく発展を遂げてきた。
陸地に囲まれているため、波は穏やかであった。
「この国は秋に長雨がある…そしてそれが終わると、条風の吹き荒ぶ冬がやってくるでしょう?瀬戸内はその逆と言ってもいいかしら。山が季節風を遮ってくれるから、雨も少ないし、太陽の照っている時間も長い。海陸風のおかげで夕凪が有名なのよ」
「海風と山風か…」
「ええ、そうね。冬は北から山風が吹き、夏は南から穏やかにやってくる…」
思いを馳せているに向かって、尚隆は無意識のまま同意していた。
「そうだな」
「そうだなって…瀬戸内を知っているの?」
言われてようやく、口から出た言葉に気がつく。
「まあ、な。島が多いだろう。その内の一つにいた」
「じゃあ…あなたも海客なの?」
「まあ、そんなところだ」
「へえ…随分と長くこちらにいるの?」
「…長いな」
「ふうん。じゃあ結構、昔の人?宮城に居る事だし、年を取らない部類の人なんでしょう?」
ただ頷いただけで返した男に、はふと思い出して言う。
「小島が多いのは、何故だか知っている?」
「いや…」
「遙か昔は陸だったの」
「陸だった?」
「ええ。山だったのよ。瀬戸内は窪地でね、そこに海水が溜まったらしいのよ。なだらかな山がたくさんあって、その山が新たな陸地となったんだって。遙か昔には、陸地続きだったの」
「ほう…。では俺の居た島も、元は陸地続きだったと言うわけだな」
「うん。船がなくとも渡れたのだと思うと、なんだか凄いことじゃない?」
「そうだな」
簡素に答えた尚隆から目を反らし、は雲海に目を向ける。
もう二度と見ることはないが、この海は瀬戸内の穏やかな海を思い出させる。
ただ違うことは、どこにも島影がないと言うことだった。
周りにはなにもない。
遠くから見れば、ただ寂しくぽつりとある、孤島のようであろうか。
瀬戸内は逆に、島影の見えぬ所が少ない。
思いを馳せるように蒼茫を眺めていたは、ふと隣に目を向けた。
隣に佇む男もまた、同じような表情で遠くを臨んでいる。
世界は橙を潜め、蒼くなりつつあった。
白壁も同じように染まる。も尚隆も、世界と同じ色に染め上げられていた。
その景観を見ていたは、知らず俯いて呟く。
「海は一つではなかった…。世界が一つじゃなかったように…」
「…辛いか」
独り言に質問が返ってきて、は少し驚く。
だが、首を振って答えを返した。
「辛くない、って言いたいところだけど…それは嘘になってしまうわ。でも、私はこちらに流されて来た。それはどう目を瞑っても、変わらない事実だから。それなら、この世界で有意義に生きていくしかないのよね」
溜息混じりにそう言って、は尚隆に微笑みかける。
雲海を黙って見つめる二人を、穏やかな波音が包み、世界を漆黒に染めようとしていた。
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