ドリーム小説
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月の花 =14=
そして月日は瞬く間に流れていく。
が尚隆の手を振り解いてから、早くも二十年以上が経過していた。
手を振りほどいた事によって、正寝への出入りが禁止され、降格するのだろうと思っていたの予想は見事に外れ、依然と変わらぬまま月日だけが過ぎて行った。
相変わらず調査に行くと、告げてもいないのに付いてくる尚隆に、は疑問を抱えていたが、依然と何も変わらぬその様子に、
「月光が見せた、夢だったのかもしれない」
と、いつの間にかそう思うようになっていた。
ただ一つ、の中で変わった事があったのだが…。
ある日、王の許を訪ねたは、猛然と駆け寄ってくる主を見て固まった。
「急げ!」
手を掴んで走り出した尚隆は、が手に抱えていた紙が散って落ちるのを気にも留めず、ただひたすら急いで禁門へと向かった。
「主…主上?」
禁門につくとすぐにたまに飛び乗って、有無を言わさずにを引き上げる。
止めに入ろうとした夏官が駆け寄ってきた時には、すでに空の上へと逃げていた。
「どうしたのですか?何かございましたか?」
「最近働き詰めだったからな」
「は?」
「倒れぬ内に休養を取ろうと思ったのだが、同じように働き詰めの小司徒が目に入ったので、ついでに連れてきた」
「主上!!」
「なんだ?」
「私の政務が滞るではないですか!他に迷惑がかかります。休養なれば御一人で取ればよろしいでしょう!」
「一人で取ってもつまらんだろう?まあ、地に降りて民の生活を見るのも、地官としては必要だとは思うがな」
「それもそうですわね」
の納得を引き出す事は、いとも簡単に終わった。
あまりにもあっさりと納得した女を、尚隆は苦笑しながら見ていた。
この二十年で、少しは影が薄まっただろうか。
一切それを見せないのだから、分かるはずもなかったが。
「擁州に行ってみんか?」
「擁州…では、川付近に連れて行っていただけますか?」
尚隆は頷いて手綱を引き寄せた。
地に降り立った瞬間、は駆ける様にして川沿いまで行った。
立派な林が立ち並び、緑の景観が広がっている。
しっかりと根を張って、自然に作られた堤は強く、は満足げにそれを見ていた。
「立派になったもんだな。最近また一つ町が出来たそうだ」
「町…規模は如何ほどでございましょう?」
「比較的大きい部類に入るだろうな。行ってみるか?」
「はい」
新しい町が出来ると言うと、は満面の笑みを見せる。
人々が裕福になっていく姿を見るのが、この上なく嬉しいのだろう。
二人は再びたまに騎乗し、町までを飛ぶ。
先に舎館を取ってたまを預けた二人は、町を散策するために歩き出す。
整備されつつある途を歩きながら、尚隆を振り返ったは微笑んで言う。
「とても活気に溢れた町ですわね」
は辺りを見回しながら、どんどん先へと進む。
凄い、と呟きながら、人々を見ては微笑んでいた。
「嬉しそうだな」
「え?私がでしょうか?」
「なんだ。気が付いておらんのか?」
尚隆がそう言った時、後方から悲鳴が上がった。
数十名の男が老婆を取り巻いている。
匪賊かと思ったのだが、集まりだした周りの囁く声を聞いていると、盗賊のようだった。
この近辺を荒らして回っている、有名な盗賊の一団だという事が漏れ聞こえる。
三十名はいるだろうに、小さく怯えている老婆を囲んで笑っていた。
「何てこと…」
呟くの横から、女の声が小さく聞こえる。
「豪商の奥方だよ。かわいそうに…」
「有名な盗賊なのですか?何故、皆様逃げないのです?」
「あいつらはね、一日に一人しか狩らないんだよ。一人を狩れば次の町に行く。そしてまた一人狩って次の町へ。そしてこうやって戻ってくる。町を移動しているから、お役人も手を焼いて捕まえる事が出来ないのさ。今すぐに官府に走ったって、間に合いやしないよ…」
「狩るって…浚っていくのですか?」
「さうさ。浚って金を要求するらしいよ。支払えば無事に帰してくれるそうだ」
が女に話を聞いていると、何やら盗賊の一団の方から声が聞こえる。
「なんだこんな大人数で。恥ずかしいとは思わんのか?」
まぎれもなく、尚隆の声だった。
「なんだお前…。命知らずな奴だな」
「命知らずかどうか、試してみるか?」
ちらりと剣の刃を見せて、不敵に笑う尚隆。
「い…何時の間に…」
はそれを心臓が潰れてしまいそうな心境で見ていた。
あんなに囲まれてしまっては、手の打ちようがない。
いかな剣豪と言えど、一斉に飛び掛られればたちどころもないだろう。
のそんな心配を他所に、尚隆は剣を抜く。
盗賊達が抜いたからだ。
じりじりと間合いは詰められ、緊迫した空気が振動を起こしていた。
盗賊の一人が奇声を発しながら、尚隆に飛び掛る。
それをひらりと避けて、当て身を食らわせた尚隆は、そのまま切りかかってきた二人目の喉に剣の柄を叩き込む。
振り返りざまに降ってきた剣を頭上で受け止め、空いた手で鞘を掴む。
背後に寄っていた者を鞘で殴りつけて、剣を押し返した。
押し返された者は後ろに倒れこみ、その反動で三人にぶつかって山積みに倒れる。
新たに突き出された槍を掴んで奪い、その柄で数人を一気に薙ぎ払い、気が付けば盗賊の数は半数に減っていた。
そして残りの半数が片付くまで、幾刹那の事だったかと思われた。
ついに盗賊は一人を残して、全員が地面を舐めていた。
「お前が盗賊の頭領か?」
屈強な身体つきの男だった。
尚隆もしっかりとした体だと思うのだが、その男と比べるとまるで子童のようだ。
男は大きな棍棒を肩に担いでいる。
「よくもかわいい手下達を痛めつけてくれたな。今日の獲物はお前に変更だ。切り刻んでやる!」
いかにも重そうな棍棒を楽々と振り回しながら、男は尚隆に突っ込んで行った。
勢いよく振り下ろされた棍棒を容易くよけた尚隆は、素早く男の背後に立って猪首(いくび)を狙い、柄を走らせる。
鈍い音が響き渡り、男の体は大音響と供に倒れた。
わっと歓声があがって、町の人々に囲まれていた尚隆は、人ごみをかきわけてに歩み寄る。
「逃げるぞ」
少し乱れた髪をそのままに、の手を握った尚隆は走り出した。
舎館に逃げ込むようにして駆け込み、そのまま房室へと急ぎ、扉をしめた途端にへたり込んでしまった。
「大丈夫か?」
息一つ乱れていないその様子に、は唖然としていたが、気を取り直して立ちあがり尚隆を睨んだ。
「主上!」
叫んだの顔を、尚隆は不思議そうに覗いている。
「なんて…なんて危険な事をなさるのです!何かあればどうするおつもりだったのですか!!主上に何かあれば…私は…私は…」
すべてが終って、やっと安全な場所についたのもあり、押さえ込んでいた恐怖が噴出したは、瞳に涙を溜めながら怒った。
「何ともなかったろう?」
「それは…そうですが…もしも、何かあれば…」
心配で堪らないといった表情のを見て、尚隆は笑みを浮かべて言う。
「信用されておらんな」
そう言われては考える。
緊張感はあったが、ただひたすら有利であったのは尚隆だ。
あれほどの人数を前に、怪我一つしていない。
呼吸すら乱れていないのだ。
これほどまでに強いとは、まったくもって想像できなかった。
「と…とにかく…こんな無茶は二度としないで下さいませ!」
「見惚れておったのにか?」
「なっ…」
言い返そうとしたのだが、本当の事だったので何も言えず、はただ赤くなって顔を背けた。
面白そうに覗き込もうとする尚隆から、逃げるように顔を背けていたは、体ごと後ろを向いた。
その背中に明朗な声が諭すように響く。
「あの場で見捨ててはおけぬだろう?」
「それは…で、でも…誰かを呼びに行くとか…」
「一人で充分だと判断したのだが?それにあの戈剣(ぶき)では、俺は斬れん」
は向けていた背を戻し、尚隆を見て首を傾げた。
「も斬れぬ」
「私も?」
「冬器の事は知っておるか」
「はい。普通の戈剣では斬る事の出来ない、妖魔を斬るための物でございましょう?」
「そうだ。だが、冬器が斬る事ができるのは、妖魔だけではない。仙もまた斬る事ができる。逆に言うと、普通の戈剣では仙は斬れん。よってあの場で俺をなんとかできよう者は、最後に出てきたあの大男ぐらいだろうな。あれで叩きつけられれば、多少は痛いだろうからな」
笑いながら言う尚隆を見ながら、は本当に信用していなかった事を思い知った。
腕前など知らなかったし、知ろうともしなかったのだ。
あれ程までに腕がたつとは思わなかった。
そして、鮮やかに仕留めて行く姿に、見とれていた自分を思い出す。
三十人ほどもいたあの盗賊達は、誰一人として死んでいない。
今頃は捕らえられて捌きを待っているだろう。
はその場で座り込んでしまった。
脱力したようにへなへなと膝をついて、その場で尚隆を見上げた。
「信用…致します。ですが…無茶はしないで下さい。私の心臓が…持ちませぬゆえ」
情けない声を上げるに、尚隆は笑いながら言う。
「ではせいぜい気をつけるとしよう」
「反省しておりませぬ」
「まあ、そう怒るな」
「主上!少しは…」
そこまで言って、は口を噤んだ。
尚隆の表情から笑みが消えていたのだ。
「主上?」
様子を伺うようなに気が付いた尚隆は、窓に向かいそれを開け放した。
表情は背に隠れて見えない。
「…主上?」
再度問いかけると、尚隆は何でもなかったかのように振り向く。
「どうした?」
呆気にとられたは、なんでもないことを告げて俯く。
当たり前のように沈黙が降りる。
外から聞こえる喧騒だけが、房内に響いていた。
の中で変わってしまった事…。
それは決して尚隆の名を、呼ばないようになったという事だった。
必ず主上と言う。
二十年前のあの日以来、名を呼ばれた事はなかった。
一線を置きたいのだろうか…
知らず閉ざしてしまったその言葉を、こんな瞬間にも思い知らされる。
だが、それを問い正した所で、彼女を苦しめるだけだ。
根気比べのようだと、尚隆は思う。
求めて止まない気持ちは、も同じなのだと感じているのに。
それでもこれ以上は先に進めぬ現実に、対処の施しようがない。
の傷が癒える前に、無理矢理唇を奪い去ってしまおうかと何度も考えた。
傷を深める事になりはしまいかと、危惧する声が辛うじてそれを押しとどめる。
こうして一緒にいなければ、気の紛らわしようもあると言うのに、気が付けばこうやって連れ出してしまう。
まるで子童のようだ。
一緒に居れば居るだけ、その気持ちを求めてしまう。
しかも相手も求めているのが分かるから、なお性質が悪い。
求めて、求め返されているのに、手に入らぬ物があろうとは…。
だから、主上と呼ぶのだろうか。
諫める言葉として。
自分と尚隆を諫める言葉。
自嘲的な笑みを隠す為に、完全に背を向けた尚隆は、じっと窓の外を眺める。
流れるような往来を、ただひたすら見つめていた。
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