ドリーム小説




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月の花


=13=




翌日、目が覚めるとまだ尚隆は隣で眠っていた。

まだ軽く残る眩暈をおして、目を凝らしてその寝顔を見つめる。

瞳を閉じた尚隆の顔は、勇ましさも鋭さもなく、なんとなくあどけない印象をに与えていった。

窓からは、明け方の薄暗い光が差し込んでいる。

すっと伸びた鼻梁に指を伸ばしてみると、くすぐったいのか眉間に力が入る。

笑いたいのを噛み殺して、指を下におろして口元に触れた。

柔らかい、と思ったは、急に恥ずかしい事をしているような気がして、慌てて指を引いていった。

だが、引く途中で尚隆の伸びてきた手に捕まってしまった。

寝ぼけているのか、そのまま引き寄せられて、腕の中に納まってしまう。

再び早鐘を打つ胸は、を戸惑わせた。

尚隆に抱きしめられた事は一度や二度ではなかったが、こんな感覚だっただろうか?

早鐘を打つ胸と、耳鳴りのように聞こえる心音。

それなのに妙に安らぐ。

昨夜から続いている、この奇妙な感じに、困惑せずにはおれない。

心音が収まって、再び目を閉じるまでにかなりの時間を要した。

































再び目を開けた時、尚隆はすでにおらず、変わりに帷湍が立っていた。

よく見れば朱衡と成笙もいる。

成笙の後ろにも誰かが居る。

「女性の牀榻に失礼かとは思ったのですが、確認したい事がございまして」

二人の男が捕らえられた体で成笙に捕まっていた。

「清郡の事を貴女に話したのは、この男ですか?」

右の男を指して問う朱衡に、は頷いて答えた。

もう一人は仲間だろうか。

何も聞かれなかったが、二人は引きずられるようにして成笙が連れて行った。

三名が消えるのを待って、朱衡からさらに詳しい事を聞いたは、自分が八日も囚われていた事を知った。

「清郡一帯の川沿いを調べてみたんだが、決壊していたのは竹が引き抜かれた所だけのようだったな。僅かな期間に随分と根を張っておったようで、根ごと引き抜くのは容易ではなかったろう」

帷湍はそうに言った。

一通り報告をして二人が帰って行くと、は再び眠りについた。

その後何度か目覚めたが、その日、尚隆が現れる事はなかった。

























一週間ほど療養して、は元の体を取り戻していた。

その間、殆ど誰にも会う事なく過ごしていたが、後宮にいると聞かされて納得していた。

ここまで入ってこられる人物は限られているし、天官は先日二名が捕らえたれた事でごたごたしているようだった。

そして復帰したのだが、二週間以上、地官府を空けていたは、久しぶりに訪れた先々で歓迎され、そのために普段より疲れる一日となった。

ぐったりして宮道を歩いていると、軽く笑ったような声が後ろからして、は何事かと振り返る。

「相変わらず人気者だな」

「尚隆さま…」

斜めに射す月明かりに、笑った顔が映えている。

どきっと鳴る胸に気づかないふりをして、はそれを見ていた。

「…。少し付き合わんか」

そう言われたは、方向転換をして尚隆に付いていく。

ずんずんと歩く尚隆の行く先は、どうやら禁門のようであった。

まさか夜中に出かけるのかと、少々不安に思っていたが、禁門にたどり着く前で右に曲がったのを見て、思わず胸を撫で下ろした。

後を追いかけて曲がると庭院が出てきて、その奥に小さな堂屋が見えていた。











雲海の上でも肌寒い季節になったなと考えながら、堂屋に消えて行った影を追う。

が中に入ると、そこには月の光が満ちていた。

天を仰ぐと、天井が丸くくり貫かれ、光を集めていた。

「凄い…」

王宮にあると思えば質素過ぎるその堂屋は、その光だけで充分だと思った。

丸い高めの小卓と、それに合わせたような椅子が二脚あり、尚隆は椅子を一つ引いてを待っていた。

月光を浴びた尚隆の姿は神々しく、神だと言ったのを思い出さずにはいられない。

そちらに歩み寄ると、月光の中に入りこみ、自らの腕や肩が輝くように見える。

椅子に腰掛けながら、はその光景を無言で見ていた。

あまりに幻想的なその光景に、何も言葉が出てこなかったのだ。

「どうだ?」

問われたは必死に言葉を探っていた。

どう言ったらこれを的確に表現出来るだろうかと。

月に磨かれた光景の中で、これほど素晴らしい物を知らない。

「こぼれる月に…吸い込まれてしまいそうです」

「それは困るな」

尚隆はそう言って杯を渡す。

「御酒ですか?」

「まあ、快気祝いだ」

そう言っての手に杯を押し付けた。

軽く鳴らして煽った尚隆を見て、も一口含む。

「ん!に、苦い…」

「薬湯だからな」

「騙しましたね…」

「まあ、そう言うな。完全に回復すれば、好きなだけ飲ませてやる」

「もう、治っております。ですが…好きなだけと言うほど飲めませんので、今日の所はお薬湯で我慢致します」

そう言ってもう一口含む。

苦そうな顔が杯の下から現れて、声をたてて尚隆は笑った。

「尚隆さまは…意地悪だったのですね」

笑われたは、少し拗ねたような顔になり、尚隆に目を向けずに言う。

しかし逸らした視線の先に、何やら見つけたは、そのまま立ち上がって窓際に向かった。

窓から見えている庭院の一点を、じっと見つめたままのの背後に、尚隆が移動してきて上から覗き込む。

なんだとでも言いたげな雰囲気に、はくすりと笑って指をさす。

「白い花が見えますか?」

月光の中にぽつりと佇む白い花。

「秋桜か」

「若様がお泣きになられていた時…あのように白い秋桜が揺れておりました」

かの国を思い出して言うに、尚隆は目を向けた。

悲しい表情をしているかと思ったの顔は、笑みを湛えていた。

「七つだったか…」

「え?あ…いいえ」

くすくすと笑って、は尚隆を見上げた。

「擁州での事ですわ」

「擁州の?」

「はい。こちらの若様は…心の中だけでお泣きになられる…」

そう言っては笑みを消して尚隆を見る。

「私は、涙の出し方を思い出しました。尚隆さまはまだ泣けませぬか?」

軽く見開かれた双眸がを捕らえていた。

ふいに逸らされた瞳が揺れる。

「俺は男だからな。泣けぬのではなく、泣かぬのだ」

「武士の子はそう言われて育ちますが…ここは蓬莱ではないのですから、もう…よろしいのではありませんか?」

その言を聞いて、尚隆はふいにある了解点に到達した。

は蓬莱ではないと言う。

ここは雁だとも、頻繁に言う。

もちろん自分と話しをしている時に限るのだろうが…自分と似ているというのは、も薄々気が付いているのではないか?

だから無意識に口にするのだ。

ここは雁だと。

ここは蓬莱ではないと。

周防国の呪縛から、戦乱の世から、魂が抜け出せずにいるのだ。

そこから抜け出そうと、必死になっている。

考え方は蓬莱らしからぬ、自由な心を持っている。

だがそれを自ら肯定したり、否定したりする。

一貫性がないのではなく、揺れていたのだ。

そうありたい自分と、そうありえない自分。

は無意識の内に、自分自身に言い聞かせていたのだ。

「そうだ…」

尚隆は救いを差し伸べている見えない手を掴もうと、の瞳を見つめて言う。

「ここは、周防国ではない。雁州国だ。だから、一人の女として、幸せになってもいいんだぞ」

以前に言った事を繰り返し言った尚隆は、息を呑むようなその反応を見てやはりと思う。

「今、そう言われて罪悪感が走っただろう?」

「え…」

「亡き君主の顔か、あるいは若君の顔か…」

「何故…」

「俺も同じだからだ」

尚隆は絶句してしまったにそっと腕を伸ばす。

手をかけ、容易く引き寄せられた体は、小さく戦慄いている。

「俺たちは一人の人間だ。立場や使命という物によって束縛されてはおるが、それでもただの個人に過ぎぬ。観念に囚われる必要などない。こちらも、あちらも、何も変わらぬ。お前はありのままで良い。楽になれ」

に言い聞かせるこの言葉は、他ならぬ自分に言い聞かせるものであった。





楽になれと思う。

幸せになれと言う。





もまた言う。

泣いて楽になれと。





互いが同じような思いを抱き、それを映して瞑目する。

同じ魂を持ったと言う大きな存在は、腕に抱き寄せるとあまりに小さい。

「私が幸せになっていいのなら…尚隆さまも幸せになってよいのです」

小さく言った声は震えている。

「俺は…大丈夫だ」

「今…幸せなのですか?」

「腕に大切な者を抱いている。国も世界も関係なく、ただ愛しいと思う者を。これが幸せでないのなら…他に見つける事は出来ぬだろうな」

はゆっくりと顔を上げて尚隆を見た。

薄い月明かりの中で見つめる瞳に、映りこんだ自分の姿を発見する。

「私達は…同じ…?」

ふっと笑った顔はそれに答える。

「少なくとも俺はそう思っているが」

「幸せになっても…いいのでしょうか」

「当たり前だ」

「同じなら…私のように心音が騒いでおられるのでしょうか…?落ち着かず、絶えず瞳が探しだすような…そんな思いを抱いていると言うのですか?」

尚隆は笑っただけで、それには答えなかった。

だが、少し屈んで口付けを落とした。

軽く掠めた唇は、の涙を止める。

その腰に腕を持って行き、頭に手を添える。

再び引き寄せて、口付けを深くしていった。

月の作る影の中で、しっかりと守られるように抱きしめられたは、これが幸せというものなのだと実感していた。

しかし…

「駄目…です…」

再び頬を伝う涙に、尚隆は力を弛める。

何が駄目なのかは判らないが、の口をついて出た言葉はそれだけだった。

弛められた腕の中から逃げるようにして、の体は尚隆を離れ、そして月明かりの中心へと戻っていく。

月光を受けながら、は振り返って尚隆を見ていた。

そして、その瞳は何も語らずに動き出す。

尚隆は動けないまま、秋桜を掠めて去って行く、女の後姿を見つめていた。













は走って小路を戻って行った。

尚隆の存在を否定したかったわけではない。

嬉しいと思ったのに、脳裏を過ぎていくものに勝てなかったのだ。













地を焦がす大火。

剣のこすれる音。

幼くして捨てられる子供達。

逃げ惑う臣下達。







大蛇の如しうねる炎。

雨のように降り注ぐ血。

干からびた小さな体。

盾になって死んで逝く者達。







それらが恨めしげに言うのだ。

俺も幸せになりたかった、と。







月に満たされた綺麗な光景の中で、惨状がを支配し、差し伸べられた手を跳ね除けてしまった。

傷つけただろうかと、危惧する余裕さえなかった。

涼しかった秋の風は、刺すように吹き抜けていく。

厳しい冬の到来をそっと告げて、を条風に晒して消えていった。

















その夜を、尚隆は眠れずに過ごしていた。

「まだ…あれほどまでに鮮明か…」

が何故拒絶したのか、尚隆には分かっていたのだ。

自分が嫌だった訳ではない。

ただ、幸せになろうとするのを、彼女自身が許さないのだ。

尚隆がどう言ったところで、自身がそれを許さなければ、何の解決にもならない。

こればかりは、どうしようもないのだ。

現に自分がそうだった。

五十年以上が経過して、が目の前に現れた。

大内の家紋を見ただけで、亡国の残像がありありと浮かんできたではないか。

話しをしてみて、不思議なその思考に翻弄されそうになり、会わずに三年を過ごした。

しかし尚隆は再会を果たし、そして救われた。

の言葉一つ一つに救われていった。

だが…

はまだこちらに来て浅い。

三年程でいかに風化しようか。

「まだ、時間がかかるのだろうな」

白かった秋桜は、月光を浴びて黄金に変わっていたが、その光ですら今のには届かない。

を手放してしまった尚隆にもまた、届かないのだった。



続く






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甘く始まり…

辛く終わりました。

うう、ごめんなさい☆

                 美耶子