ドリーム小説
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月の花 =12=
涙が収まるのを待って、玄英宮に戻る為に騎乗する。
「怖くなくなったか」
空を駆けながら、尚隆はしがみ付いてこないに問う。
「窓から飛翔した事を思えば」
あの感覚を考えれば、穏やかな空の旅だと思った。
宮城に戻り、騎獣から降り立つと同時に安堵したのか、は崩れ落ちるようにして意識を失った。
出迎えに出ていた朱衡が慌てて駆け寄る。
「用意は」
短く聞いた尚隆に、出来ていると答えた朱衡は、すでにを抱えて両手の塞がった主の先を行き、扉を開けていく。
安全に治療や休息が行える場として、尚隆は後宮の一室を用意させていた。
直ちに瘍医が呼ばれた。
思ったよりも衰弱が激しいと瘍医は言って、絶対安静にするようにと残して退がっていった。
「帷湍が先ほど戻って参りましたよ」
を見ながら、朱衡はそう言った。
「どうだった?」
「もちろん、一網打尽です」
「そうか…」
「成笙が事後処理の為に郷城に残っておりますが、明日には戻ってくるでしょう」
「…宮城の者は?誰が手引きしたのか判ったのか?」
「それがまだ…地官ではないかと思ったんですが、帷湍にも心当たりがなく…に直接聞いた方が早いでしょうね。擁州に向かうと知っていた者は限られておりましょうから。とにかく、が戻ってきた事は極秘にしませんと。外部と接触してそうな者を見張らせておりますから、目覚めるよりも早く見つかるかもしれませんが」
朱衡はそう言って後宮をあとにした。
残った尚隆はの顔を見つめたまま、ずっとその場にいた。
立ち尽くして足が痛くなってもなお、動くことが出来ないように固まっている。
「か…さま…」
の口が小さく動いて、尚隆はやっと足を動かした。
顔を近づけてそれを聞く。
「若…様…」
未だ囚われたままのその魂。
ふ、と笑って苦笑する。
「人のことは言えぬか…」
だが、こればかりはどうしようもない。
囚われたまま、生きて行かねばならないのだ。
朱衡の言っていた意味が、ようやく分かったような気がした。
確かに、似ている。
亡国に囚われた二人。
戦火の中で、大切な者を助けられずに、失ってしまった。
それを、生きるために心の奥底に押しやってはいるが、小さなきっかけ一つで、瞬く間に浮上してくる。
それと悟られぬように覆う表情が、似ているのだろう。
忘れることが出来ずに、心が悲鳴を上げている。
も尚隆も同じ。
そっと手を伸ばし、衾の上に置いて宥める様に動かすと、の表情は幾分か和らいでいった。
深い眠りに落ちた顔を見ながら、尚隆は腰をかけてずっとその場にいた。
夜半頃、は薄く目を開けた。
柔らかい衾褥の感触と、温かい手の感触が同時にある。
顔を横に向けると、うつ伏せた尚隆の体があった。
いつの間にか眠ってしまったのだろう。
足は下に落ちているようで、の片腕は尚隆の体の下敷きになっている。
窓は開いたままで、そこからは冷たい風が吹き込んでいた。
「もう…冬なのね…」
窓を閉めようと思ったは、尚隆の手をそっと解いて体を起こす。
上半身を起こした所で、眩暈に襲われた。
一度起こした体は前に倒れ、その振動によって尚隆が目覚める。
「?」
「あ…申し訳ございません」
「いや…何をしている」
「窓をしめようかと…お寒うございましょう?」
そう問えば、体を押し戻す力がかかり、の体は再び衾褥の中に戻る。
立ち上がった尚隆は窓を閉め、水差しを持って戻って来た。
「飲めるか?」
「は、はい」
水を飲むために起き上がろうとしたは、またしても眩暈を起こし、なんとか支えられてそれに耐えた。
水を飲むと静かに寝かされ、尚隆はすぐ横に椅子を引っ張ってくる。
「皆様は…今?」
「成笙は郷城に残っているな。帷湍は帰ってきたようだが、まだ姿を現しておらんな。恐らく明日にでも報告に来るだろう」
気を使ってか、が眠っている間にも帷湍は来ていない。
「あの…私と一緒にいた、左軍の方は…」
「大丈夫だ。牢獄に押し込められて、水も食料も与えられておらなんだ。今はと同じように養生中だな」
尚隆の手が伸びてきて、の髪を横に除ける。
額に手の甲をあてて、熱を測っているようだった。
話しをしていて大丈夫なのだろうか。
口調はしっかりとしているが、少々不安は残る。
だが、今聞きたい事であれば、聞く権利がある。
は巻き込まれたのだから。
「太守、と呼ばれていたあの男は?清郡の太守でございますか?」
「そうだ。あの城は要条郷の郷城だったがな。郷長二名が太守に加担しておった」
「何故あの場にいたのです?」
「ん?俺か?」
「はい」
「が浚われた所から、一番近い郷城に潜り込んだ。近頃二名が投獄されたと聞いて、すぐに帷湍に命じた」
「大司徒に?」
「清郡の太守、郷長、県正を対象に喚問を行っていた。堤を壊す理由を聞き出せといってな。その時から妙な空気を持っておったから、目をつけてはいたのだがな。竹を抜いて回っていたようだな。そのせいで雨季には三つの櫨が沈んだ」
「何故そのような事を…」
眉を顰めて問い返すに、尚隆は軽く頷く。
「郷長の指示だったそうだ。郷長が民を締め上げ、太守がその民を庇護する。そうしておけば太守の評判は上がるだろう。それに、民が決起するのを防ぐ事が出来る。郷長は蛇蝎の如く嫌われるが、太守がそれを擁護するから、何時までものさばっている」
櫨を失った人々は郡城に運ばれ、そこで夫役に従事させられ、堅牢な城を築かせられる。
謀反に備えての事だろう。
準備が整った所に宮城の者が、青鳥を飛ばしての情報を送った。
「私が一度調査した土地を訪れると、何故思ったのでしょう?」
「それだ」
「それ?」
「何故知っていたか、だな。誰かに擁州に行くことを言ったか?」
「いいえ。誰にも。帷湍さまにお願いして、成笙さまに手配して頂きましたから…同行した者にも、恐らくは他言無用と申されておりましょうし…」
「何故再度清郡に行こうと考えた?」
「雨季の後で心配だったのです。根の張り具合も心配でしたし、地盤が緩んでおりましょうから検分して必要があれば、それを補強しなければならないと思ったのです」
「そんなに心配だったのか?」
「ええ…はい…」
歯切れの悪い答えに、尚隆はを見つめながら聞く。
「誰かに…何か言われたか?」
は少し考えるように目を宙に向けたが、すぐに思い当たったようだった。
「そう言えば…清郡で堤が決壊したと、教えてくれた者がおりました…竹では駄目ではなかったのかとも言われ…そうですわ…それで不安になって見に行ってみようと」
「地官か?」
「いいえ。地官の者ではございません。あの方は確か天官ではなかったかと」
「名は分かるか?」
「いえ…。よくお見かけいたしますが、存じ上げません」
それならば意外と近くにいる奴かもしれない。
そいつが教えたのだろう。
後で朱衡に言っておこうと考えながら、尚隆は続きを話して聞かせた。
「禁軍を向かわせておったのだが、都合の良い事に太守と郷長二名が揃った。恐らく関弓に呼び出されて焦ったのだろう。集まって良からぬ相談事をしておったようだが、そこに牢獄の見張りが飛んできた」
が舌を噛んだ時だろう。
太守が誰かを逗留している房室に運んだと聞き及んだ尚隆は、帷湍に連絡を取った。
再び喚問をすると言う体裁を作りだし、帷湍に要条城を訪ねさせるつもりで待機させていたのだ。
様子を伺っていると、王がどうのと言っている。
手を出すなと言うの声が聞こえたかと思うと、それが呻き声に変わる。
そうなっては帷湍が来るのを待っておれず、飛び込んで太守を追い出した。
「なんて無茶をなさる…」
それに笑って答えた尚隆に、は問いかける。
「太守達は、何故謀反を?」
「地が整い、法が整うと困るから、だろうな」
「搾取出来なくなるから、でしょうか?」
「まあ、そんな所だ。狡賢い連中だったが、頭は良くないな。民を扇動する者がおれば、簡単に乱が起きただろう」
尚隆は言いながらの首裏に手を入れる。
話しをした為に、唇が乾燥しているのを見て、水を飲ませようとしたのだった。
差し出されて、それを大人しく飲んだは、寝かされると尚隆に言う。
「ありがとうございます。私はもう、大丈夫ですから…尚隆さまはどうかお休みになって下さいまし。疲れておいででしょう?」
「いや。俺は大丈夫だ。はもう寝たほうがいいと思うがな」
「でも…」
先ほども疲れて眠っていたのではないかと、は思う。
「疲れたらこのまま眠れば良いことだからな」
「それはいけません。きちんとした場所でお休み下さい」
「わがままは諦めろと言わなかったか?」
「わがまま…なのですか?」
「そうだ」
「ですが…お体が冷えてしまいますわ。心苦しくて、おちおち眠っておれません」
「体が冷えて死ぬ訳でもなし、気にする必要などないぞ」
「それなら私も大丈夫です。尚隆さまを差し置いて眠る事を考えれば、目が冴えてしまいますわ」
譲れないのは互いに同じ。
このまま押し問答が続くかのように思われたが、尚隆は立ち上がった。
立ち上がったのを見て、ほっと息を漏らしただったが、その直後息を飲み込む。
尚隆は衾褥をまくって、の隣に滑り込んで来る。
「これで冷えぬぞ」
肘をついて支えた顔を唖然と見ていたは、あまりの事に絶句していた。
「驚いてないで、目を閉じて眠る努力をしたらどうだ?」
軽く見開かれていた瞳に手がかかり、目蓋が強制的に下ろされる。
早鐘を打つ胸元に手をあてて、は瞳を閉じていた。
目元を覆った手は退けられず、動くような気配もない。
諦めの心境よりも、胸が苦しいくらいに鳴り響いていて、顔は熱を持ったように感じていた。
どうすればいいのか判らずに、そのまま固まっていた。
しばらくすると慣れてきたのか、心音は少し静まってきて、目を覆っていた手がふいに離れていった。
うっすらと目を開けて尚隆を見ると、眠っている事に気がつく。
やはり疲れていたのだなと思ったは、やっと落ち着いて瞳を閉じた。
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