ドリーム小説
Trick or Treat!
Trick or Treat! =3= 翌日も、の作業は続いていた。
昨日と同じ場所で、仮縫いから本縫いへと進んでいた。
本日最初の来訪者は六太だった。
だが様子を見に来た宰輔は、その途中で引きずられるようにして退出し、苦笑しながらそれを見送ったは、再び手元に視線を戻していた。
縫うのに疲れると、伸びを一つして横に目を向ける。
「あ、昨日穴をあけてもらったんだった」
はそう呟くと箱を引き寄せる。
再び糸を取り出して、木の実に通していく。
じゃら、と連なる実の連珠が出来上がり、そこに枝を飾って大きな物へと仕上げていく。
幾分か気分転換になったと思いながら、再び本縫いに戻ったところで、何者かの気配が近づいていた。
誰だろうと顔を上げたの視界に、昨日の男が映り込む。
「またあなたなの。よほど暇なのね」
尚隆は笑って返し、の手元を見て言った。
「進んだか?」
「…まあ、ね。明日にはなんとか出来そう」
朱衡と六太の顔が、の脳裏を過ぎていく。
決してわざとではなかった。
様子を見ながら、三日は引き延ばそうと思っていたのだが、どうやらそうも言ってられない。
明日に出来るという自信も、今は薄くなっていた。
「遅くまで作業をしていたようだが」
「…どうして知っているの?」
それに対しての返事はなかったが、は尚隆に目を向けて言った。
「じゃあ、あなたも遅くまで起きていたのでしょう?お仕事?それとも…」
「なんだ?」
「やっぱり暇なの?」
「そうくるか」
「?」
苦笑した尚隆を見つめる目は、答えを求めるようでもあったが、その口からは違う内容の言が発せられた。
「あ、ねえ、折角だから、今日も手伝って」
はそう言うと、大きな南瓜を指して言う。
「中をくりぬいて欲しいの。本当はもっと大きな南瓜を使うんだけど」
尚隆は南瓜を引き寄せて、何に使うのかと問いたげな視線を向ける。
それに笑ったは説明する。
「篝を作るの。ジャック・オ・ランタンって言ってね、昔悪魔を騙したジャックと言う名の男が、地獄に堕ちることも出来ずに、ランタン…篝を持って徘徊した事からついた名のだとか。恐ろしい形相を描いて、悪いものを遠ざけるのに使われているの。ハロウィンの象徴的な物で、飾ってもらおうと思ったんだけど…硬くって」
苦笑はに移り、尚隆はその原因を南瓜に発見した。
一度手が加えられた後がある。
抉れきれずに、途中でやめてしまったようだった。
どれほど硬いのだろうと、小刀で手を加えてみる。
「確かに」
そう呟いた後は無言のまま、ざくざくと掘り下げて行くのを、は少しの間手を止めて見ていた。
「力があるのね…頼んで良かった」
にこりと笑ったは、そのまま自分の受け持つ作業に戻る。
幾分か時が流れ、南瓜を掘り下げる音が止まった。
作業の手を止め、顔を上げて見ると、四つの南瓜がくりぬかれていた。
「凄い…もう出来たのね。ありがとう。それで随分時間が取られるのではないかと思っていたの。本当に助かったわ」
「少し休まんか。ずっと首を下げていては、固まってしまうだろう」
言われたは同意して立ち上がる。
固まった全身を解そうと大きく伸びをすると、ふいに視界がぐらりと揺れた。
しまった、と思った時にはすでに体が傾き初め、床に打ち付けられるのを覚悟してぎゅっと目を閉じる。
がくりと体が何処かに引っかかり、床への転倒は免れたようだった。
しかし、未だ廻る暗黒の視界に、目を開けることが出来ないままじっと耐える。
眩暈が収まったのを感じ、うっすらと目を開けていく。
少しぼんやりした視界が開けると、間近にせまった双眸があった。
「え…?」
それが何かを理解するのに、また少し時を要した。
覗き込む尚隆の瞳に、自分が映っているのを見て、ようやく状況を把握する。
「わ…わ!」
慌てて起き上がった途端、また軽く目が回る。
「わ…ぁ…」
今度は前にがくりと膝が落ち、腰元に手が伸びてくるのを視界が捉える。
「同じ体制でいるからだ」
呆れたような声が降ってきたが、ぼんやりとしか聞き取れない。
かろうじて頷いたは、そのまま浮き上がるのを感じていた。
まだ眩暈が続いているのだろうか。
そう思ったのも束の間、はっきり映る視界はいつもより高い。
揺れてはいるが、廻ってもいない。
「え?…ええ!!」
軽々と抱えられて移動をしている事に、ようやく気がついた。
「な、な、な、何??」
「いやに軽いと思ってな。もう少し太ってもいいぞ」
「どうしてあなたにそんな事言われなきゃならないの!と、とにかく降ろして」
軽く笑った反応のまま、尚隆の腕は静かに降ろされた。
床に足をつけてほっと息を吐き出したは、きっと睨みつけて口を開こうとした。
しかし声を発する前に思いとどまったのか、表情を改めて言った。
「ありがとう…」
しぶしぶと言ったような語調のは、尚隆に背を向けて歩き出した。
急に恥ずかしさが込み上げてきて、顔を合わせる事が出来なかったのだ。
抱きかかえられた事など、記憶にある内には一度だってない。
ぼやける視界の中に見えた顔に、一瞬見とれてしまったなど、口が裂けても言うものかと、一人心に誓って堂室を出た。
昨日と同じ世界が、そこには広がっていた。
しかし今のには、景色など微塵も見えていない。
ただずんずんと宮道を進み、やがて雲海が見えてようやく立ち止まった。
知らぬ間に庭院を横切り、昨日と同じ露台へと進んでいたのだった。
それもそのはず、は玄英宮の中で、寝泊まりの為に借りている房室、作業をしている堂室、それにこの露台しか知らなかったのだから。
露台の先は海である。
ゆえに立ち止まらねばならない。
心情としては、このまま先に行きたいのだが…。
何故なら、背後からずっと尚隆がついて来ているからだった。
行き止まったは、仕方なく欄干に手をかけて、雲海を眺めるふりをしてやり過ごそうとした。
尚隆もの横までやってきて、欄干によりかかる。
世界は今日も橙に染まり、穏やかな波音が耳を擽る。
の心情だけが、それらの景色と相反していた。
何故着いて来たのだろうかと、問いかける勇気すら今はない。
なんとか気持ちを落ち着けようと、気付かれないように深呼吸をして瞳を閉じる。
汐の香りが辺りを包む。
尚隆は何も言わない。
も何も言わない。
波だけが二人に囁きかけ、風が頬を撫でて消えていく。
「海は好きか」
唐突に問われた声に、は瞳を持ち上げる。
騒いでいた心は落ち着きを取り戻したが、橙に彩られた世界と斜陽は、に物悲しさを与えていった。
「…嫌いじゃないわ」
海は郷愁を運んで来る。
だが、の知る海はここにはない。
似て非なる海が広がっている。
どこの海も、の存在した世界にはないものだった。
果てしなく流されて行ったとしても、決して辿り着く事の出来ない世界。
「ただ不思議だと思う時もある。それが面白いと感じる瞬間さえあると言うのに、日によっては…ううん、時間によってはそれが切なく感じる時もある…でも、私は海の見える所で育ったから、やっぱり海は好きかな」
「そうか。…辛さを紛らわす、良い方法を教えてやろうか」
「良い方法?」
「あくまでも、紛らわす程度にしかならん。それでもよければ、教えてやらないでもない」
その物言いに、はくすりと笑い、ゆっくりと落ちていく陽を見つめながら言った。
「それでも…まあ、いいわ」
そう返したに習い、尚隆も陽に目を向ける。
「男に惚れる事だな」
「…。は?」
頭だけを残した陽から目が離れ、ようやく隣の男に目が向けられた。
「いとも簡単にこの世界に繋ぎ止めてくれよう。そう思わんか」
確かに、この世界の住人に恋でもすれば、辛さは格段に減るような気もする。
だが…
の目は再び陽に戻る。
生きることの方が先決であって、そのような考えを持った事はなかった。
もうすぐ隠れようとしている陽を追いながら、は笑って言った。
「恋って言っても色々あるわよ。相手も自分を好いてくれるのなら、辛さは激減するかもね。でも実らない恋なら、別の意味で辛いと思うわ」
愛の言葉を語らうには、まだまだ言語に乏しい。
「惚れさせればいいだけの事だ」
そう言った尚隆に、呆れた声では返す。
「…自信過剰なご意見をどうもありがとう。あなたなら可能かもね」
溜息混じりに言ったに、尚隆はうむ、と呟いてから言う。
「欠片ほども勘違いせんな」
「え?」
何を言われたのだろうかと見上げる。
雲海に向けられた漆黒の瞳には、陽が一条だけ映り込んでいた。
思わず触れたくなるようなその横顔に、はしばし見とれる。
だが、その顔が動こうとしているのを感じ、慌てて目を反らした。
雲海の果てに沈んでいった陽を探し求めたが、すでにどこにも光は無かった。
ただ蒼い世界が広がるばかり。
「あ…えっと…明日の夕方には、台輔と回れるように…その、用意…。そう、続きをしなくちゃ!手伝ってくれてありがとうね!」
動揺を露わに駆けていく後ろ姿を、尚隆は追わずにただ見つめていた。
「明日か」
ぽつりと呟かれた声のあと、露台から人の気配は消えた。
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