落下が始まり、過去の情景が重なる。 あぁ、だから空が怖いのだ、と感じながら落ちていた。 どしん、と衝撃があり、落下が止まる。 「…たま?」 白と黒の縞模様が見えて、 はその騎獣の名を呟いていた。 器用に片手で手綱を取った尚隆は、 を抱えながら空行する。 音も風もなく滑らかに進む。 は顔を宙に向け、それを覗いてみた。 落ちそうで多少怖い感じは残るが、前ほど怖くは無い。 二度も空へ飛翔したのに、生きている自分を思うと不思議だった。 痛みもなく容易く助かってしまった。 王自身が助けに来た事は驚いたが、これで盾にならずに済んだと思うと、心底安堵していた。 そして空を翔る事数刻。 恐らくは擁州が終ってすぐの所で、尚隆は地に向かう。 降り立って、両手の拘束を解かれる。 「大丈夫か?」 青い顔を見ながら、尚隆は前に投げ出された足に手を伸ばしていた。 二人とも窓から飛翔して、まだ一言もしゃべっていなかった。 やがて足の拘束が取れると、 は尚隆の横に伏せ、深く頭を下げた。 「私が迂闊に捕まってしまったせいで、皆様には多大なご迷惑をおかけいたしました。お詫び申し上げます。主上におかれましても…」 「何故だ」 遮った尚隆の言を聞きながら、何故、とは何に対してだろうかと は考える。 「何故自害など考えた」 問いかけの理由が分かって、 はしばし沈黙する。 ややして口を開いた の口調は、驚くほど物静かであった。 「盾にするのだと言われました。この国の盾になるのなら、と…自分が仙だということを忘れておりましたから、浅はかな短慮を起こしました」 「自害する事はお前の役目ではないだろう」 「お役目だから自害しようとした訳ではございません。盾となった事で後悔し続けながらの生は嫌だと思ったのです」 は顔を上げて体を起こす。 きちんと座しながら、尚隆の顔を見ていた。 「王たらんとする者が起こす戦は、最悪です。自らが王だと大義名分を掲げるのですから、それに従う者も大儀の元に死んで行くのです。その数は尋常ではありません。それぞれが大儀を抱いているのですから、命を懸けるほうもそれを惜しみません。それが余計に人員を減らします」 それは、蓬莱の大火そのもの。 勢力を競い、統率を極め、誰もが領地を広げようとしている。 戦火が消える事はなく、民が逃げ惑う事も多い。 いつでも戦火を身近に感じているのだ。 「ですがそれは蓬莱での事。あの男の目的は…知る由もありませんが、謀反を起こす以上、狙うは玉座。この世界では王が倒れる事が災厄を呼びます。それの一因になりたくはございません。民を苦しめる原因を…作りたくなかったのです」 「俺はどうなる」 そう問われた は、尚隆を凝視したまま驚いていた。 「 を失ってしまったら、俺はどうなる。体を失うのと同じなのだろう?ならば、体の重要な部分を剥ぎ取られて、身動きが取れなくなってもなお、生き続けよと言うか?」 「私が死ぬ事で、何十万もの民が助かるのなら、喜んで死にましょう。私はすでに周防国よりも、この雁州国が好きなのですから。お役目ではございません。死を選んだのは、自分の意思です」 見据えた瞳に宿る光を見つめていた尚隆は、 の体を引き寄せてその腕に抱く。 きつく抱いていても、いつの間にか消えてしまいそうな気がして、おのずと力がかけられる。 その力に、 は尚隆の心の悲鳴を感じた。 いつかのように、心が悲鳴を上げている。 「何故…?」 問うても返事はなく、ただ力だけが強くなる。 本来は救出になど、来てはいけないのに…。 王自ら危険な場所に向かうなど、この世界では許されない。 覇者である必要はないのだから。 「尚隆さま…?」 「許さぬ。死ぬ事は絶対に許さぬ」 死ぬ事を許さないと言うのは、 が蓬莱の人間だから、だろうか。 少なくとも僅かばかりの空間を共有しあえる、唯一の人間だからだろうか。 「もう…蓬莱での辛い事はお忘れ下さいませ…この国と供に幸せになっていただきたいのです…たとえ、私がおらずとも…」 肩に力が入り、勢いよく体が離される。 「おらずとも?」 怒った様な顔を に向けた尚隆は、自分が映る瞳を見つめていた。 「蓬莱の事は忘れぬ。死んで行った民の事を忘れる訳にはいかぬ。瀬戸内も雁も同じくだ」 それでは救われないだろうに、と の瞳が訴えている。 「自分の命を何だと思っているんだ?何故そんなにも自分を軽視する。あまりにも無頓着すぎるのではないか」 「それは…尚隆さまとて同じ事。王で在りながら、私をお助け下さった。私にとってはありがたい事ですが、決して褒められる行為ではございません」 「俺は自分の命を無頓着に思っている訳ではない。軽視もしておらん。雁の民が双肩にかかっておるのだ」 「でしたら、何故来られたのです…尚隆さまの枷にはなりたくございません。王は玉座に座って指示だけを出せば良いのです。こんな…こんな無茶をする必要など、なかったのです」 「無茶ではないがな…勝機がなければ、もう少し遅くなっただろう。そもそも狙われていたのは俺だ。巻き込まれたお前が、どうして死ぬ必要がある」 「ですからそれは、盾に…」 何やら堂々巡りのような会話をしているような、そんな気がした は言いかけた音を飲み込んだ。 双方が主張する事は、どちらも間違っていない。 それをどちらも譲らないのだから、いつまで経っても終らないだろう。 何時の間にか同じに話しに戻り、同じ展開を迎えては戻ってくる。 「そうか」 はそう呟いた尚隆の顔を見て、怒りが消えている事を知った。 「 は俺を信用しておらんな?」 信用してないと言われて、驚いた は目を大きく開いた。 「何を…仰いますか」 「信用しておらんから、死のうと思ったりしたのだろう」 「信用の問題ではございません」 「いや、それしかないな。これからも が浚われたなら、すぐに助けに行く。誰の手を借りずとも、俺一人で行く事もあるだろう。それで死んだりはせぬ。だが、そこを信用出来んのだろう?俺が死ぬかも知れぬと思っておるから、それほどまでに思いつめて短慮を起こす。盾になりたくないと言ったのは、そこだろう」 驚いたままの を再び引き寄せた尚隆は、優しく包み込んで声を落とす。 「何に囚われている?」 「囚われる?」 「使命感か、責任感か」 問われた は息を呑んだが、そのどちらでもないような気がして、首を横に振って否定した。 だからと言って、自分でも判らない。 「どちらでもないのなら、 の心は戦火に囚われている。戦火を恐れ、逃げ惑い、そこから開放されたがっている」 戦火に葬られていった君主と若君。 それが を捕らえて離さない。 心の奥底で、ずっとそう思っていた事に、ようやく気がつかされた。 「 の守ってきた若君も、俺の守ってきた民も…もはや助けに行く事は叶わぬ。だが、新たに守るべき者があるのだから、俺は生きておれるのだ。その守りたい者が命を容易く投げようと言うのだから、やりきれない話だな」 「守りたい…私を?」 「そうだ。だから俺は死なぬ。絶対にだ」 「何故そう言い切れるのです?」 「まあ、腕力ぐらいしか取得がないからな。これは俺のわがままだ。だから、諦めるんだな」 「わがままなど言って良い立場ではございませぬ」 「君主とはわがままだと相場が決まっている」 さすがに絶句してしまった を、笑う尚隆の振動が包む。 「だから、簡単に死のうと思うな。悪あがきでもなんでもして、必ず生き残る方法を考えろ。国も民も関係なく、一人の女として幸せになればいい」 言われた事を深く心に刻みつける。 包み込まれた腕は、自分を守るための腕だと、そう感じることが出来て、 は尚隆の背に腕を回した。 自分の腕もまた、守る為に使いたい。 戦う事は出来ないが、違った形で示せばいい。 この国の為に働く事を許されているのだから。 「ありがとう…ございます」 途切れがちに言うと、そっと顔を持ち上げられる。 「思い出したか…」 その顔は涙に濡れ、溢れる雫が頬を伝っていた。 恐怖は使命感の下に押し込んで、悲しみは責任感で覆い隠してきた。 それらが、国も民も関係なく、自分の事を考えてもいいのだと、他ならぬ王に言われた事によって、箍が外れたように流れ出る。 涙を拭う温かい手を頬に感じ、これ以上の安らぎはないだろうと は思っていた。 「これからも必ず助けてやる。だが…もう捕まるなよ?」 頬に手を添えたまま言う尚隆に、 はただ頷いて答える。
続く
期待を裏切って、一瞬、地官長大活躍!で書こうかとも思ったのですが…
それではお相手が変わってしまいますので、やはりこの方にご登場願いました。
榴醒シリーズでは本命との絡みが少なかったので、今回はべったりで行けたらいいなぁ♪
美耶子